9月13日
私が次に目を覚ましたのは、自分のベッドの中だった。
あのまま歩いて帰ったのだろうかと思ったがどうやらそういうわけではなく、例の倉庫の前で倒れていた私を、偶々通りかかったという使用人が運んでくれたのだそうだ。
起きてすぐ医者がやってきて、私の頭をこれでもかと念入りにチェックした。
その間、私は心ここに在らずの状態でただただぼうっと壁を眺めていた。
外傷はないが、突発的な記憶障害や躁鬱状態になっている可能性が高いとその医者は判断した。だからレビンを見て発狂して飛び出したのだろうと。
間違ってはいないのだろうが、障害として片付けられるのには少し物申したいところである。
しかしそうしなかったのは、単に私が考える時間が欲しかったからだ。
医者から安静にと言われれば、私は安静にするための時間、つまりこの脳に流れ込んできた記憶と、昨夜見た光景について整理するための時間を得ることができると考えたわけ。
カーテンを閉め切った薄い暗がりの中、自分の左腕を天井に伸ばし、まじまじと見つめる。
赤紫色に腫れ上がった痛々しい腕は、私が気絶する前にやっていた魔術の失敗によるものだろう。
治癒魔術を用いれば、こんな醜い腕を元に戻すことなど造作もないのだろうけど、それでも内部には何らかの後遺症が残ってもおかしくはない。
(無事に治ればいいのだけれど)
人の皮膚がここまでグロテスクになる様を私は今まで見たことがなかった。しかも初見が自分のものだなんて……受け入れ難い事実である。
しかし、火傷のショック以上に、今の私にとっては自分の中に流れ込んできた記憶への衝撃の方が大きかった。
それなりに長い眠りの中で脳が整理してくれた記憶を覗き込む。
知らない光景、知らない人、知らない誰かの人生の断片。それが私の記憶としてある。
奇妙な感覚だ。小説を読んだ時の追体験にも似ているけれど、その時の感情を、痛みも苦しみも、楽しかったことも、嬉しかったことも全て自分事として思い出せる。
(さっきの夢は、その一部だった)
なんの変哲もない日常の一ページ。私は唯一の友人である梨々子からゲームを借りた。いや、正確に言えば押し付けられた。
元々ゲームをやるような性格でもなかったようで、微塵の興味も示していなかった。
だが、どうにもあの私は梨々子に甘かったらしい。
面倒に思いながらボタンをポチポチ押していたみたいだ。
(そして、そのゲームの登場人物の一人が、ディアナ・ティフォン)
私と同姓同名の冷徹な悪役令嬢。
四大賢人の一人であるティフォンの血族。由緒正しきティフォン家の一人娘。
髪が黒いところも、キツく持ち上がった目尻も、その奥にある深海を思わせる碧い瞳も同じ。あれは、間違いなく成長した私だ。
私は生死学でいう転生者とか生まれ変わりとかに該当する人間なのかもしれない。
しかも、その転生先というのが、あろうことかそこまで思い入れのないゲームの登場人物。
声もなく嘲笑する。
我ながらなんて馬鹿げた仮説だろう。誰かに話したら真っ先に脳外科か神経科の医者のところにつれて行かれてしまうに違いない。
しかし、思い出せば思い出すほど、私があのゲームの中の登場人物であるディアナに転生したどこぞの小娘――足立花という名の女だったとしか考えられない。
(私の前世、蛮族の娘だったのね……)
思い出せる記憶の足立花という人物はまさに蛮族――ヤンキーという種類の人間であった。
素行は悪い、口も悪い、食べ方も汚いし、不摂生。
ベッドの中で思わず頭を抱えてしまうくらいには残念な振る舞いが多かった。おまけに学校にも行っていなかったようだ。
そんな子からの転生なのだから、お父様の期待に応えられないのも納得だ。
(……ん? お父様?)
私の名前はディアナ・ティフォン。では、父親の名前は……。
顔からさっと血の毛が引く。
そうだ、そうだ、そうだった!
どうしてこんな大切なことにすぐに気づかなかったのだろう。私があのディアナなら、父親であるエーギル・ティフォンは!
「敵じゃない!?」
自分の口から飛び出た汚い言葉にはっとして口元を抑える。
誰もいないことはわかっているけれど、キョロキョロと部屋中を見渡してから、再びすっぽりと布団を被る。
クソ野郎ことお父様――エーギルは、主人公であるリリスという少女に人体実験を施した完全なる大悪党。
どうしてそのようなことをしたのかという理由はちょっと思い出せない、というか足立花はそこまで辿り着いていなかったみたいだから思い出す以前の問題だ。
とはいえ、どうせ碌でもない理由に違いない。
しかも、自分の娘である私が殺されたというのに欠陥品呼ばわりして悲しむ素振りすら見せないという血も涙もない男だ。
それが私の父親。私が認めてほしくて、愛してほしくて、必死に魔術の勉強をしていた理由。
それなのに、お父様にとって私は単なる魔力を持つ道具でしかなかった。その事実を、ゲームの中の私は知らないまま、レビンに殺された。
さらに、ゲームのディアナはレビンのことが好きだったようで、その恋心もいいように利用されていたのだ。
つまり、自分を必要としてほしかった人たちに、揃いも揃って裏切られたということになる。
「私の人生、最悪だわ」
お先真っ暗どころか、血に埋もれて死ぬのね。そんな結末、涙すら流せないじゃない。
焦燥感が押し寄せてきて、私はベッドの隅に追いやられたぬいぐるみを抱き寄せた。
この魔術に関するものしかない部屋の中で唯一、魔術と関係がないただのうさぎのぬいぐるみ。ところどころ歪な形をしているのは、今亡きお母様のお手製のものだから。
ああ、私はこのぬいぐるみ程度の情も寄せては貰えていなかったということなんだわ。そして最期には、最期、には……。
瞼をそっと上げる。
絶望真っ只中の思考の渦に僅かな光が差し込んだ。
「……今の私は、違う」
確かに、ゲームのディアナはレビンに恋心を抱き、お父様の期待に応えようとして悪の道に走ってしまったわけだけど、今の私はまだその道に立っていない。
確かにレビンのことは友人として尊敬していたけれど、恋にまで発展してはいない。それにあんな結末を知ってしまった今、お父様を純粋に慕い続けるなんて難しい。
「まだ、変えられる……?」
むくりと体を起こし、呟く。
私はまだ十歳だ。ゲームのディアナの年齢なんて覚えていないけど、魔術学校に在籍中だったのだから二十歳はいっていないはず。
であれば、私が殺されるまで五年以上はある。
「その間にあのディアナとは別の道に行けば、まだ、変われる!」
一筋の光明が、今ははっきりと見える。
私はまだ子どもで、いくらでも悪役令嬢のディアナとは違う道に行くことができるはず。
幸い、出会ったことがあるゲームの登場人物もお父様、レビン、そして許嫁であるカイルだけだ。
(いける)
私はその場で立ち上がるとぐっと拳を天井に突き上げた。
「いいように使われて死ぬなんて冗談じゃない! 私は悪になんて堕ちてあげないから!」
部屋のベッドの上で、一人の少女が決意を固めた。
これが、私の運命が大きく別れた日の出来事であり、そして――。
後の蛮族令嬢・ディアナ・ティフォン誕生の原点である。




