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9月27日

 「というわけだから、剣の稽古をつけてくれ」

 「はえ? ちょ、ちょっと待ってよ!?」

 私が使用人に内密に取り寄せさせた木剣をずいと差し出しながら言えば、カイルはこめかみを抑えた。

 「ちょっと理解が追いつかないんだけど。君は今、自分が何を言っているのかわかってるの?」

 「わかってる」こくりと頷いた。

 「自分の立場は?」

 「わかっている。……そんなにダメなことなのか?」

 片眉を上げて問えば、彼はダメじゃないけどなどと口籠る。

 少なくとも良い印象は抱いていないようだ。

 「魔術師の子どもが剣を握るって本当ならばありえないことなんだよ。そりゃ、魔術師の中でも騎士として上に昇ろうとする人は一定数いるし、僕みたいに護身のために身につける人もいっぱいいる。でも女の子で剣を握るなんて……聞いたことがないよ」

 ちらっと使用人の方を見やる。私の息がかかった、もとい頭を打ち付ける前の私の冷徹ビームと、打ちつけた後の不機嫌ビームをくらっている彼女たちが私のやろうとしていることに強く口出しできるわけもなく、怯えた様子でただ黙って頭を下げていた。

 「じゃあ私も護身として身につける。それならいいだろ?」

 「護身なら魔術でも十分だよ。王族みたいな、誰が敵か味方かもわからない環境に身を置く僕と違って、ディアナはティフォン家の絶対的な保護下にあるんだから」

 私はむすっと口をへの字に曲げた。今日は随分とおしゃべりなやつだ。ビビられるよりはマシだが、正論パンチを繰り出されるのは私としては大いに困るし、苛立ってくる。

 足立花もそうだったが、私自身もだいぶ短気な方らしい。

 とはいえ、護衛の人間に頭を下げるのは仮にも十年間、名誉あるティフォン家の一人娘として生きてきたプライドが許さないし、だからと言って外から剣の師を募るにはお父様に話を通す必要があるから不可能。

 となればあと頼れるのは、常にギクシャクしているお城にお住まいのこちらの王子だったのだが、なかなかどうして私の想像に反して粘りやがる。

 「それに、仮に僕から剣の扱い方を教えたとしてもだよ? 騎士になるのは無理だよ。女の騎士がいたなんて聞いたことないもでしょ?」

 「ないけど……」

 プッ、と額に一本熱が宿る。カイルはそうです、などと大仰に頷いて見せた。

 「でしょう? 頭を打ってしまって色々錯乱しているんだろうけど、だからといってわざわざ魔術師から騎士に転身する必要は君にはないって」

 プッ、とまたなんか額の上で音がした。腹から沸々と何かが滾ってくる。

 「下級魔術師の男児であればそういう選択を取る方もいる。でも君はティフォンの跡取りなんだよ? これ以上ないくらいに恵まれた環境にあるのに、どうしてわざわざ前例のない苦しい環境に身を置こうとするの?」

 プッ、と額の血管が主張してくる。

 恵まれた環境? はぁ、まあ確かに普通だったらそう考えるだろうけどな。

 「そ、それに……。君は僕の婚約者でもある。だから頼りないかもだけど、いざという時は、僕を――」

 プッ、プッチン。

 額に浮かんだ筋が弾けたと同時に、グッとカイルの首根っこを片手で抱え込んで、目ん玉の中を覗き込むようにして引き寄せる。

 「お、お嬢様!?」

 駆け寄ろうとする使用人たちを無言で一瞥すれば、彼女たちは首を竦めて立ち止まった。

 カイルに向き直れば、今の状況が理解できていないのかしきりに瞼をぱちくりさせ、やがてさっと青白くなった。

 「カイル」ギリギリカイルに聞こえる程度の声量で囁く。

 「私はここにいても碌な人生なんて待っちゃいない」

 「なっ……?」

 「だから一人で生きていかなくちゃならない。そのためには魔術師以外の生き方をするしかないと思ってる。頭打って錯乱して精神やっちまったから言ってるんじゃない。頭打って正気になって、漸くここの歪さに気づいたから言ってるんだ」

 「歪さ?」

 カイルは目を細める。

 「目に見えてるもんだけじゃないんだよここは。だから、私は抗わないといけない」

 利用されないように。そしてあいつらの思い通りにさせないために。

 「その結論が騎士になること、なの?」

 「そうだ」

 自分の身は自分で守る。ついでに箔をつけて後ろ盾もつけることができれば、ティフォンから独立して生きることもできるかもしれない。

 所詮子どもが考えた夢でしかないが、狭い世界しか知ることができない私が取れる中では一番ここから遠ざかることができる選択だ。

 私は押し退けるように手を離した。カイルはよろよろと数歩後退した。

 ふぅと肺の中を空っぽにして、頭を下げる。

 「乱暴なことをして悪かったな。どうあれ結局は私の問題なのに。……さっき言ったことはなかったことにさせてほしい」

 頭に血が上ったとはいえ、一国の王子殿下相手にやってはいけないことをしてしまった。もし使用人の誰かがチクったらその場で婚約は破棄され、今後カイルに近づくこともできなくなるだろう。

