10月17日
木の上は心地よい。ある程度上に登ってしまえば教師たちは文句を言うことしかできないし、下手に魔術を使って引きずり落とそうものなら、私の防御魔術が火を吹く仕様になっているので、堅実な彼らは手を出さないのである。
だが、そんな絶好の昼寝スポットに今、前代未聞の危機が生じている。
授業をサボっていることを察知して、暇を見つけては私を連行しに来るアルヴィン。そしてもう一人は――。
「ディアナ様! いらっしゃいますかー!」
「げっ」
その侵入者はお貴族様学院の生徒でありながら、易々と(といってもあたしに比べれば赤子も同然だが)木によじ登ってくる少女、リリスである。
しかも、私の昼寝スポットに指定している木は学院内だけで三十八はある。その中から毎回的確に見つけて声をかけてくるのだから恐ろしい。
「ディアナ様! お昼お持ちしましたので一緒に食べましょう?」
「あんたなぁ……」
あの日から、毎日欠かすことなくやってくる彼女。
最初の方は見つかったら即逃げていたのだが、最近はもう観念し始めている。
どこに逃げてもこいつはずっと追いかけてくるのだ。しつこいなんてレベルではない。
しかも、こちらもクロワッサンサンドイッチを褒めてしまったものだから、昼は一緒にいるという言質はすでに取られているわけで。要するに自業自得なところもある。
というわけで渋々昼を一緒にすることが日常になりつつある今日この頃。
勘当されたからといって、私は一応、あんたに酷いことをしたティフォン家出身の者なのだが。……って、多分だけどリリスはそのことは知らないんだろうか。
アルヴィンの話からして、リリスがヴェント家に引き取られる以前の記憶は混濁状態なのだろう。それに私を命の恩人のように思っているのなら、まさかその命の恩人が、自分に非道を強いていた悪役の娘だとは考えつかないのかもしれない。
「私なんかよりも、クラスのお友だちと食べた方がいいと思うんだがな」
などと親切に忠告してやるも、「そんなことないです!」と食い気味に否定されてしまう。
「私にとって、ディアナ様とご一緒できるお時間が何よりも幸せなんです。どうか、お側にいさせてください」
……おそらく、かなり尊敬されているのだとは思う。
自惚れなどでは決してなく、顔を赤らめて側にいたいなんて言われれば多かれ少なかれ好意があるもんだと察してしまうだろう。
私もリリスのことを多少面倒とは思えども、嫌いとは思っていないし、寧ろ――いや、これはダメだ。
照れ臭くささからか、なんだか異様にムズムズして頭を掻いた。
身を起こせば、リリスが作ったというサクッサクのクロワッサンサンドウィッチがギッチリ詰まったバスケットに目がいく。
なんでも彼女の得意料理なんだそうだ。具材を切って挟むだけだろと言ったところ、「クロワッサンも自作なんです!」と少しムキになられたのは記憶に新しい。クロワッサンって自分で作れるのかと感心したのはここだけの秘密だ。
「そう言えばディアナ様、聞きましたか?」
「ディアナでいい。それと敬語もいらないって昨日言わなかったか?」
「す、すみません。つい」
こほん、とリリスは咳払いをする。
「では改めて。ディアナは聞いた? カイル殿下が留学から帰ってきたらしいんだ」
ああ、それか。そういえば入学式の日にナギが教えてくれたっけ。
「そういう話もあったな。でも、それがどうしたって言うんだよ」
脳内婚活状態のお嬢様方は浮き足立って、色々妄想に胸を膨らませまくっているようだが、リリスはその手の話題には興味がないものだと思っていた。
なんて言ったって乙女ゲームの主人公。男たちを魅了こそすれ、魅了されるようなタイプではないだろう。
(実際、カイルに対しても最初は全く無関心だったもんな)
