10月9日
どこか物悲しい秋晴れの空気を吸い込んでから、私は窓を閉める。
最近疎かになりがちだった身支度を整え、呼吸を整えながら廊下を足早に通る。
屋敷の三階。他の扉に比べて大きなアーチ型の扉の前で私は足を止めた。
扉の奥の宿敵を睨みつけるが如くじろりと見つめる。
(ここまで来たからには、もう後戻りはできない)
お父様が私を呼び出したのは今回で二度目。一度目はカイルと初めて引き合わされた時。そして今日。
正直、どんなに呼び出された訳を考えようにも怒られるか呆れられるか捨てられるか殺されるかといったものしか出なかった。
殺されそうになったらダッシュで逃げてやる、と覚悟を決めて私は部屋の主人に声をかけた。
お父様と向き合って座る。赤いベロアのソファの上で借りてきた猫のように行儀を正している私の前では、無言で茶を飲む部屋の主。
黒い口髭にも髪にも白髪が混ざって灰色がかって見える。怒っているかのように釣り上がった厳しい目つきが、他の何よりも私の父である証であった。
この人こそエーギル・ティフォン。将来的に私を殺す可能性がある男。冷徹な私の父親。
部屋に通されてからと言うもの、お父様は「座れ」以外の音を発しはしなかった。
重い沈黙に耐えて五分ほどした頃合いに、私はややあって口を開いた。
「本日は、どのようなご用件でしょうか」
お父様はティーカップを置くと、徐に時計を見る。
何かするつもりならかかってこい。グッと喉を鳴らした時、扉がノックされた。
「入れ」機械的な声に「失礼します」と年若い男のものらしきそれが返事をした。
扉の方を振り返ると、そこには一人の少年が立っていた。
小柄だがシュッと引き締まった顔立ちは涼しげ。蝋人形のように白い肌に流れる銀髪の長髪は、頭の低い一で一本に結ばれている。背丈は私より少し高い程度だから、おそらく年齢もそう離れてはいないだろう。
「お、お父様、彼は?」
問いかける私の声は上擦っていた。先ほどから頭がドクドクと脈打っている。今まで鍵がかかっていた記憶が無理やり外に出てこようと、体当たりでもしているみたいだ。
「此奴の名はナギ。貴様の監視役だ」
私の記憶の扉が音を立てて崩れていった。
攻略対象ナンバー2:ナギ
ヒロインであるリリスのクラスメイトの一人。無愛想でミステリアスな美少年という設定だ。
ことあるごとに無愛想ながらリリスを助けてくれるところもあるのだが、物語の中盤以降にディアナの部下であることが判明する。
そのせいか、私がプレイ済みであるカイルルートでもアルヴィンルートでも最終的には死んでしまう。
と言っても、敵として死んだアルヴィンルートと違い、カイルルートではリリスとカイルを庇う形で死んでしまうので、私の中での印象は割と良い。
(だがそうか。こいつが攻略対象か)
その後、何ら咎められることもなく、暗殺されることもなく、五体満足の帰還を果たした私は机の上に魔術書を広げながら考えを巡らせていた。ちらっと背後に視線をやれば、ナギが目を閉じて直立していた。
(参ったな。こいつのルートはやったことないし、私の部下だったってことしか知らない)
どんな人物だったかという記憶もさほど残っていない。
なんか気にかけてくれてたけど裏切ったやつ。または裏切ったと思ったらなんか助けてくれたやつ。
(そして、ディアナの手駒だったがために死んでしまったやつ)
ゲームとはいえ自分が殺した要因ともなっている人物なのだから、些かバツが悪い。
(ディアナとの関係はわからなかったけど、察するにお父様から下げ渡されたってところか)
しかし、今回は監視役ということなので、頭を打って人が変わった私への当て付けでこそあれ、我が子に自由に使える手足をくれてやろうなどといった押し付けがましい親心ではないだろう。
状況が変わっているらしいことに喜べばいいやら、おっかないやら。
私はバレないようにため息を吐いた。
(まずはこいつの人となりを探らないと)
どういった行動をしたやつかは覚えているけれど、性格の印象は正直ない。ルートをやっていないからか、カイルとアルヴィンのキャラが濃すぎたのかはわからないが、とにかく印象が薄い。
「なあ」
「何でしょうか」
温度を感じさせない声は、まるで人形が声を発しているように抑揚がない。
「あんたってどこから来たんだ?」
「どこからともありません」
「あーじゃあ家族は? うちの分家とか?」
「おりません」
「あ、ああそうか。それは……ごめん」
家族の話はタブーだったか。もういないとなると可能性としては落ちぶれてしまった魔術師の家の息子とかだろうか。
お父様のことだから魔術師でもないただの人間を監視役なんていう責務につけることはないだろう。その証拠に微量ながら魔力は感じる。
(ほぼないようなものだけど)
「あーじゃあ年は? 年齢」
「……存じておりません」
「……」
なんだそりゃ。疑わしげに目を細めるが、ナギはどこ吹く風で冷ややかな視線を正面から受け止めている。
「年がわからないのか?」
「自分の生まれが定かではありませんので。お好きにお考えください」
(……まさか、孤児とか?)
