1月27日
ややグロいシーンがあります。
苦手な方はお手数おかけしますが、ブラウザバックをお願いいたします。
週に数回、倉庫には使用人が入っていく。魔力を持たない使用人は大きなバケツに泥をたっぷり入れて、淡々と運ぶのだ。
倉庫の奥に隠された牢屋は、おそらく防音魔術が施されている。でなければ、あの悍ましい呻き声が外に漏れないわけがない。使用人の動きを止めるなら、そこを狙うしかない。
やれるかとディアナが問えば、銀髪の少年は静かに頷く。
使用人が来た。慣れた手付きで鍵を開ける。周りを気にする素振りもない。
扉が開く。閉じてしまう前に体の上下を逆さにして滑り込む。天井に張り付くことも訳はなかった。
やけにだだっ広い空間に出た。ディアナが言っていたように何もない空間。天井はとても高い。やむなしと床に足を付ける。使用人は気付く素振りもない。大きなあくびをしている。
暫く尾行すれば、赤い魔法陣が出現し、ぐるりと回転した。壁が音もなく消失し何もない空間に使用人の姿が溶ける。魔術防壁の一種だろう。こんな古ぼけた屋敷に大層な魔術を使うものだ。
……などと考えている暇はない。
魔術防壁を潜れるのは一瞬。足音を立てないように黒い空間に踏み入れる。
長く続く鉄格子。咽帰るような血と腐った何かの臭い。ああ、なるほど。話には聞いていたがこれは中々どうして酷い有様だ。
使用人はまだ呑気な足取りだ。完全に油断し切っている。太ももから針を取り出す。長く細い針。それを彼女の首に突き刺す。
簡単なお手伝いである。
ナギに言われれた通り、使用人が入って十分が経った頃に、私はあの日と同じように魔力で鍵を作って倉庫に侵入した。暗闇の中を真っ直ぐ走る。
長方形に窪んだ先、突き当たりに差し掛かり、血を一滴壁に擦り付けた。
一歩踏み入れれば、そこは地獄のような牢屋。しかし、薄明かりの元にあの時と違う人物が二人。
一人は力無くうつ伏せで倒れる女性。もう一人は、そんな彼女を放置して、牢屋の中を凝視しているナギである。ナギはこの光景を見るのは初めてなはずだが、取り乱した様子はない。
それどころか、あの死体かもわからない人間を冷静に観察する余裕すらあるようだ。チラリと私の姿を横目で確認する。
「時間が掛かれば掛かるほど、旦那様は怪しむでしょう。ですから早く例の少女のところへ。後始末は私がします」
「ああ、頼んだ!」
気を引き締めなくては。時間の猶予はさほどない。私は一目散で駆け出した。
呻き声が聞こえる。助けてくれと、声にならない声が聞こえる。耳を塞ぎたくなる衝動を抑えて走る。
臭いがする。血の臭い。腐った臭い。土の臭い。全てが混ざった反吐の臭い。鼻を抑えたくなる衝動に耐えて走る。
銀色の格子の前で止まる。少女はあの時と同じように座り込んでいる。顔は、上げない。
魔力を指先に集中させる。鍵の形を把握して、それに合わせるように魔力を編む。ガチャリと一つの鍵が開いた。
お父様め。無駄に厳重に鍵を掛けてやがる。あと二つといったところか。
集中しろ、集中しろ。時間はない。魔力を集中させて鍵を作れ。難しいことはない。一つずつ、開ければいい。また一つ鍵が開いた。
「……」
あと一つ。たぶん一つ。落ち着け落ち着け。そんなに時間は経っていないはず。変な形の鍵穴だが、作れないわけではない。落ち着け落ち着け。錠前が落ちる。
「よっし!」嬉々として格子に手をかけ、
「お嬢様、後ろ!!」
ナギの叫びに振り返れば、腕が一本、あたしの頭目掛けて飛んでくる。間一髪避けると、もう一本の腕が叩きつけるように振り落とされた。ぐるりと横に転がって逃げる。
目を見張った。
(なんだ、これ?)
人だ。
人の形をしている。でも、肌は紫色に変色し、目玉が上下左右関係なしにギョロギョロと動いてる。口からは涎が垂れ流れ、呻き声を上げている。
「逃げてください!!」
ナギの叫びではっとする。それの腕がまた振り落とされる。避ける時間がない。瞼を閉ざす余裕もない。
殴られると体を強張らせた。すると、視界の端から鋭い光が一本、それの手の平を貫いた。呻き声が上がる。
「早く! ここにいるのは全員魔獣です! もう人じゃない!!」
魔獣? 魔獣ってなんだ?
