10月12日
昼休みは私にとって昼寝の時間だ。学校生活で何よりも尊い時間。
であるはずなのに、ここ三日連続、私の昼寝時間はある少女によって脅かされていた。
いくつかあるお昼寝スポットを的確に探し当てて声をかけてくる彼女の名はリリス。見た目だけなら可愛らしい女の子。大きくぱっちりとした瞳は小動物のよう。
しかしこの少女、どうにもしつこい。
どんなに無視しても追い払っても逃げても追いかけてくるし、なんだったら木の上まで登ってくる。ここに通っている女でそんなはしたないことをするのは私くらいなものだったはずなのに、なんの因果か彼女も平然と木に登ってくる。
こうして安眠を妨害され続けた私は、鬱憤を晴らすべく放課後に騎士団本部へと足を運ぶことにした。
騎士学校だと、木剣はわざわざ教師に言って借りる必要があるし、真剣を使うことは余程の理由がない限りできない。
しかし騎士団本部であれば真剣の使用は許可を取らずとも良い。もちろんそれで人傷沙汰に発展させれば一発アウトで除籍だが、そうでなければ自由に扱える。
と言うわけで剣の鍛錬は本部の方が何かと都合が良い。
煩悩を払うかのように無我夢中で素振りをしていると、遠巻きから同僚たちが「あいつ機嫌悪いのか?」と囁きあっている声が聞こえて来た。そうだよ放っておけ。
そんな念を身体中から飛ばしていると、不意にかきんと剣が宙で止められた。はっとして顔を上げれば、目線の高さに私の相棒の半分ほどの長さしかない短剣が横槍を入れていた。
騎士の中には自分の剣に凝った装飾や彫り物を入れる者も少なくないのだが、その短剣は全ての無駄を削ぎ落としたシンプルな作り。言うなれば量産型である。
柄を握る手の先を辿るようにして視線を上げれば、穏やかな翡翠色の瞳が微笑むように細くなる。
適当に後ろに縛った天パの深緑の髪は真っ黒な装束に溶け込んでいた。一歩間違えれば不審者扱い待ったなしな漆黒具合であるが、腕と脚を覆う甲冑が彼がただの危ない人ではないことを物語ってくれている。
「随分と荒れているようだな、愛しの我が弟子殿。そんなんじゃ隙をついてくださいと言っているようなものだぜ?」
自然なままに流した前髪を払うように後ろに掻き分けながら言う。
「ろ、ロット! お前帰ってきてたのか」
「おいおい。遠征帰りの師匠を労うにはあまりにも雑じゃないか。お帰りなさい、師匠! ご飯にする? お風呂にする? それともわ、たブゥっ!」
裏声で気色悪いことを言い出したロットの尻目掛けて蹴りを入れた。
この全身黒づくめの男、ロットは私の剣の師匠だ。
細身の剣を苦手とするアルヴィンの代わりに剣術を教えてくれた人。そのことからも分かる通り面倒見がかなり良く、騎士団の中でも憧れている連中は少なくない。比較的若輩の中ではアルヴィンと彼だけが他より吐出して出世している。
ロットは一歩よろけると腰を屈めて尻を摩る。
「いってぇ。お前さんは冗談ってもんを知らないのか」
「気色悪い冗談は制裁対象だって上司に言われてるんだ」
「アルヴィンのやつ……」
ギリと奥歯を噛み締めているが、アルヴィンを責めるのはお門違いもいいところだろう。
「あ、そういえばアルヴィンのやつ臨時教員になったんだろ? 授業受けた? やっぱ学院でもキャーキャー言われてんの?」
「女生徒からは色目使われてるみたいだぞ。授業はわかりやすい方なんじゃないか? 内容は私には序の口だからよくわからない」
「言うねー優等生」
ウリウリと首から頭をぐるぐると回される。これはロット曰く頭を撫でているだけらしい。
「で、そんな優等生様はなにイラだってんだ。アルヴィンか? アルヴィンだろ?」
「無関係ではないけど違う。アルヴィンの妹……リリスって子に付き纏われてんだ」
「リリスちゃん? ほおそれはまたなんで」
顎を二本の指で支えるようにしてロットは目を見開く。その様子から察するに、リリスのことは多かれ少なかれ知っているのだろう。
なんでと言われ、私は返答に詰まってしまう。
昔あいつを助けてやったことを覚えていたらしく、最初から懐かれていたとか言ったらアルヴィン同様に追及されかねないし、だからと言って下手な嘘ついてもアルヴィン経由で嘘だとバレるかもしれない。
