10月10日②
登校した足は教室がある二階を素通りして、アルヴィンの職員室がある四階のフロアの廊下を踏む。
ここの職員室というのは、一般的な学校――魔力を持っていない普通の人たちが通う学校のそれとは少し異なる。
それらの学校の職員室といえば、教師たちが机に居場所を構え、机の上が彼らのテリトリー。それ以外は共有スペースといった感じだが、王立学院の職員室は、教員一人ひとりに専用の部屋が割り当てられている。言わば執務室のようなものだ。
臨時教員であるアルヴィンも例に漏れない。ドアを三つ過ぎたところで足を止めると、形式だけのノックをする。返事が返ってくると同時にドアを開ければ、コーヒー片手に新聞を読んでいる焦茶色の頭髪が目に飛び込んできた。
「お前なぁ、返事の後に開けろよ」
読んでいた新聞から視線を上げて小言を言ってから、それを畳む。雑多な机の上の本に覆い被さるようにそれを置く。
右手の全ての指に嵌った、ドデカい宝石の指輪が光を反射して目が眩む。
「それは失礼しました。で、何の要だよ」
ゴーンゴーンと鐘の音が響く。授業が始まった合図だ。教師に話を通しているとはいえ、これで私は正式に新学期の一限目からサボっていると白い目で見られること、確定である。
「少しお前の課題を整理しようと思ってな」
「課題の整理?」
新学期に入って最初の授業がさっき始まったのだから、課題なんてないはずだが、と首を傾げる。
「忘れたとは言わせないぞ。俺はお前が騎士になるにはそれ相応の実力を示すように言ったはずだ」
……なるほど。それをわざわざ私に喚起するために一限目をサボらせてまで、ここに呼び出したというわけか。
私の直接の先輩兼上司兼現在進行形教師なりに気にかけてくれているようだ。
「忘れてるわけないだろ。私のこれまでの成績知ってるか? 騎士学校じゃ常に上位だし、魔術系の授業でもそれなりに好成績を治めてるんだ。心配はご無用ってね」
「ああ、見せてもらった。何だったら俺がここに着任することが決まって真っ先に確認してやったくらいだ。後輩思いの先輩を持って幸せ者だな」
嫌味ったらしい言い方にカチンとくる。が、ここで突っかかるとこいつの思う壺であることは長い付き合いから理解しているので、顔に出すに留めておく。
「ならわかってもらえただろ。意外と真面目なんだよ」
「少なくとも紙面上は、だろ?」
アルヴィンは紫の瞳をすっと細める。口元にうっすらと笑みを浮かべた。
私も同じように目を細める。もっとも、してやったりというような愉快そうなアルヴィンのそれとはニュアンスが異なる。
「お前は成績はいいが、態度に問題ありと聞いたんだが……本当か」
「態度に問題があるのはここの教師もだと思うが?」
悪びれもせずにそう返すと、アルヴィンは太く整った眉を顰め、わざとらしく人差し指と中指で額を支え、ゆるゆると首を振った。
「言いたいことはわかる。こんな場所で働いている連中なんて、自分がすごいと過信している奴らばかりだからな。だが、だからと言って反抗ばっかりしていると痛い目を見るのはお前の方だ。今でこそ成績がいいから多少問題行動があったとしても大目に見てもらえるかもしれないが、今後はわからない。ちょっとでも足元掬われるような隙を見せれば一発退学もあり得なくはないんだからな」
「そんなこと言うために呼び出したのかよ。言われなくても、そんなヘマはしない」
そんじょそこらの男どもとはかかっているものが違うんだ。学校生活に青春なんてものは見出していないし、頭ん中はちゃんと詰まってる。
「私の心配よりも自分の心配した方がいいんじゃないか? こんな場所、あんたにとってはどう足掻いても居心地最悪なんだから」
先輩面され続けられるのも億劫で、話題を逸そうと適当なことを口走れば、アルヴィンの表情がふっと浮かないものに変わった。セットした髪を掻き上げ、視線を逸らす。
「あー……。そうなんだよな。とりあえず昨日の入学式はうまいこと避けたんだが、これがこれから毎日のようにあるとめんど――厄介だよな」
昨日アルヴィンの身に何があったのかは、手伝いに駆り出されていたナギ経由で知っていた。その話を聞いた時の私の感想は「やっぱりな」だった。
「ヴェント家の跡取りで次期騎士団長と名高いアルヴィン様が、臨時とはいえ教師として着任したとあっては、お貴族の令嬢様は血眼になるってもんだ」
バレないようにサボっていた私は知らなかったが、先週あった始業式に情報解禁だったらしく、その時もキャーキャーと猿よろしくの黄色い歓声が上がったのだという。夢見がちな新入生に至ってはそのレベルではなく、アルヴィンの職員室の付近で偶然の出会いを装ってフラフラする生徒が続出。他の教員が帰るように促して漸く一時的に事態が収束したらしい。
「そうだよな。最近は仕事仲間かお前としか関わってなかったから、この感覚を忘れてた」
「はっ、あんたのそう言うところは一周回って尊敬するぜ」
「まあ、俺みたいなやつは下手に謙遜した方が嫌味ったらしいだろ。事実は認めるに限る」
あっけらかんとした口調で言う。
その事実、アルヴィン・ヴェントという男は所謂モテ男という事実は、私がこいつに師事を受けることになった当初から変わっていない。
顔良し、体格良し、家柄良しと、こいつの腹の中の真っ黒い本性を知らない女人の目を通すと、アルヴィンという男はとんでもなく魅力的な男に映るらしい。表面だけはいいから、性格も紳士でいうこと無し! ともっぱらの評判である。
