10月13日
太い枝の上で寝転びながらふわりとあくびをする。イタズラな風は食堂から塩味の強い料理の匂いを運んできて鼻へと叩きつけて去っていく。
ナギが昨日から騎士団のバイトという名の隠密活動に参加しているせいで弁当を持参してもらえず空腹な私。
だからと言って食堂は今ごろ男どものオカズ争奪戦だろうから近づきたくないし、もうひとつの方なんて論外だ。
であれば空腹をやり過ごすために寝るのが最善の選択だ。
「ディアナ様ーー!」
遠方から聞き覚えのある声が近づいてきて、閉じかけていた瞼をうっすらと開けたまま静止させる。ふと、その場にいないはずのロットが親指を立てて気色悪い笑顔を向けているような錯覚を覚える。パチパチ、と数回瞬きをして大きく息を吐き出した。
声は着々と近づいてきている。
私も魔術師の端くれだ。魔力を不必要に垂れ流すような愚行はしていないのだが、リリスは毎日目ざとく私を見つけ出す。犬のように匂いでも感知しているのではないかと訝しんでしまうほど正確に、見つけてくる。
「ディアナ様ーー!!」
しかも大声で名前を呼びながら。
まったく、呼ばれている私の方が少し恥ずかしいだろうが。
仰向けだった体を寝返りを打つようにぐるりと半回転させると、案の定、私の体は枝の上から転がり出た。細かい枝葉が乾いた音を立てながら折れて落ちていく中、私の体も頭から真っ逆さま――なんてことはなく、くるりとゆっくりと体を回転させ足を下へ向け、膝をバネに着地する。
頭や服についた木の破片たちを払っていると「ディアナ様!』とリリスの声が飛び込んでくる。
「だ、大丈夫ですか!? 落ちたように見えましたけど!」
小走りで駆け寄ってきた顔は青白くなっていて、行き場のない右手が微妙な位置で指先をプルプルと振るわせていた。
「平気」
落ちたのはあってるけど、自分から落ちたのだから無様なことにはなるまい。だがリリスは私の発言を強がっているかと思ったらしい。首を横に振って間合いを詰めてきた。目と鼻の先に真剣な眼差しを向けてくる彼女の顔が迫ってきて、無言でたじろぐ。
「ダメです! 外傷はなくても骨とか、筋肉とかが傷ついているかもしれないじゃないですか! 保健室に行きましょう」
「あのなぁ、この程度で怪我してたら騎士見習いにすら慣れないの、わかる? 不安ならあんたが診てくれればいい。傷ひとつないってわかるはずだ」
「え、えーっと。それは……」
リリスは身を引っ込めるとわかりやすく視線を泳がせる。顔がパッと赤くなり、意味のないフィラーを口から漏らし続けること数秒、うんと大きく頷く。
「め、目立った外傷はないですし、本人が平気だというのなら平気なんですよね、出過ぎた真似をしましたー、あはは……」
(こいつ、誤魔化すの下手だな)
ゲームの設定通りなら、こいつは所謂劣等生。魔術は簡単なものですら満足に扱うことができないという落ちこぼれだ。そんな彼女が医療系の魔術を使うなんて無理だと思ったが、ビンゴだったらしい。
「そ、それで、ですね」
リリスはもじもじとバスケットを持った左手と右手を擦り合わせる。実は、と意を決したように顔を上げた。
「私、あなたとお近づきになりたいんです! そ、その、あなたは私の、憧れだから……!」
曇りのない眼がキラキラと輝く。
「……なんでだよ。物珍しさだけなら遠慮させてもら――」
「違います!」
重ねられた強い断定。向けられる眼差しはどこまでもまっすぐ私の瞳へと向けられる。
「あなたは頷いてくれないけれど、あの時私の手を引いてくれた人は、ラナが言っていた人は間違いなくあなたです。あなたがあそこにいた理由はわからないから、もしかしたら触れられたくないことなのかもしれません。でも、それなら、まっさらな状態から、友達になってくれませんか? お願いします!」
ピンと張った右手。直角に頭を下げたその姿は、男が女に必死に告白する場面の一ページのようだ。とはいえ、私たちは二人して女なんだが。
まじまじと彼女の右手を見下ろす。糸で引っ張られているかのような指先は緊張でプルプルと震えていた。
「……はあ、あのな」
一歩近づいて、リリスの顎を掬うように上を向かせる。
「私の友人になりたいならそうオドオドするな。そうじゃないと疲弊するだけして、取り返しのつかないことになるかもしれないぞ」
「そ、それって?」
「さあな」
その問いに応えることなく、彼女の顎から手を離す。
少なくとも今はまだ、平凡な学生である彼女が知る必要はないだろう。
「――わかりました。それなら、私、堂々とあなたに向き合います。向き合わせてください」
「そうかい。どうぞご勝手に。私も適当に付き合ってや――」
る……。と言葉を言い切る前に、ぐーっと腹の虫が横槍を入れてきた。このままクールに立ち去ろうとしていた私はリリスに背を向けたまま硬直する。
時が止まったかのような静寂が落ちる。
「はっ、これは、あれですね!」
首を少し傾けてリリスの方へと振り返れば、彼女は徐にバスケットの中身をこちらに見せつけてきた。
茶色いバスケットの中には卵やレタスを挟んだクロワッサンサンドイッチが並んでいる。
「お昼は私が用意しますので、ぜひ! これからは私とお昼をご一緒してください!」
邪気のない満面の笑み。それが人の弱みにつけ込む行為だとは微塵も思っていないであろう屈託のない笑顔を跳ね除ける気にもなれず。
「美味かったら考える」
と曖昧な返事を返した。




