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Trigger Point  作者: 群青 坊哉
1.龍の宿運
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3

 大きな満月が闇の降りた街を照らしていた。

 まるで海底に沈んでしまったかのような静けさと、小さな光が無数に広がる宙の圧倒的な存在感。吹きつける清流が生む澄んだ空気に包まれた世界。こんななりになっても風を感じる事は出来るんだな。惣一は空に寝転がって自分の透けた掌越しに月を仰いでいた。

 ふいに、風を切る音がした。

 下からだ。惣一は視点を移した。遥か眼下に、暗い森に囲まれた一守家のシルエットが小さく見える。惣一が住んでいる印場市の隣、同県白羽市にある白蛇神社の境内に建てられた古めかしい平屋造りの屋敷だ。その立派な庭園で少女が大剣を振っていた。

 昼間俺を刺した剣か。惣一はゆっくりと地に降りる。

「すげぇな、そんな大きな剣振り回して。重たくないの?」

 少女は強い光を帯びた瞳でただ一心に前を見据えている。

 身の丈以上の刃を静かに振り上げて、一瞬静止した後、宙を袈裟懸けに斬る。

 飛び散る汗とともに短い黒髪が一定のリズムで広がる。

 夜闇を裂く剣先が、月明かりを受けて鈍く光っていた。

「その剣。どしたの」

 めげずに横から質問を続ける惣一。混乱して後回しにしていた疑問と好奇心が頭の中で一気に膨れ上がっていた。

 少女は二、三、剣を振った後でようやく「どうしたとは?」と素っ気なく返した。正面を見据えたままリズムを崩すことなく剣を振り続けている。

「持たないでしょ。ふつー。剣なんて。そもそもそんなもん振り回してたら銃刀法違反で捕まるし」

「これは剣ではない。『竜駒』だ」

「りゅーくって、なに」

「竜駒とは竜駒巫覡が使役する神具。主に銃刀の形をした物が多いが、その類ではない」

「よくわかんないんだけど」

「……。何しに来た」

「身の振り方話し合おうと思って。いつまでもこのままじゃいられないし」

「今後の方針か」

「方法探すのが先決だろ? それか、何か考えがあるのかなって」

「ない」

「……そうきっぱり言わないでくれる。結構堪えるから」

「これから一守の書物庫を探るつもりだ」

「もう日付変わるぜ?」

「私の力は夜の方が高まる。探し物は夜の方がいい。精神統一のために竜角を扱っていた」

「りゅーかく?」

「この竜駒を示す名だ」

「要するに、その剣の名前な訳ね。……で? 統一して、何かわかるの?」

「わからない」

「……だよなぁ」

 言って、惣一は月夜を仰いだ。前途多難、どころではない。先行き真っ暗。光も見えない。お袋泣き喚くだろうな。親父にクラスの連中に、それから……飯沼一華。

「せめて、無事だって事を伝える手段を考えんとなぁ……」

 溜息混じりに言葉を吐く。

 少女は剣を振る手を休めると、ここで始めて惣一の姿を視界に入れた。

「周りを優先させるのだな」

「優先……っつうか、なんつうか。現に俺はぴんぴんしてるし、今は問題ないだろ。まずはそっからでしょ」

「……おまえ、名は」

「な?」

「私の名は一守晶(いちもりあきら)。おまえの事は、なんと呼べばいい」

 ああ、名前の名、ね……。

 本当に、解りづらいというか、こんな口調の固い女子、見た事がない。この喋り口調はまるで厳格な親父…………そう、あのテレビで頻繁に見る某携帯会社のコマーシャルに出ている白い犬のようだ。……こっちは、白じゃなくて黒いけども。

「……どうした。腹でも痛むのか?」

 発症した笑いの発作をなんとか抑えようと身を屈めていると、怪訝そうに首を傾げて近寄る黒いお父さんけ……じゃなかった。一守。

「悪い、なんでも……っていうか、名前だったな」

 身を起こすと惣一は改めて少女――晶に向き直った。

「俺は御子柴。御子柴惣一」

 よろしく、と右手を差し出す。

 晶は不思議そうな顔でしばらく差し出された手を見ていたが、ふむ、と一言。竜角の柄を握っていない方の手でその手を握った。

 彼女の手は異様に小さくて細くて温かくて……少し汗ばんでいた。

「ではミコシバと。困るのであれば直接伝えればいい。先ほども言った通り、現時点ではミコシバを水晶球から出す方法はわからない。方法を調べるのにいつまでかかるかも正直わからない。しかしその間ずっと幽体のまま、というのも何かと不便だろう」

「っていうと……本当の体には戻れなくても、他人の体なんかに入る事が出来るとか?」

 幽霊が人の体を乗っ取る、なんて内容の漫画を思い出して訊いてみたが、晶はまた怪訝そうな顔で首を傾げた。

「他人の体、というと……一時的でよければ、可能なのは五体満足な死体くらいだが。……入りたいのか?」

 大きな黒瞳が真顔で問う。

「んな訳ないだろ! ……その、思いついて、言ってみただけだよ……」

 ……ンな事、マジで出来るんだ。ここで頷いたら本当に誰ともつかぬ死体の中に入れられそうで怖い。想像して、惣一の背筋をぞーっと悪寒が伝った。

「それならいいのだが。命糸を死体に仮癒着させるより、幽体を実体化させる方が手っ取り早いからな」

 ほっとしたような様子の晶の言葉に、惣一の耳がダンボになる。

 幽体を、実体化させるだって……?

