10月25日③
「すげー。何これ」
私は周囲をキョロキョロと見回しながら捻りのない感想を漏らす。
「魔術決闘の会場、みたいなもの。これで僕たちがドンパチやっても誰にも、どこにも被害は出ない。邪魔できるものもいない」
私とは裏腹に冷めた口調でマークは解説する。その内容にアルヴィンの話が脳裏を掠めた。
(誰も介入できないって、こういうことか」
隔離空間が作られるから誰も介入できない。代わりにこちらが何をしても外に被害は出ない。
(とんでもない魔術だな)
今ではインテリに成り下がった魔術師も、昔は好戦的だったのかもしれない。
そう思いを馳せると胸が熱くなる。
「じゃあ、もう始めてもいいってことか?」
「うん。……その前に一ついい?」
「なんだよ」
マークは眼鏡の縁をくいと持ち上げる。
「さっきの命約の内容は何?」
「そのまんまの意味だが。正直、あんたに求めるものなんてないし。だから、先輩後輩として仲良くなろうってね」
そんでもって、私に対する敵意を削ごうとね。流石に口にはしないが。
「それ、本気?」
私の答えがお気に召さなかったのか、マークは眉を顰める。
「どう解釈しようがあんた次第だ。どっちにしろ、私たちは雌雄を争わなきゃならないんだから」
「それもそうだね。なら、考えるのは後にする」
そういうとマークは目を細める。力なく垂れた手が絵筆のように円を描いていく。
「仕掛けないなら、僕から行く」
緩慢な動きはせめてもの私への配慮なのだろう。
攻撃に備えて構えの姿勢を取ると同時に、マークは細い指を俊敏に動かし出す。
「手始めに『ウィン・ティール・ダエグ(風刃)』」
マークの指が魔術文字を刻んだ途端、魔法陣が淡い黄緑色の光を放つ。
刹那、風の流れが変わる。
空気を振動させる力。魔法陣の周囲で渦を巻く風が一対の刃となって左右から私の体を裂きにかかる。
身を翻し刃を見送れば、風に煽られた黒髪が視界を遮った。
「ちゃんと狙ってくるんだな」
自然と笑みが溢れた。
マークは仏頂面のまま、次の魔法陣を展開しにかかる。
『ウィン・ティール・ダエグ(風刃)』
新たな刃が生成され、私の体を挟み撃ちにしようと襲いかかる。
背中スレスレで温度のない刃を受け、そのまま右へと大回りで駆け出す。
そんな私の後を風刃が追いかけるように空を切り捨てていく。
前方からの刃を飛び越え、掌に魔法陣を展開する。
『ハガル・ゲル・イング(雪崩)」
白い光を纏った魔法陣を天高く掲げ上げ、思いっきり振り下ろす。
その途端、マークの頭上に私の掌と同じ魔法陣が浮かび上がり、雪が滝のように傾れ込む。
しかし、それで巻き添えを喰らうようなやつではない。
マークは冷めた視線を上へと向け、後方へと飛び退く。
『ソーン・ラド(火球)』
マークの掌から炎の弾丸が飛び出し、雪崩の土手っ腹に風穴を開ける。
そのままマークは銃を連射させるように火の球を私へと向けてくる。
「ちょっとは遠慮してもらいたいんだが」
「魔術決闘っていうのは、どちらかが動かなくなるか、負けを認めるまで続くんだ。動けなくしないと意味がないでしょ」
「それって、死ぬまでってこと?」
「安心していいよ。最悪でも瀕死に留めておいてあげる」
「へっ、本当に生意気だなあんた! 『ラグ・ラド・フィオ(水流)』」
大回りに走りながら自分の上に魔法陣を展開する。腕を振り下ろせば私を台風の目のようにして、囲うように滝が流れる。
滝の勢いに飲まれた火球はシュボシュボと細い煙を上げて消えていく。
描いた魔法陣を腕でかき消せば、流れは止まる。水浸しの床がブーツを濡らしていた。
「私は加減ができないんだが、それでも大丈夫か」
「言ったでしょ。どうせ、僕が勝つ。絶対に」
獰猛な色を帯びた光が眼鏡の奥でギラついた。
時を同じくして、アルヴィンは欠伸を噛み締めながら家路につかんと職員室を出た。
教師としての仕事の傍ら、事務仕事に疎いロットの補佐と、自分がいない間でも騎士団が円滑に回るように諸々の庶務を請け負っている彼の疲労は計り知れない。
それでものらりくらりと日々の業務をこなすことができるのは、アルヴィンの容量の良さの賜物である。
そのため、疲れこそ感じるが、キャパオーバーや心労を抱くことはない。しかし、この日ばかりは少し違った。
階段を降りる足がいつもより少し早いのもおそらくはそのせい。
そして、その無意識下に急いた結果、見覚えのある姿にかち合う。
「うおっ、リリス」
猛スピードで駆け上がってきたのは見紛うことなく彼の妹であるリリスだ。
「あ、兄さん、今帰りなんだ。ちょっと待って私忘れ物取りに行ってくるー」
話しながらも走るのをやめなかった彼女の声はアルヴィンを素通りして尻すぼみしていく。
「まったく……。なんだってあんなに落ち着きがないんだか」
やれやれと肩を竦めるも、リリスが忘れ物を取りに戻るまで待つのはやぶさかではない。
家に帰れば顔を合わせることができるとはいえ、一緒に下校できる機会などまずない。
魔術学校の棟の階段を上り、リリスの教室がある階の廊下の窓枠に手を置く。窓の外から見下ろす裏庭は夕日の光を受けて暗い橙色をしている。
(まあ、見えるわけないよな)
魔術決闘とは、賢者たちが魔術師同士の正否を決するために行わせたもので、決闘の場は何人たりとも乱すことはできないように隔離される。
だから、ディアナの姿もマークの姿もそこにあるはずなのに見ることも、触ることもできない。
空間そのものが存在するのに感知することができなくなるのだ。
(並大抵のやつだったら、放置してもいいんだが)
引っかかるのは決闘の相手がクロニエの子息であるマークということ。
マークの実力は未だに未知数だが、あのレビンをも凌ぐのではないかと噂する人は少なくない。
(火のないところに煙は立たないとも言うし――)
「兄さん?」
「おっと、リリス。忘れ物はあったのか?」
考え事をしていたせいで戻ってきたリリスに気づかなかったアルヴィンは咄嗟に彼女に微笑む。
「うん。教本で奥に追いやっちゃったみたいでしわくちゃだけどあったよ。それで、何を見てたの? 裏庭?」
リリスがアルヴィンの横から裏庭を覗き込む。
「相変わらず殺風景だなと思ってさ。人の目に触れやすいから整備してもいいと思うんだが」
「兄さん」
「どうした?」
他愛のない会話へと誘おうとしたアルヴィンの思惑とは裏腹にリリスは深刻な表情で顔をあげる。
幽霊でも見たように青ざめた顔に、アルヴィンの微笑みも剥がれ落ちる。
「あれ、何?」
震えた桃色の瞳は再び裏庭を覗き込む。
橙色の草むらが、陽炎のようにゆらゆらと揺れていた。
魔術式にルビを振ろうとしたら10文字以下にしてくださいと言われ、泣く泣く括弧になりました。無念。