となると問題は私だ。アルヴィンの女性人気が高いということは、直接の後輩である私は彼女たちの目からどう映るか……もはや口にするまでもない。
「それにここの教師陣も、な。俺のことが気に食わないってのをこれでもかって表現してくるよ。ああ、もちろん騎士学校の奴らじゃないぞ。向こうの魔術学校教師のことだ」
「だろうな」
魔術学校の教師はプライドが高い。故に騎士学校の生徒や教師を見下すのは言ってしまえば普通のことで、本当に気に食わない相手にはちみっこい嫌がらせを仕掛けてくる事もある。要するに、根暗の性悪である。
そして、そういう教師たちにとってアルヴィンや、あとは私なんかは体裁が悪い相手なのだ。
騎士でありながら偉大な賢人の血を引くアルヴィン。勘当されたとはいえ同じく賢人の血を継いでいる私。
どんなに魔術に造詣が深かろうが、賢人の血を引いているか否かというのは魔術師にとって人生を左右するほど大きな問題である。直系か分家かでもその扱いの隔たりは大きい。
故にバカにしたい騎士という身分の存在でありながら、自分たちが欲しても手に入らない血筋を持つ人間に対して、特にここの教師に至っては敵意剥き出しなのである。
「やれやれ、気が重い」
そうぼやいてコーヒーを口に含む動作はあくまで優雅である。
「ならどうして臨時教師なんか引き受けたんだよ。あんたがいなくなった穴はでかいんじゃないか」
アルヴィンは若くして、騎士団内のいくつかの部隊を指揮している隊長である。彼一人がいなくなるだけで複数の部隊が立ち行かなくなってしまうのではないか。
そう考えを口にしたが、アルヴィンはどこ吹く風といった様子で「んー」なんて間延びした声を出す。
「最近は国も外も落ち着いてるし、向こうには代わりロットがいてくれてる。俺がいなくても大した問題にはならないだろ」
ロットというのはアルヴィンの親友だ。裏しかないアルヴィンの対局にいるような人物で、比較的若輩にカウントされている騎士の中で大役を任されているのは彼とアルヴィンだけだ。でも。
「あいつ、事務処理能力壊滅的だけど」
「だからお前のナギを借りてるんだろ。あいつに無理やり不得意な事されても仕事が増えるだけだからな」
「それもそうだな。で、結局そんな気を回すようなことまでして、あんたはどうしてここに来たんだよ?」
ナギを雇ってくれているのは金銭的な理由からもありがたいのだが、それはそれ。これはこれ。
臨時教師なんていう、おそらくゲーム内にはなかった設定を引っ提げてまで学院にやってきた理由が今ひとつ思いつかなくて急かすように尋ねれば、アルヴィンはあっけらかんとした口調で応答する。
「俺はお兄ちゃんだからな」
「……私、教室戻るわ」
じゃあな、と片手を上げて踵を返す。しかし、ドアに手をかける前に両肩にずっしりとした重みがかかる。振り返らずとも、背後にアルヴィンが忍び寄って私の肩に両手越しに圧を加えているとわかる。
「一限目は話をつけてるから問題ない。どうせお前もレベルには合ってない授業だしな」
「職権濫用って言うんだぜ」
首だけ回して吐き捨てるように返すが、アルヴィンはニコニコと胡散臭い笑顔のまま、さらに肩へと重心をかける。
「お、おもっ――。くっそ、何なんだよ! 言いたいことは全部言い終わったんだろ! あんたの妹可愛い話なんか付き合わねえからな!」
「ははは。冗談だよ、確かに妹のことは可愛いと思ってるが、それだけが理由なわけないだろ」
肩の重みがすっと抜ける。私はドアに背中をピッしりとつけてエセ紳士を睨みつけた。
「……俺がここに来たのは、言ってしまえばヴェント家の習わしだ。人の上に立つものは人を導く才を身につけなくてはならないってな」
「なんだ、まともな理由じゃねえか」
「ああ。……だが妹を、リリスのことを全く考えなかったといえばそうではない」
アルヴィンの表情が引き締まる。真摯な瞳がじっと私を見据える。
「お前を今日呼び出したのは、お前の生活態度に関する忠告が一つ。もう一つは、リリスのことだ」
「……昨日言ったよな。私は偶々あいつをちょっと助けただけの赤の他人だ」
「だが、リリスはそう思っていない。少なくとも昨日今日とえらく意欲的でな。こんなこと初めてなんだ。
だから、お前がどうあれリリスはお前のところに来る。それを突っぱねるのは自由だが、頭の片隅程度で構わないから気にかけてやってくれ」
この通り、とアルヴィンは頭を下げる。そんな上司の姿を今まで見たことがなかった私は分かりやすく動揺しその場でふらりと足踏みする。
昨日の彼の言葉を思い返せば、リリスの魔力は増幅傾向にある。それが元来の体質なのか、エーギルの実験によるものなのかの判別はつかないが、もし後者だとすれば、あのリリスもゲームの彼女同様に面倒事に巻き込まれる可能性が高い。ましてや、私の近くにいたら尚更、エーギルはいいとしてもレビンの目に留まるかもしれない。
(でも……)眼前で頭を下げている上司を見下ろす。
地味にプライドが高いこいつが、愛しい妹のためとはいえ、後輩である私に頭を下げている。
悪役令嬢のディアナならば、それを足蹴にすることを愉悦とすら感じていただろう。
しかし、今の私は――。
瞼を閉ざし、大きく肩で息を吐く。
「わかった。気が向いたら気にかけてやるよ」
などと言ってしまったことを、数時間後に後悔する羽目になるとは、この時は欠片も思っていなかった。