 幽体ってのは、この幽霊みたいな体の事で、それを実体化ってことはつまり…………。

「出来るの!?」

 目を見開いて一気に詰め寄る惣一にも動じず、無表情のまま晶はその顔を見返す。

「可能だ。だがこの方法には危険が伴う。精神が殻を持たずに表に出る訳だから、傷を負えば精神そのものに傷を受ける事になる。それでも……」

「かまわない、かまわない。かまわないから、今すぐ実体にしてくれ! 数日後には親が旅行から帰ってくるんだ!」

「今実体化してどうする。帰宅するつもりか」

「あ……あぁ、そうだな。このままここにいたってしょうがないし、家には帰りたい」

「ならば、少し待て。私にも準備がある」

 言うと、晶は竜角を瞬時に消し、

「うわすげ。どーなってんの?」

 くるりと回れ右をして、屋敷の縁側に足を進めた。

 慌てて惣一はその後を追う。

「じゅんびって何? じったいかの準備?」

「式の実体化には私の霊力が要るだけだ。瞬く間に終わる」

「じゃあ、なんの」

「何って……おまえの家に滞在する準備に決まっているだろう」

「………………は?」

 時を止めた惣一に、晶は足を止めて振り返った。

「必然だ。互いの距離を半径十メートル以内に保つ。それ以上は私の霊力が届かない」

「……よく状況呑みこめないんだけど。それってつまりさ。折角体もらっても、おまえと距離離れると……」

「幽体に戻る」

 一瞬の間の後。

「解決してねぇ~。これ、さっぱり解決になってねぇえ~」

「……………………すまない」

 地に突っ伏した惣一の姿と、しょげっと頭を下げる晶の姿が、月明かりに照らされていた。




 結局、惣一は家に帰らず、晶の水晶の中で一晩を過ごすことにした。

 問い詰めてみれば、晶は惣一を実体化させると常に霊力を消費し続ける状態になると言う。

「……だぁからさ。早く言おうよそういうことは」

「そういうこととは?」

「消費し続けるってそれ、疲れることなんだろ?」

「それはミコシバには関係の無いこと……」

「あるの。寝覚めが悪いっつうか、落ち着かないっつうか……とにかくあるの」

「…………そうか。すまない」

「謝ってばっかだな……」

「…………すまない」

 そうなんだよな……一守って奴、会ったばかりの俺に頭を下げてばっかなんだ。

 よっぽどこの事態……つまり俺に対して、気に病んでるんだろう。まぁこんなことになって迷惑じゃないって言えば嘘になるけど、でも……。

 今日一日見てきた晶の顔が過ぎる。小学生のような顔立ちで、しかしその眼差しは……なんというか、懸命だ。

 その仕草には女子特有の可愛らしさだとか甘えなどは欠片も無く、生真面目にきびきびと動く。顔立ちのせいかもしれないが、どこか違和感があるというか……無理をしている風に見えてしまう。

 殻もなく剥き出し状態の幽体で外をウヨウヨしていては危険だという理由で無理矢理強制送還された水晶球の中。仰向けに寝転がっているため、自然、晶の顔が視界に入る。惣一の存在を特に意識する事なく、薄明かりの下、ぴしっとした姿勢で小さな木製の机に向かい、黙々と文献を読みふけっていた。見れば正座をしている。この定規のようなきっちりかっきりの真面目っぷりは地なのだろうけど……なんとなく危うい印象なんだよな。ほっとけないっつうか。眺めながら、いつしか惣一は瞼を閉じていた。それにしても。自然、ため息が口から漏れていた。

 事故を始めに、神社に住んでる本物の霊能力者に大きな剣で刺されて。

 死んだと思ったら実は生きてて。

 今じゃ体は病院で、心は水晶の中。

 今日だけで不思議なことが起こりすぎた。

 日常から非日常へ。スイッチが切り替わるように世界は激変し、一気に雪崩れ込んだ。

 まだ、この状況が夢なのではないかと、心のどこかで疑っている自分がいる。それとも何かおかしなフラグでも踏んだのだろうか。記憶を漁って過去を振り返るが差し当たって覚えがない。

 …………俺。一体これからどうなるんだ?

 漠然とした不安を頭に君臨させたまま、惣一の意識は徐々に眠りに落ちていった。

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