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Trigger Point  作者: 群青 坊哉
1.龍の宿運
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2

 黒い少女は、医療スタッフが行き交う廊下の白い壁に腕を組んで凭れていた。背は百五十センチもないだろう。色白の肌によく映える漆黒の髪を顎より上のラインで切りそろえた日本人形のような容姿の少女だ。身を包んでいる黒い無地の着物が一層浮いて、先ほどから奇異の視線の一斉放射を浴び続けている。

 呆然と病室からドアを透りぬけて出てきた惣一は、少女の姿を認めると浮いたままゆっくりと近づく。

 少女は通り過ぎる人々の視線を物ともせず、ただ目を閉じたままでいた。……いや、よく見るとその頬を一筋の汗が伝っている。さすがにこう目立っちゃ居心地悪いだろうな。ぼんやりと思いながら正面に立つと惣一は力の無い声で少女に訴えた。

「……なぁ。体に入ろうとしてもこのままなんだけど。すかすかっと通り抜けちゃうんだけど。戻れないんだけど」

「すまない」

 即座に謝罪の言葉を返される。え、俺謝られた? どういうこと? 未だ事態に脳の処理が追いつかず、青ざめた無の表情のままでいる惣一の目前に、少女は自身の左手首に着けている水晶の腕輪を突きつけた。

 目の焦点が合い、惣一の脳が物体を認識するまでたっぷり数秒の沈黙を要した。

「ナニコレ」

 物がわからないわけじゃない。どうして自分が今ここで数珠を突きつけられなきゃならんのか、意味がさっぱり解らない。

 疑問符を一杯に並べた情けない表情の発する問いに、しかし黒い少女は事務的に淡々と答えた。

「おまえが先ほどまで入っていた水晶球だ」

「そか。俺さっきまでこん中入ってたんだすげぇなぁ。………………で?」

 どゆ事?

 体に戻るにはどーすりゃいいの?

 惣一の力ない視線を、黒の大きなつり目はようやく正面から受けた。

「……これに一度入ってしまうと、成仏するまで出る事は叶わない」

「出られないって……出れてるじゃん」

 惣一は自身の身体を指した。半透明で後ろの景色が透けてしまっている。少女曰く、これは『幽体』と呼ばれる状態なのだそうだが、惣一に言わせればまるで幽霊だ。

「ここに来る前にも述べたとおり、一時的に水晶球から出す事は可能だ。そもそもこれは元々霊を使役する為の一守の巫覡具であって……」

「じゃなくて、そんなこと訊いてないっつうか……、成仏って?」

「…………おまえの命糸は既に水晶球に癒着している」

「生きてるのに? こっから出られないわけ? 俺どうなるの?」

「………………成仏してみるか?」

「死ぬじゃん!!」

「…………すまない」

 僅かに汗を浮かべながら項垂れる少女に惣一は地団駄を踏んだ。

「謝るのはいいから、なんか出る方法! 入れたんだから出す事くらいできるだろ、訳ないよな!? とにかくいますぐ何か方法プリーズ!!」

「勿論、調べる。今から一守に戻る。戻ったらすぐだ。だが恐らく……」

「…………おそらく……?」




「前例がない」

 見渡せば、敷き詰められた真新しい青畳が数十畳。家具等、生活感を漂わせる物は何一つ存在しない。そんなただただ広いだけの座敷の中心に、白袴を着た小さな爺さんが座布団の上でちょこんと胡坐を掻いている。

 皺だらけの顔の前で大きく広げた扇から大きな二つのつり目を覗かせてしばらく、向かい合うようにして正座する少女と、その横に足を崩して座る半透明の惣一の姿を見上げていたかと思うと、あっけらかんとそう言い放った。

 またしても茫然自失の惣一と、頬に二筋の汗を流す少女。

「霊力ゼロの人間を水晶から出す方法なんぞ、知ラン」

 意味ありげな視線で少女を見た後、軽い口調でぷいっと横を向く。

 小さな背筋をぴんと伸ばして座っていた少女は、ピクリと僅かな反応を見せると怪訝な声を上げた。

「霊力ゼロ……だって?」

「なんヂャ。おおんしそんな事もわからんのか。日々の修行は一体何の為にやっておる。状況に囚われぬ意志と判断力、それに物事に動じぬ強靭な精神力を養えとお主にはあれほど言うておったのに毎日やってもそれじゃなんの意味もないヂャろ」

「………………」

 少女の頭上に不可視の大岩がみしっと落ちてきたように惣一は感じた。

「今回の事だってそうヂャ。如何なる状況、如何なる理由があろうと生人を水晶球に取り込むなど前代未聞。竜角で殴っ叩切るなぞ言語道断ヂャ。常日頃から言っておったはず。お主は竜角に頼り過ぎとる。竜駒巫覡といえど、執着しすぎなのヂャ」