いや、そんなこと、今はどうでもいい。
「お嬢様!」
「くそっ」
呻き声を上げていたそれが再び立ち上がる。
傍らに落ちていた、血のべっとりと付いた銀色の棒(おそらくはナギが投げた針の一本)でそれの頭を殴った。
格子を開ける。あの子はこの騒動に気づいていないのか、ただ力無く座っていた。
「おい! 聞こえてるんだろ!? 行くぞ、逃げるんだ!」
「……あ、うう」
「ディアナ様!! その子ももう人ではありません! 早くここから離れて――」
「いいや違う!」ナギの言葉を遮る。
「この子は人だ。まだ、人なんだよ!!」
その時、僅かに視線が上を向いた。弱々しく瞼が持ち上がる。目線が合う。手を伸ばした。細い指が、ぴくりと痙攣する。
「来い! あんたはまだ生きるんだ!!」
瞳が色づく。微かな生気がその眼に宿る。細い腕が伸びる。焦ったくて、手首を掴んで強引に抱き寄せた。
なんだこれ。人の重さじゃない。軽すぎる。
「突っ切るぞ!」
散々練習していた剣の代わりに細い棒を握る。それでも理性を持たないそれらを退けるのには十分だ。
傍らの少女は脚を動かす余力も残っていないらしい。申し訳ないが、こちらも担ぐ程の筋肉はないので、引きずりながらひた走る。
針が飛んで来る度に、近くのそれらは転がり、倒れ伏せる。
途中で棒を振り回すよりも脚で蹴った方が早いことに気がついて、足蹴にしながら前へ前へと突き進む。
全く、これでは本当に足立花と同じではないか
「ディアナ様、その子は――」
「人間だ。何度も言わせるな」
「――わかりました。後は私に任せて外門へ」
「ああ。すまないが任せた!!」
暗い道を走り抜ける。肩に担いだ弱い腕の先の骨のような指が、密かに力を入れる。
(ああもう! 引き摺ってると足がよろけてしょうがない!)
少し気持ち悪いけど仕方ない。
銀色の針を口に加え、彼女を両腕で抱え込む。所謂お姫様抱っこってやつなのだろう。腕はちょっとキツイけど、こっちの方が走りやすい。
外門が見えた。
後少し。後少し走れ。頑張れ私の腕と脚。
人影が見えた。ローブを羽織った女性。暗がりでよく見えないが、こんな夜中に門の前で待っている人間なんて一人しかいない。
ラナはこちらに気がつくと目を大きく見開いた。慌てて駆け寄ってくる。
「ディアナ様! それにその子は――」
ラナが口元を抑える。大粒の涙が頬を伝う。
「なんと、どうしてこんなお姿に……。でも、本当に、生きていらしたのですね……!!」
「感動の再会は後にしてくれよ」
棒切れを咥えているものだから、フゴフゴと言葉を紡ぐことが精一杯。押し付けるように、ぐったりとしたリリスをラナに預ければ漸く体が自由になる。
「いいか? 前に言った通り、できるだけ遠くに逃げるんだ。王都とは反対方向に」
「ディアナさ――」
「早く行け。バレたら元も子もないないだろ」
「――ありがとうございます。このご恩は必ず」
深々と頭を下げ、ラナは走り出した。私も早く戻らなくては。別の使用人に目撃されたら、格好付けた意味もない。
さっさと道を引き返す。
全く、月の光もないというのに、眼はすっかり暗闇に慣れてしまったみたいだ。
牢屋の中のそれを見て思ったこと。
これは本当に人と呼べるのだろうか。
いや、人ではあったのだろう。それは間違いない。
これらはどう見ても死体だった。生きてる死体。矛盾した存在がここに飼われている。閉じ込められているのではない。
そう推測したのは、牢屋に鍵がかかっていなかったからだ。いや、正確には鍵は三つしかなかった。こいつらの牢屋はその三つの鍵に連動して開け閉めできる。
もしかしての考えに至った時にはもう遅かった。
番犬は自分たちの餌を取られまいとディアナに飛びかかる。
彼らの血肉は反吐だった。しかし、彼らの生を辛うじて繋いでいたものは、紛れもなくその中心で閉じ込められていた少女だった。
むせ返るような臭いに混じって、くらりと頭を揺さぶる魔力の残り香。
忍ばせていた針を指に挟む。こんな大立ち回りをする羽目になるとは思わなかったが。
「この命は、彼女のために」
ぼそりと呟いた言葉に、自分でも驚く程、胸が高鳴った。
少し補足。
使用人が持ってる鍵を使えば牢屋を開けられるのではないかと思われるかもしれませんが、この使用人が持っているのは倉庫の鍵だけです。
彼女の役割的に牢屋の鍵を開く必要がないからです。
ままならないですね。




