9月20日①
うんこ座り事件から一週間ほど経った。
あの日から私は吹っ切れた。
足立花の記憶を頼りに蛮族のような振る舞いをし、下品な言葉を使った。
これがもう馴染みやすいもので、再度、足立花という女は私の前世だったのだと確信する。
最初は屋敷中の全員が全員、驚いた様子だったが、三日もすれば表面上は落ち着きを取り戻す。
さすが人に仕える人だと密かに関心したものだ。
だが、皆が切り替えていく中で、私の教育係は今も頭を抱えているらしい。少し気の毒ではあるが、子どもの成長を見届けたということにしてほしい。
しかし、こんなちょっとした騒ぎになってもお父様は自分の娘の様子一つ見に来ない。
それとなく聞き耳を立てたが、今は王都にある別邸ではなく、私が今いるここ、ティフォン領の本邸に滞在しているらしいので、噂くらいは耳にしてるだろう。
まあ、気にしても仕方がない。そういう男なのだ。
素行を悪くして、さらに魔術の勉強を怠けることで、ティフォン家の跡継ぎとしての役目が返上できれば上々。
一方で、使い物にならないからと実験体にでもされては元も子もないので、逃げる練習と筋トレはかかさない。おかげでだいぶ身軽になった気がする。
さて、そんな私だが、今日は一週間ぶりくらいにお高いワンピースを身に纏っていた。
理由はというと、目の前に座ってずっと下を向いている男の子。決して目線を合わせようともしなければ、借りてきた子猫よろしくプルプル震えている。
淡いふわふわとした金髪に、今にも泣きそうな緑色の瞳。
妖精のような容姿と絶賛されているこの少年の名はカイル・ソルディオ。
ここ、トルドナ国の第三王子であり、王族との繋がりを深めるためにあてがわれた私の許嫁だ。
その許嫁殿、会って五分と経ってないのに顔面は蒼白で、今にも泣き出しそうである。
許嫁というくらいだから今までに何回も会ったことはあるが、口数は互いに多くないので、ほとんど無言のままティータイムをして解散するだけの関係であり、二人して親の機嫌取るためだけの形式的なお茶の時間だった。
その時ですら、少なくとも涙目にはなっていなかった。震えてもいなかった。だが今はご覧の通りの有様で、完全にビビっている。
(ってことは、向こうにも私の異変は伝わっているってことか)
それなのに、定期茶会(私命名)には律儀に顔を出すのは少し意外だ。
父親の手前行かざるを得なかったのか。将又来なかったら今の私に殴られるとでも思ったのか。
(どちらにせよ、この状況はまずい)
私は彼と事を荒立てるつもりはない。寧ろ友好的な関係を所望している。
それに、友だちが少ない私にとって、彼は唯一、この世界の事を、そして私の周囲の状況を客観的に知るための足がかりになる人物だ。
もう一人、接点があるのはレビンだが……。言わずもがな、彼を頼るつもりはさらさらない。
だが、使用人が監視していると満足に話もできないし。はてさてどうしたものか、と、窓の向こうの空を見上げる。程よく雲が流れる、絵に描いたようなお天気が広がっていた。
「外に行くか」
「へ?」
ぼそっと呟いただけだが、カイルの耳には届いたらしい。弱々しい視線が窓の方へと向けられた。
「外に行く。おい、このティーセット、外に持っていってくれ。菓子だけでもいい」
「お嬢様? しかし――」
「せっかく天気がいいんだ。外の方がいい。行きますよ、カイル様」
「えっ? ちょっと、待ってよ」
颯爽と部屋を出る私の後ろをちょこまかとカイルがついて歩く。
(安心しろ、悪いようにはしないさ)
と、心の中で顔面蒼白を通り越して青くなっていた二人の哀れな監視役に言葉をかけた。
カイル・ソルディオ。
トルドナ国第三王子。
現在の年齢は誕生日の関係で九歳だが、ディアナとは同い年の幼馴染。双方の親が決めた正式な許嫁で、何を隠そう、例のゲームの攻略対象である。
作中では、金髪緑眼の美青年。
しかし、知略の長兄、武芸の次男と比べ、秀でた力のなかったカイルは優秀なレビンと彼を比較するディアナから精神的に追い詰められ、自分の容姿にしか価値を見出せない人間へと成り果てる。