「……学院内で迷子になってたのを助けてやったら、なんか懐かれたっぽい」
僅かな逡巡の後、少しだけ事実を捻じ曲げてそれっぽい答えを口に知る。「あそこ無駄に広いもんなー」なんて呑気な声が返ってきた。なんの疑いもなく信じてもらえたようだ。
「でも、それなら無視し続ければいいだけじゃないか。そう言うの得意だろ?」
「それはそうだが――。アルヴィンからリリスを気にかけてほしいって言われてるからあまり邪険にもできないんだよな」
「アルヴィンはお前にリリスを気にかけろと命令したのか」
「そうじゃねえけど……」
「ふむ、それはまた可笑しいな」
ロットは何度か目を瞬かせてから口の端を僅かに持ち上げた。
「お前は命令は聞くがお願いは基本等価交換を持ち出すタマだろ。それに人間――特に女性関連のお願いは相当いい条件でも断る。リリスちゃんの件も面倒だからで突っぱねれば良かったんじゃないか」
「それは……」
妙なところで勘づかれて言葉を失う。
確かにそんじょそこらの女性関連のお願いなんざ、厄介ごと確定案件ということですぐにそっぽを向く。しかし、今回はそうしなかった。それどころか「気が向いたら」なんて普段の私からすればだいぶ寛容なことを言ってしまったわけで。
(確かにらしくないことしてたな)
相手が八年前に自分が助けた相手だから? 梨々子に似ている彼女を放って置けないと今もどこかで思っているのかもしれない。
考えれば考えるほどバツが悪くなって頭を掻く。
「あれだよ。アルヴィンに頭を下げられたのが初めてでつい」
「マジかよ。あのアルヴィンが!?」
これ、ロットに言ったことがバレたら絶対デコピンか何かされるんだろうな、と頭の片隅で考えながら首肯する。ロットは少年のようにキラキラと目を輝かせる。
「あいつが頭を下げるとか、俺みたことないぜ? いいなー。俺も頭下げられたい」
「あんたに頭下げるくらいなら精霊に魂喰われた方がマシって言うと思うぞ」
「ハハっ、違いねーや!」
朗らかに笑うとロットはまた私の頭をグリグリと撫でる。
「だが、これはこれでお前にとってもいい経験にはなるかもしれんな」
「は?」私の髪の毛を散らすロットの腕をぐいと持ち上げて何を言っているんだと問うように口をへの字に曲げる。
不機嫌極まりない表情を意にも返さずロットはニッと歯を見せた。
「騎士には護衛の業務があるだろ? 場合によってはお偉いさんのお嬢さんをつきっきりで守らないといけないこともある。お嬢さんの相手は大変だぜ? なんて言ったって蝶よ花よと育てられた、我が儘を我が儘とも思っていないお方ばかりだ。その方達を相手する予行練習としてリリスちゃんはちょうどいいと思うぜ。あの子は箱入りなだけで良い子だからな」
「それって、リリスを利用しろってことか?」
「リリスちゃんをじゃなくて、状況を利用しろってことだ。お前さんは魔術の扱いも剣の腕も中々だ。でも対人関係はどうも不安があるのさ。だから、リリスちゃんと接することで、部外者のか弱い女の子を守る感覚ってのを少しは掴めるんじゃないかと思ったわけよ」
対人関係を持ち込まれると私は押し黙ることしかできない。八年間の騎士団での生活は私と同僚の野郎たちとの間にそれなりの信頼関係を築くのに役立ったが、反対に女性との接し方に戸惑いを生じさせた。
もとより女の友だちがいたわけでもないから、友人としての女性との接し方は未知数。それに加え、アルヴィンの後輩を見る彼のファンの恐ろしい視線が、余計に女性=面倒という方程式を形作ってしまったのかもしれない。
だが、ロットのいう通り、このまま野郎だけと関わるわけにもいかないのは事実だ。
その点、私に好意を持っているらしいリリスから女性の扱いや守り方を知るのは、悪くない考えのように思えた。
「ついでに」
真剣に逡巡している私の顔を満面の笑みのロットが、首を横に押し倒すようにして覗き込む。
「女らしさってもんも学ぶといいんじゃないかい?」
人差し指の先がおでこを軽く押す。カッとなって剣を振り下ろした時にはすでに、「ハハハッ」と大層愉快そうな笑い声を上げて逃げていく、手のひらサイズほどの小ささになったロットの後ろ姿があった。




