10月23日①
麗らかな秋風を受けた昼休み。
高く登った太陽の光が優しく体を包み込み、場所が場所なら心地よい毛布になっただろうな、などと考える。
しかしながら、今私のいる場所はこの学院の中で最も座り心地の悪いボロベンチである。寝られるわけがない。
おまけに、今日はどういうわけか学院のあちこちが騒がしい。
騒がしいのは大方、魔術学校の棟の方だが、裏庭は魔術学校と騎士学校の間にあることもありその喧騒を諸に食らうことになっていた。
それに負けじと、グルル、腹が空腹を訴える。
「本日はリリス嬢はいらっしゃらないのでしょうか」
「まあ、別に特別約束してるわけじゃないからそういう日もあるだろうが。せめて一言言ってほしいぜ。そうすればナギの弁当にありつけたのに」
背もたれに沿わせるように伸ばした腕、だらりと背後に仰け反った頭をグイっと前へと引き寄せれば、私の言葉を肯定するようにベンチがぎしりと音を鳴らす。
「お嬢様がそういうかと思いまして、私、準備をしてまいりました」
「マジかよ、さすがだな」
ナギは無言で大仰に頷くと、どこからともなく風呂敷を取り出して中身を広げる。
弁当箱の中にはバジルの香りが鼻腔を擽るパスタが、無駄におしゃれにトグロを巻いていた。
「朝摘みのバジルを使用いたしました」
「おお!」
リリスのワンパターン、もとい得意料理のアレンジに見慣れていたせいか、昼間に見るクロワッサン以外の弁当のうまそうなこと。思わず感嘆の声が漏れてしまう。
「いただきまー……す?」
フォークで巻き取ったグリーンのパスタを迎え入れようと大口を開けた私は、いつまで経っても口の中に飛び込んでこないそれに閉じていた瞼を持ち上げる。
目と鼻の先にパスタがある。間違いなく私の口に入れられるのを待っている。
なのに、それ以上近づいてこない。というより、そのパスタを運んでいる私の腕が時間でも止められたかのようにピタリと止まっている。
試しに左腕で引っ張ってみるが、やはり石のように空中で止まったまま動かない。
「な、なんだこれ!?」
グイグイと前へ後ろへと押したり引っ張ったりを繰り返すもびくともしない。
「お嬢様、あちらを」
ナギが僅かに目を細め顎で何かを差す。私は不機嫌マックスの顔で言われた方へと視線を投げた。
ボーボーと草が繁茂しているこの裏庭に立ち寄る生徒などまずいない。
それがプライド高い魔術師ならば尚更。だからこそ、私はここを昼寝スポットにしているのだ。
しかし、そいつは自分の白いローブが草に塗れることなどどうとも思っていないように、獣道(私が長年通い詰めて作ったもの)を歩いてくる。
「なんだ。魔術の心得があるって聞いていたから警戒していたんだけど、拍子抜けだね」
フードを目深に被った男――男というのは背丈と声からの判別だが――は私たちから3メートルほど離れた場所で立ち止まる。
グレーのシャツに黒いブカブカのズボン。腰には試験管のような細長い瓶がぶら下がっている。
魔術師にしては随分とお粗末な格好だが、胸元に光る青いループタイが、彼もまた学院の生徒であると主張する。
おそらくは、一年生。記憶が正しければ。
「あんた、人が食事してる時は邪魔するなって親から習わなかったのか」
「生憎、僕は人と一緒に食事をする機会が滅多になくてね。知らないね」
太々しい返事に私は舌打ちする。
「お嬢様、捕らえましょうか」
「まだいい。――おい! あんたが誰か知らないが、私に何の用だ。喧嘩売るなら顔くらい見せろ」
目を怒らせてそう叫ぶ。普通ならこの時点で少しは怯むんだが、この男、少しは度胸があるのか全く動揺した様子なく、「ふーん」なんて気のない返事を返す。
「それが騎士の礼儀ってやつなの? なら、これでいいでしょ」
フードを後ろに押し上げると、緋色の髪がぱらりと落ちた。
白い端正な顔には大きな丸眼鏡。その奥の瞳は気だるげに、しかし強い光を放ってこちらを見据えている。
「――っ」
「お嬢様?」
その素顔を見て、私は息を呑んだ。
そいつの顔には見覚えがある。頭の奥深くで、何かがガンガンと警告を鳴らす。
名前、名前は、確か――。
「騎士ってのは、武勇を上げるために相手に名を叫ぶ習性があるんだっけ? なら、名乗ってあげるよ。
僕は、マーク。マーク・クロニエ」
ああそうだ。マーク・クロニエ。
その名前は確かに、私の記憶にある、最後の攻略対象の名前だった。
その日、リリスはアルヴィンから呼び出しを受けていた。
昨日の件がバレたのではないかとビクビクしながら職員室に向かった彼女は案の定、心配性な兄からお小言をいただいていた。