少なくともゲームのリリスは、がつくが。話してみる感じからも、彼女の性格がゲームのそれと大きく乖離しているとは思わない。良い意味で思い切りがいいというか、大胆というか。
「なんでもあまりにも優秀すぎてホロギオンのお姫様が気に入っちゃって、引き留められていたんだって」
ホローギオンとはトルドナの東側にある国だ。
ドワーフの国であるガースフィールドを越えた先にあるもう一つの魔術大国で、魔術師が絶対的な上位存在であるトルドナに対して、向こうは魔術師も人も同じ地位につけるのだという。そう聞くとホローギオンの方が皆平等って感じがして印象は良い。
「お姫様の求婚を断るのに手こずって、帰国が押してしまったんだって」
「へー」
ゲームのカイルは留学経験などない。それぞれの分野で頭角を出していた兄二人に比べて秀でているものがなく、さらにレビン盲目女と化したディアナに虐められたことで、自分の容姿にしか価値を見出せない男となってしまった。
それが今や、留学先で優秀すぎてお姫様に求婚されるとは……。私の存在が如何に彼の人生において巨大な障害になっていたかがわかる。
「すごいよね、カイル殿下。私のクラスの女の子たちも夢中で夢中で――。あ、あの、ディアナはさ、カイル殿下みたいな人ってどう思う? やっぱり憧れる?」
おずおずとした様子で尋ねられる。「うーん」
パリパリとしたクロワッサンの食感を楽しみながら視線を上へと向けた。さっぱりとした水色の空の中央では太陽が白く輝いていて、思わず目を細めた。
「すごいとは思うけど、憧れとは違うな」
自分のやりたいことを探すために留学に踏み切った思い切りの良さも、留学と言う経験を確実に自分のものにしているらしいことも、素直にすごいと思うが、だからと言って憧れるかといえばそうではない。少なくとも頭ピンクのご令嬢たちのようにキャーキャー言う対象ではない。
もはや私とカイルを繋ぐつながりなどないとはいえ、それでも幼馴染だったことには変わらない。だから、どんなに離れたとしてもあくまで私たちは対等。仰ぎ見るような距離ではない、はず。
(どちらかといえば、誇らしいのかな)
あのウジウジ虫が異国で立派に成長したとあっては感慨深い。つまり、これは。
「弟を見守る姉の気持ち?」
我ながら言い得て妙である。
「お、王子様に対して? これが度量の大きさってやつなのかな?」
「なんか言ったか?」
最後の方が小声で呟いていたせいで聞こえなかったのだが、「ううん! なんでもない!」とリリスは首を横に振る。
「でも、それを聞いて安心した。他の方々はカイル殿下が帰国なさって、この学院に通われるって知ってすごく浮かれていたから。
本当にすごかったんだよ? お知り合いになりたいならまだわかるけど、できれば恋人、果ては結婚よ! って。で、それが火種になってちょっとした騒ぎになっちゃったの。いやー、さすがにちょっと引いちゃったよ」
あはは、なんて頭を掻いているリリスの横で私は思わず、うわぁと低く声を漏らした。
下の学年でもそのレベルなら、同学年の女子とかは婚約者になるために大乱闘と洒落込んでいてもおかしくないな。色恋が絡んだ金持ち婚活魔の恐ろしさは屈強な騎士たちとは比べ物にならない。
騎士学校でよかった、本当に。
「私、てっきりディアナもああ言う王子様然とした人には憧れを抱くものなのかなと思ってたんだ。だから兄さんもこの話題を提供してきたのかと」
「おい待て」
誰が提供したって? 兄さんって言ったか? それはもしかしなくても、あのアルヴィンか?
「おそらくそのアルヴィンだよ。二人って先輩後輩の関係なんだってね。もっと早く聞いていたら、入学する前に知り合えてたかもしれなかったのに……」
至極残念そうにリリスは肩を落とす。私は目頭を指で押さえて空を仰いだ。
意地の悪さが隠し切れていない笑顔を湛えたアルヴィンが瞼の裏で中指を立てるのであった。