「……………………」

 少女の小さな頭がさらにずしんと落ちる。

 あ、大岩二発目。横目で、声なき声で呟く惣一。

「今一度集中して小僧を視てみんかい。外を覆っとる霊力は半端ないが、内は殻ヂャ。如何に生人時に霊力が高かろうと、水晶球に命糸を癒着させたが最後、全て球に吸い取られる。現時点で幽体の霊力がゼロでないという事は、単純に考えれば幽体の持っていた霊力が多すぎて球が吸い取りきれていない、と。そうなるのヂャろうが……」

「………………」

「……ま、仮にも竜駒巫覡の名を持つ己で答えを導き解決するんヂャな」

 最後の大岩を少女の頭に落とすと爺さんは扇をピシャリと畳み、老体とは思えぬ軽快なフットワークで立ち上がると愉快なステップで座敷を出て行った。

 畳の匂いのするただっぴろい和の空間に残された少女と惣一。

 少女は不自然な程に頭を垂れて数十分、固まったまま動こうとしなかった。

「……あんさぁ」

 無言に困り果てて、正座したままの少女に惣一は声を掛ける。……が、無反応だ。

 このコ。どうみたって小学生くらいだもんな。怒られて落ち込んでいるのかな。今度は惣一の頬に一筋の汗が伝った。参ったな。自分は一人っ子だ。子供のお守なんてやったことない。

「……なぁ。このまま居てもラチあかないし。済んじゃった事は仕方ないしさ……とりあえず行動しない?」

 言いながら、少女の前に回って様子を伺う。

 辞儀でもするかのように頭を垂れた少女の顔は……意外な事に無表情だった。

「……………………『とりあえず』?」

 顔を上げると同時に、大きな黒瞳で惣一を刺す。

 てっきり泣いているかと思っていた惣一は思わずびくりと肩を鳴らした。

「……あ、あぁ、そう。『とりあえず』。……それにさ、腹減ってるんじゃないか? もう飯時過ぎてるんじゃ?」

 室内には畳と壁と障子、それから和を匂わせる照明があるだけで時計すらない。だが、病院を出た時点で辺りはすっかり夕闇に染まっていた。晩飯の時間は当に過ぎている頃だろう。

 惣一の言葉に怪訝そうな表情を返す少女。

「夕餉をとっている場合では……」

「だから『とりあえず』って事でさ。あ、ほら。腹が減っては戦は出来ぬって言うじゃん。聞いたことない?」

「………………ある」

 さらりと揺れる黒髪。素直にこっくりと頷く少女の様子に「だろ?」と笑んでみせる。

「こんな何にもないところで塞ぎこんでるよりはよっぽどいい。留まってたらどんな綺麗な水だって淀むだろ。いい事ないって」

「…………塞ぎ……こんでいると言うか。私が」

「あれ、違うの?」

 惣一の驚きの表情に、少女はばつが悪そうに視線を逸らした。

「……違うとも。今後について考えを巡らせていたところだ」

「へぇ……そう」

 半目で空返事をしてやる。強がりを。可愛げのないガキは特に嫌いだ……。

「…………先ほどから気になっていたが、私はおまえと同じ歳だ。ガキではない」

 視線を落としたまま、少女は告げた。声色に若干不機嫌な色が混ざっている。

「へ」

 ……同じ歳だって? 惣一は改めて少女を見た。小柄な体型にあどけない顔立ち。見たところランドセルを背負って小学校で給食食べて……が似合いそうな容姿だ。最低でも中学生…………、

「同じ歳だと言っている。今年で十七。学校に通っていればおまえと同学年になる」

「うそ。全然見えね………………っつうか。もしかして。俺の考え……読んでたり、……する?」

「水晶球に入った時点で、おまえは生人であろうと私の式という立場にある。式の思考を把握する事はそれを使役する者の義務だ。尤も、読んでいるというよりは……球を通してなんとなく伝わるという程度だが」

「うっわーぁい…………」

 惣一の頭から血の気が引いた。サイアクだ。さらに問題が増えた。思春期男子の頭の中が女子に駄々漏れ――垂れ流し状態……だと…………!?

 読まれはしなくてもこれは…………一大事だ。場合によっては……地獄……? 汗が滝のように落ちる。

「妙な事考えないようにしなきゃ……か」

 無表情のままぼそりと呟く少女。心なしか表情筋が嫌な感じに歪んでいる気がする。

「読んでるだろ!? 絶対に読んでるだろ俺の心!?」

「む。私は嘘は言わない。おまえがわかりやすいだけだ。…………ふむ。別に記憶を漁らなくても、球に入ってからこれまで、おまえが妙な考えとやらを抱いた事はないと思ったが。……しかし、『妙な』とは一体どのようなものなのだ?」

「早くここからだせー!!」

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