しかし、ロットが手を回してくれたようで『大通りで不審な輩に絡まれていただけ』という筋書きに置き換わっていたこともあり、想像の十分の一程度のお小言で済んだのは不幸中の幸いだろう。
もし『不審な輩に声をかけられた挙句、裏路地に連れ込まれた』ことを明け透けに伝えられていたら、どうなっていたことか。想像するだけで、身震いが止まらない。
「昨日は俺も仕事でいなかったし、お前ももう1人歩きしても大丈夫だと思ったんだが、早かったか」
呆れているアルヴィンにそんなことない! と講義したかったが、昨日のこともあって強気に出ることもできず、ただ小さくなることしかできなかった。
そうして昼休みも半ばを過ぎた頃に解放されて、トボトボと廊下を歩いているというのが、今までのリリスの経緯である。
「あーあ。ディアナ、もうお昼食べてるよね。今日は1人でご飯食べようかな」
時間的にも、あのディアナが自分を待ってくれているとは思えない。
いっそのこと、あのまま職員室に居座ってアルヴィンと昼食を共にした方がよかったかもしれないと少し後悔する。
学院に入学してからというもの、ディアナと昼食は共にしていたのだ。ポツンと1人でご飯を食べることに対する虚しさを感じずにいられないだろう。
深々とため息をついて曲がり角に差し掛かる。
その時、不意に目の前に人影が現れてリリスは咄嗟に体を後ろに仰け反らせた。
足を一歩、後ろに下げて体を支える、はずだったのだが。リリスは決して運動神経がいい方とは言えず、体を支えるよりも前にバランスを崩してしまう。
(あっ)
「危ない!」
そのまま無様に尻餅をつくものだと固くなった体がふんわりと抱き抱えられる。衝撃に備えるために閉ざした瞼を恐る恐る開く。
「ごめんね、大丈夫だった?」
間近に迫った妖精の微笑みに一瞬思考が停止する。
金色のふわふわとした癖毛が太陽の光を受けてキラキラと瞬いて、リリスは思わず目を細めた。
「どこか痛むの?」
その表情の変化が痛みが生じた故だと考えた妖精は眉を顰める。リリスはハッとして首を勢いよく左右に振りながら、彼から距離を取る。
「ち、違うの! いきなりでびっくりしちゃっただけ。私の方こそごめんなさい。怪我はない? えっと――」
驚きと衝撃でドキドキと鼓動する胸を押さえつけながらリリスは逡巡する。
彼の名前はつい先日、色々あってネガティブモードに陥っていたあの日、声をかけてくれた時に確かに聞いた。確か、そう。
「カイレーンくん!」
屈託ない笑顔に、目の前の青年はピシリと動きを止め、数回瞼をはためかせる。
その様子に違和感を感じたリリスの笑顔もピシリと固まる。
(あれ? もしかして間違えた?)
人の名前を覚え間違えるなど、いくら自分の物覚えがあまりよくない方と言えども未聞である。顔から熱がスッと下がっていく。
「ふ、ふふ」
やってしまった。脳内で頭を抱えていたリリスは、抑えきれないといった様子でカイレーンの口から漏れ出た笑い声によって顔を上げる。
「ふふ、あはははは!」
堰を切ったように笑い出すカイレーンに、リリスは困惑の色を濃くする。なぜ笑われているのか、本当にわからないのだ。
「ははっ――、ああ、ごめんね。ふふっ」
一頻り笑うとカイレーンは目元に浮かんだ涙を拭いながらリリスに向き直る。
「ああ、そうそう。僕はカイレーンだ。ごめんね、リリスちゃん。また会ったね」
「は、はあ。別にいいんだけど……。カイレーンくん、なんでここにいるの? 確か来月から入学って話じゃなかったっけ?」
笑われた理由を問いたい気もしたが、名前間違いで笑われたわけではなさそうなので一先ず安心ということで、別の疑問を投げる。
すると、カイレーンは「ん?」と首を傾げる。そんな彼に呼応するようにリリスも「え?」と首を傾げる。
お互いの瞳に疑問符を浮かべながら見つめ合うこと数秒後、先に口を開いたのはカイレーンだった。
「僕、来月って言ったけ?」
「あれ? 来月……じゃなかったけ?」
リリスの言葉にカイレーンは視線を横へとスライドさせて、口元を抑え、頭を巡らせる。
「あー。うん。そう、来月。今日はちょっと手続きとかで来ただけなんだ」
徐々に不安を露わにするリリスに、カイレーンはにっこりと微笑んでみせた。
「それよりも、ちょうど話し相手がほしかったんだ。よければ少しお話ししないかい?」
カイレーンの誘いは、1人寂しく昼食を食べる予定がほぼ確定だったリリスにとってはあまりにも魅力的で、「はい!」と二つ返事で承諾したのだった。