 無論、こんなことを言い出しているくらいだからそれ自体は問題ではない。遅かれ早かれ私がここを出たら彼との婚約は断ち消えると思うから。

 問題は何も事情を知らないカイルを頼り、一方的に要求を押し付け、挙げ句の果てに激情したという事実である。

 (これじゃ、ゲームのディアナと同じだ)

 私は変わらなくてはいけない。

 高慢で冷徹な悪役令嬢のディアナにならないためにも。恋愛依存系性悪女にならないためにも。

 そのためにはまず、自分以外の人間を理解しなくてはいけない。

 ゲームのディアナが崩壊した一因は第一にその高慢な性格からレビンと父親以外の全てを見下していたため。

 そしてそれ故に尊敬していたレビンと父親に対して盲目になっていたからだ。

 今の私にしたってそうだ。騎士になるための道を開こうとして、カイルの気持ちなどお構いなしに動いて、諭されたら苛立って……。

 (こんな私ではダメなのに)

 脳が自省を吐き出し、私はフルフルと緩慢な動作で首を横に振った。

 「もう少し、自分で何ができるか考えてみるべきだよな。本当にすまなかった」

 立ち去ろうとして背中を向ける。

 「ま、待って!」

 手首が握られ腕がピンと伸びる。反射的に振り返ると、カイルは湿っぽい翡翠色の瞳でじっと私を見つめていた。

 「教えるよ、剣」

 「……本当か?」

 自分で願い出ておきながら、情けない声が出た。

 「うん。僕に教えられることなんてたかが知れているけれど、君が本気でそうしたいというのであれば、協力したいと思うから」

 先程詰め寄られたせいで、今にも泣き出しそうな顔をしているというのに、こいつの口から出てきた言葉はその表情に似合ったナヨナヨとしたものではなく、真摯的な響きを持っていた。

 「でもいいのか? さっきまであんなに反対していたのに」

 「そりゃ反対はするよ。でも……。あ、あの、笑わないでほしいん、だけど」

 カイルの視線が横へと向いて、恥ずかしそうに頬を掻いた。

 「実は僕、人から何かをお願いされたのって初めてだったんだ。だから、正直どうすればいいかわからなかった。こういう時は正しいことを言うべきだと思ってたんだよ。当たり障りのない、もっともなことを。

 でも、君が本心を曝け出してくれたのであれば、僕も本心で接するべきだと思う」

 視線が戻ってくる。先ほどまでの恥じらいは感じられない、清々しい瞳が私の顔を映していた。

 「正直、君の言っていることの真意hわからないよ。頭を打って変な妄想でもしているのかとも疑ってはいるんだ」

 (結構言うな)

 オドオドしつつ、内心なんだこいつと思っていたわけだ。それはそれで、怯えられるよりも複雑なんだが。

 でも、とカイルは言葉を繋ぐ。

 「僕は人に頼りにされるなんて初めてだったから、僕は嬉しかった。だから、その気持ちの方に僕は答えたい!」

 熱く訴えかけるカイルの姿を見て、私は圧倒されていた。

 自分が知っている物静かで内気な少年王子の姿も、ゲームのヘタレな男の姿もない。

 (これが根っこの部分だった、のか?)

 ゲームのディアナが覆してしまった部分を、自分は今、垣間見ているのではないかという考えが過って、記憶と乖離した姿に胸が密かに締め付けられる。

 胸の蟠りと真剣な眼差しから逃れるように瞼を閉ざし、大仰に頷く。再び開いた瞼の奥はしっかりと目の前の少しだけ凛々しいカイルの瞳を見つめる。

 「……なら、早速よろしく頼む。言っておくが私は運動らしい運動も今までしてこなかった。その点も踏まえてわかりやすく教えてくれ」

 「わ、わかった!」

 「あと」被せるように言う。

 「これからは遠慮はするな。私に意見があるならなんでも言ってくれて。……なるべく、聞く耳持つようにするからさ」

 「……うん!」

 パッと口元を綻ばせて頷くカイル。

 これはきっと私たちが何のしがらみも関係なく、ただの友人になるための最初の一歩。

 私たちの行く道が大きく変わる、最初の分岐点。

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