10月20日 幕間
その日の放課後。
リリスは心ここに在らずといった様子で、フラフラと力無く廊下を歩いていた。
(あの美青年と一つ屋根の下。しかも、二人っきり)
世話係といえど、所詮は赤の他人。そして何より男。その事実がリリスの心に大きな蟠りとなって停滞している。
昼休みの二人のやりとりを見るに、ディアナとナギの間にあるのは確かに主従の関係なのだろう。しかし、そこに強固な信頼があるのは確かで、それが主従愛ではない別の何かにならない可能性はない。
(ううん。寧ろ可能性としては大いにあり得る。だって、父さんと母さんだって最初は――)
そこまで考えて、全身でため息を吐く。
(ダメダメ。ネガティブはダメだ。あの人はディアナの世話係で、それ以外でも入れ以下でもない。ディアナの恋人じゃないことがわかっただけでも喜ばないと)
「……って、私がディアナのそういうこと気にするのもおかしいか」
ディアナに対する憧れは彼女の恋人になりたいとかそう言うものではない、はず。
それでも彼女の人間関係を気にしているのは――。
「あれだ。男の人ばかりの環境だったらしい、女の私がディアナの目からどう見られてるか気になるとかだ。多分。うん、きっとそう」
騎士として日々精進しているディアナは女慣れしていない、とは兄からのリーク情報。実際、ディアナの素行は女性らしさよりは男らしさを感じる。
野蛮令嬢、などと言われているのもそのせいだろう。
しかし、近くでディアナを見ていたリリスは、その言動を野蛮ではなく、勇ましいと称した方がしっくりくると思っていた。
彼女の立ち居振る舞いにはどこか品の良さがある。すっと伸びた姿勢、凛とした声。食べ方だって自分より数段綺麗で、内心焦っていたのはここだけの秘密。
(そして何より、美形。ナギさんも美形だし、もしかしたら私みたいなちんちくりん、友だちとしても見られないかも。
成績だって優秀らしいし、男の人みたいなノリの良さも見せられない……」
「わ、私、ディアナに釣り合うところ、なくない?」
ずんと傍の柱に額を押し当てる。背後を通った眼鏡の不機嫌そうな教師の奇妙な視線も、己が発する陰鬱とした空気に跳ね飛ばされていく。
「ディアナ?」
素通りするはずだった足音の一つが不意に止まる。
「いかがいたしましたか?」
眼鏡の教師が振り返る先、金髪の青年の柔らかな新緑の瞳が周辺の温度から十度ほど低くなっていそうなリリスの哀愁漂う背中へと注がれ、白い皮のブーツの先が誘われるようにそちらへと向かっていく。
「ディアナとお近づきになれただけで浮き足立ってたけど、私、彼女のこと全然知らないんだ。女だからって面倒なやつって思われないように……。ああでも、押し掛けみたいなことしたし、遅いかも……」
ブツブツと呪文でも唱えているかのように不安を吐き出しているリリスに、一瞬気圧されるも、ふうと一息で心を落ち着かせて穏やかな笑みを浮かべる。
「そこのお嬢さん」
「ん? はい?」
「えっと、今、ディアナって言いましたよね? もしかして、彼女のお知り合いですか?」
「ちょっ!? 下手に人に話しかけるなと――!」
眼鏡の教師がただでさえ目つきの悪い目の端を吊り上げ、眉間の皺を深々と刻む。だが、当の本人はその声を片腕で制してリリスを見つめる。
(うわっ、可愛い顔。やっぱり都会の人って顔立ちも端正なのかな? じゃ、なくて)
突然現れた可愛い系の美青年の衝撃により少し逸れた思考を軌道修正する。
知らない人に話しかけられた。ということは、私が次の行動は何か。
「えっと、あなたは誰ですか?」
大して働いていない頭が導いた言葉に、目の前の美青年の目が丸くなる。
(え? 何その反応。私もしかして変なこと言った?)
などと不安になって眉を顰める。
もしかして、あの緋色の髪の青年のように、この金髪の青年も自分のことを知っているのだろうか。だとすれば、また傷つけてしまうことになる。
「ああ! 違うんです! その、私ですね――」
慌ててフォローを入れようとしたところで、青年の呆けた表情が破顔する。
あはは、と明るい笑い声に今度はリリスが呆気に取られる番だった。
青年は一頻り笑うと、眼鏡の教師を振り返る。
「ゲオルグ、先に行ってて。僕、この子に案内を頼むよ」
「ですが――」
「まあまあ、これも何かの縁だと思うんだ。そういうの、君も好きでしょ?」
ね? と青年が同意を促すようにあざとく首を傾げれば、ゲオルグと呼ばれた教師は忌々しそうに舌打ちする。
「では、私は校門におります。どうか他の生徒どもに見つからぬように」
「うん。わかった」
「え、あの……」
ヒラヒラと手を振る青年と、スタスタと歩き去ってしまったゲオルグの背中を交互に見比べているリリスは困惑の色を深める。
「あ、案内とは?」
「それは――。うん、僕、ここの新入生なんです。諸事情で入学時期がズレてしまったんです。だからさっきの人に学校の案内をお願いしてたんだけど」
そう言うと、にっこりと蕩けるような微笑みをリリスに向けた。
「よければ、僕にこの学院を案内してくれませんか?」
その笑顔はまるで妖精の微笑み。
穏やかなのに有無を言わせない魅惑の笑顔に、リリスは自分が方向音痴だることをすっかり忘れて、
「は、はい!』
などと緊張した面持ちで返事をした。
そしてこの出会いから二時間ほど経った時、ゲオルグが半狂乱になりながら二人を探す姿が目撃されたという。




