10月25日⑥
薄闇を張った空が、窓の外から覗く。
図書室と名を打った大部屋から、生徒たちの影もなくなった廊下に金髪の青年がふらりと姿を表した。
この時間であれば、自分とお近づきになりたがる生徒たちもいない。
学院の校門までとはいえ、ゆっくりと自分のペースで歩ける時間は彼にとって何よりも貴重な時間だ。
しかし、不意に感じる魔力の波動が、そんな彼の穏やかな心をかき乱す。
引き寄せられるように窓枠へと手をかけ、下方へと視線を飛ばす。
(景色が、歪んでる)
覗き込んだ先は裏庭。侘しい景色は、まるで水の中にでもあるように、その姿を湾曲させていた。
(それにこの魔力の乱れ……。間違いない、誰かがここで――)
「おや、こんなところで何をしておいでですか。そろそろ門が閉まる時間。許可がない者は早急に学院から立ち去らないと、先生方が困りますよ?」
背後からの声に、金髪の青年は反射的に振り返り、身構えた。
声をかけてきた青年――レビンは彼の反応に驚いたかのように目を丸くして軽く両腕を上げて見せた。
「曲者ではありませんよ? 先生方のために慈善活動をしている生徒会長です」
「レビン――。ごめん、大袈裟だった」
「いえいえ。僕こそ驚かせてしまったようで申し訳ございません」
柔らかい笑顔を向けるレビンは、そのまま窓に背を凭れる。外を覗き込む様子はなく、何もないはずの廊下へと視線を投げていた。
「それにしても人気者は大変ですね。女生徒のアプローチに男子生徒の好奇心は今や全てあなたへと向けられています。僕も生徒会長として助けてあげられればいいのですが、近寄ることも困難ですよ。ねえ、カイル殿下?」
ゆっくりと顔を上げる。窓に映った自分の顔は険しい。
レビンは含み笑いをうっすらと浮かべた。
「こんなに注目されては、想い人に近づくのも難しい」
「……彼女は、君が勘繰っているようなものではないよ」
目の前で薄ら笑みを浮かべる彼に自分の感情を定義されたことに苛立ちを覚え、鋭い視線を向けた。
しかし、彼はそんな睨みなどどこ吹く風で続ける。
「今やあなたはこの学院に留まらずトルドナ国中の視線を独り占めしている。不用意に近づけば、異端児としてのレッテルを貼られた彼女にも好奇の目は向くでしょう」
「随分と詳しいみたいだね」
「ふふ、壁に耳あり障子に目ありと言いますから。ヴァルティの後継者としてはこのくらいできなくては」
張り詰めた雰囲気が二人を包む。睨み合いすらない静かな問答だけがピリピリと空気を震わせている。
「ではそんなカイル殿下に一つ、面白いお話を教えて差し上げましょう」
カイルの片眉が持ち上がる。
「裏庭」
カイルの返事など待たずに、口の端を持ち上げたまま呟かれた言葉は水平な水面に垂れた雫のように静かに響き渡る。
「あれは命約の魔術……魔術決闘による魔力の乱れです」
「魔術決闘? ……まさか」
カイルは再び裏庭を見下ろす。
レビンがわざわざそのことを口にするということは、その魔術決闘を行なっているのはおそらく――。
弾き出された答えに背中を押され、カイルは駆け出そうと数歩足を出す。しかし、それはカイルの一声で制止することとなる。
「無理ですよ。わかっているでしょう」
止まった足。垂れた両手の平に力が籠る。
急き立つ気持ちとは裏腹に、脳の冷静な部分がレビンの言葉を肯定する。
「まあ、相手が相手ですから下手なことにはならないでしょう。それよりも僕は、二人の決闘の結果の方が気になる。中々、面白いカードなんですよ」
「君は決闘相手のことも知ってるのか」
「ええ。だって僕、彼のことも興味がありますからね。君や、彼女と同じくらい」
まるで新しいおもちゃを与えられた子どものような視線に悪寒が走る。
その表情は穏やかななのに、微笑みは和やかなのに、底知れない何かが彼の内側から感じられた。
レビンはふふ、と上品に笑うと窓台に肘をつき、裏庭を眺める。
「そろそろ決着がつく頃合いじゃないかなって思うんですけどね」
などと細めた目が、次の瞬間大きく見開かれる。
その変化に気づくよりも先に、あたりが強い光に包まれ、カイルは思わず目を瞑って腕で顔を覆い隠す。
強い光はすぐに収まり、放心したように一点を見つめるレビンの横から裏庭を覗き込む。
先ほどまであったはずの空気の歪みはなくなり、暗がりの中に数人の影がぼんやりと浮かんでいる。
女性の悲鳴にも似た声呼びかけが、窓を通り抜けて耳に飛び込んでくる。
「……っ」
カイルが駆け出す。早く医者を呼ばなくては、その一点だけが彼の頭の中で巡っている。もはや先ほどまでの緊迫したやりとりすら、些事に過ぎない。
一人取り残されたレビンは、未だに裏庭の、そこに立つ一人へと目を奪われていた。
刹那、不意に彼の唇の端が裂けんばかりに持ち上がった。
「ああ、ここにいたのか」
窓が彼の表情を映す。
恍惚としたような、狂気を感じさせるような笑み。
美しい悪魔が愉悦を噛み締めるような笑顔がガラスの中に浮かんでいる。