ほとんど無回答と同じような問答から私が導き出したのはそんな答えだった。
教会にはなんらかの事情で親から見放された子どもが養育を受けているという話は聞いたことがある。教会から引き取ったのかもしれない。
(だがやっぱり、そんなどこの馬の骨ともわからない人間をあの人が側に置いておくとは思えないんだよな)
それこそ孤児と見せかけて名家に侵入させた暗殺者でした、なんて展開だってあり得てしまいそうだし……。
自分の考えにハッとなって、私は椅子から立ち上がった。ジリジリと後退して、ナギと距離を取る。
部屋の隅っこに退避して、ピンと伸ばした指を胸の前で構えた。
「何でしょうか」
ナギは顔色一つ、眉毛の一本たりとも動かさないで尋ねる。私はその様子をシゲシゲと観察し、ガックリと肩を落とした。
なんだか自分だけ警戒して馬鹿みたいだ。
私はそのまま足先を扉の方へと向けた。開こうと手を伸ばせば、「どちらに行かれるのですか」と淡々とした口調で尋ねられる。顎を前方に突き出すように振り向く。
「気分転換だよ。走ってくる」
騎士になるといったからには体力はあればあるだけいいだろう。そんな安直な考えから、私は気分転換と称して朝昼夕問わずランニングをするようになった。足立花ほどではないが、だいぶ身軽になったのだ。
「今はお勉強の時間です」
「いいんだよ自習だから。先生が来た時はちゃんとやってるし」
じゃあなー、と片手をあげて部屋を出た。
監視役などと言うものだからてっきり追いかけてくるかと思ったが、予想に反して背後から足音が聞こえてくることはない。
部屋での待機でも命じられているのだろうか。だとしたら好都合。
ふんふんと鼻歌混じりし廊下を歩く。階段を降りて玄関の方へと回る。
そして私の足は止まった。自然と、ブレーキをかけたみたいに。
「お部屋にお戻りください」
玄関前の扉の前にナギが立っていた。私は思わず後ろを振り返る。追いかけてきた様子もなければ途中で抜かされたような記憶もない。
また目の前に佇む少年へと視線を向ける。足先から頭のてっぺんまで、そこにいるのは確かに先ほどまで部屋にいたはずのナギである。涼しげな顔は息一つ上がっていないし、髪の一房ですら乱れた形跡はない。
私はズズと、足を引き摺るようにして後ずさった。振り返るや否や、床を蹴り上げ一目散に駆け出した。
廊下を走り、時折物陰に隠れ、それを何度も繰り返して早三十分ほど。
その間ナギは息を切らすことなく、淡々と私の後ろをつけていき、先回りをして「お勉強のお時間です」「お部屋にお戻りください」を繰り返す。
さながら自動人形のような動きは不気味以外の何物でもない。恐怖心と反骨精神を半々に、散々逃げ回った挙句に私はついぞ膝を折る。
夥しい量の汗と熱い呼気。四つん這い状態で肩で息をするディアナお嬢様の姿を使用人たちは遠目から窺っていた。
「お戻りください」
影が刺さる。頭上から皮肉なほどに平坦な声が落ちてくる。
はあ、はあと息を整え私は顔を上げた。
ナギはやはり無表情だった。表情筋というものが死んでいるのではないかと思うほどに。不自然なほどに。
「……わかった。戻る」
だから手を貸してくれと言えば、細い指が伸びたスラリとした手が差し出される。それを掴んで、ヨロヨロと立ち上がる――。
「おらよっ!」
と見せかけてそのままナギの腕を引っ張った。しかしナギは一歩足を前に出して、体を前傾させただけ。私の頭の中で思い描いたように転ぶことはなかった。
「あっ」
失敗したと瞬時に理解した私は再び廊下を走り出す。
一泡吹かせてやろうとしたが、流石に上手くいかなったか、などと反省の色のないことを考えながら、口元はわずかにニヤけていた。
(死んでたわけじゃなかったか)
わずかに見開かれたあの表情。驚きというにはあまりにも希薄なそれはしかし、あの人形のような少年が見せた人間らしい感情の鱗片。
それを引き出せただけでも、一矢報いたりな気分の高まりが胸を満たした。
(あいつ、絶対味方につけてやる)
元々のナギとディアナの関係性など覚えていないが、少なくとも今のナギと私の間に上下関係はない。
お父様に完全に洗脳されてしまったお人形でないのなら、あるいは……。
そんな思惑を秘めて走った先では、案の定ナギが先回りをして待ち構えていた。