そのため、好まれる自分を演じ続けた結果、誰に対してもヘラヘラとしていて、軽薄な卑屈男として、主人公リリスの前に現れる。
そのカイルって男の物語は私も覚えがあるが、足立花の言葉を借りるのならば、誰にでもいい顔をするヘタレな優男。八方美人ってやつだ。
出来た兄を持ったことによる周囲の目と、ディアナからはレビンと比較されいじめを受けたことで、自己肯定感が極端に低くなってしまった彼は、微笑みを絶やさずいることで、そのことを隠してる。
ストーリー上、何度もヘタレで情けないシーンが出てくるものだから、足立花は『ヘタレ王子』と呼んでいた。
正直言って色々拗らせてる分、面倒臭いやつだったというなんとなくの感想は今も残っている。
とはいえ、今は妖精王子などと呼ばれていた少年の姿。
ただ自信がなくてクヨクヨメソメソしているだけな分、私にも心を開いてくれやすいはずという淡い期待が胸にある。
それに何を隠そう、私はまだ彼を虐めていない。
おそらくだが、ディアナがカイルを邪険に扱うのは正式にレビンに恋した後だったのだろう。
(ゲーム上のカイルはお父様と敵対する関係にある。カイルとの仲を深めておけば、いざ冤罪をふっかけられた時とか助けてくれるかもしれない)
敵の敵を味方につけよう作戦決行だ、などという下心を胸に秘め、ぐんぐん歩いていく。
適当に開けた花壇の中央あたりで足を止めると、後ろからそそくさと使用人たちがやってきて椅子とテーブルをセッティングする。
「あ、あの、どうして外に?」
カイルはキョロキョロと周囲を伺いながら尋ねる。大型動物を恐れるリスみたいな動きだ。
「言ったでしょう。天気がいいからです」
「でも、今まではそんなこと一度も……」
確かに頭を打つ前の私は外に出るのを嫌がっていた。
だって肌が焼けるし、眩しいのは好きではない。それは今も変わらない。
しかし、過度に緊張しているらしいこいつと密室でお話なんてできるとは思えない。使用人に色々勘ぐられるのも面倒だ。
「たまにはいいでしょう。気分転換です」
「は、はぁ」
私が椅子に腰掛ければ、カイルも椅子に浅く座る。
飴色の紅茶がティーカップに注がれるのを横目で見ながら、私は使用人に離れたところにいるように指示を出した。
彼女たちが一礼して去った後。縮こまっているカイルに話しかける。
「カイル様、私のこと、聞いておられるのでしょう?」
「え、あ、はい……」
仮にも王子ならばもう少しシャンとできないものだろうか。私は内心呆れながらも続ける。
「私は頭を打って人が変わってしまったようなのです」
故意に変えているとは口にしなかった。
あくまで頭を打って性格ごと変わってしまいました、の方が単純で分かりやすい。
「そう、らしいね。まさか本当のことだとは……。半信半疑だったんだけど……」
顎を引いて上目遣いで私の様子を伺っていた。怯えてはいるようだが会話ができるならマシか。
「しかし、事実として私の思考回路は少し変わってしまったようなのです。というわけでカイル様にお願いがあります」
「は、はい!」
「私にこの国のことを教えてください」
「……はい?」とカイルは訝しむように目を細めた。
「えっと。国のことって、地理とか歴史とか、そういう話でしょうか?」
(地理とか歴史を知ったところで何か活かせることでもあるのか?)
魔術の歴史であれば多少知識はある。だが、今聞きたいことはそういうことではなく、
「具体的には今も存在する四賢人のこととか、現在に続く末裔たちのこととか」
あのゲームの中で出てきた攻略対象たちと舞台となる王立学院の情報こそ、私は求めているのである。
私の記憶、そして知識と他者の認識に相違がないか確認しなくては、抗うための道筋すら見つけられない。
突然の申し出に困惑を隠しきれないカイルは暫く黙り込んでいたが、やがてこくりと頷いてくれる。
「わかったよ。僕で話せることでよければ」
未だ緊張した面持ちでそう言った。




