1月2日
年が明けて二日目の朝。
私は酷く億劫な気持ちをズルズルと引き摺りながら、鉛のような足取りでその人物の元へと向かう。
客室の一つの扉を、これまた重たい腕を気合いで持ち上げて開く。
中にはすでに、我が物顔で優雅に脚を組んで寛いでいるいけすかない男が紅茶の香りを楽しんでいた。彼は私に気づくとニッコリと胡散臭い笑顔で挨拶する。
「ごきげんよう。今年もよろしくお願いします」
「……よろしく」
絞り出した声は自分でもどうかと思うくらい固い。あからさまに警戒している私の姿が面白いのか、レビンは笑みを深めた。
「どうぞこちらへ。どうせ親が話している間はお互いに暇なのですから」
ここは私の家のはずなのにどうしてあんたが促すんだよ、と心の中で悪態吐きながらも、足は素直にソファへと向く。やや堅いそれに体を沈める。
結局のところ、こいつの言う通り、お父様たちが話している間はお互いに顔を突き合わせるしかない。
挨拶はしたからと部屋に戻ったら、使用人たちが喧嘩しただの何だの噂話するだろうし、それがお父様の耳に入ったら面倒だ。
ただでさえ、私がレビンを避けているという噂(というか事実)が立っているのだか、ここは大人しくしておくに越したことはない。
「そう言えば、彼女を救う算段はついたのですか」
……前言撤回。レビンと話している方が桁違いに面倒かもしれない。
なんでそんなことを知っているのか、と問い詰めたくもあるが、目の前の男は魔術の天才。ならば何か仕掛けがあったとしてもおかしくはない。
「仮にそうだったとして、あんたに話すと思うか」
「思いませんね」
なら聞くなよ。じろりと目の前の男を見やる。
「……あんたさ、私が何をしようとしているのか知ってるのに、なんでお父様にチクらないんだ?」
「チクって欲しいのですか?」
「……普通ならすぐお父様にチクって、始末でも何でもするだろ。そうしないのは何でだ」
そうですね、とレビンはティーカップごと、中の飴色の液体をクルクルと回した。緩い渦が力無く回転する。
「僕は普通ではないから、と言えば納得いただけますか」
「は?」
「エーギル殿や身内のような研究に、僕は興味がないんですよね。計算通りの結果なんてつまらないと思いません? だったら多少のイレギュラーが生じた方が面白いですし、そう言うものほど必要なのだと、僕は思うんですよ」
(……何に言ってるんだ、こいつ)
要するに、レビンはお父様が倉庫でやっている実験には興味がなくて、予想通りの結果よりも、自分が面白いと感じる結果の方が嬉しいってか。
「私はあんたのいいおもちゃってわけだ」
「人聞きが悪いですね。貴方は僕とは無関係に事を起こすのですから、旅芸人みたいなものでしょう?」
どちらにせよ、愉しむための道具に代わりない。
だけど、この思考回路のおかげで今の私は生き延びているようなものなのだろう。そして、リリスを救うことができるかもこいつの愉快判定にかかっている。
下手なことを言うことができない歯痒さを誤魔化すように、ティーカップに口をつけて乾いた唇を潤す。その間もにんまりと三日月の形に細められた赤い双眼が、観察するように凝視している。
「あんたはお父様の肩を持ってるわけでもないのか」
気になっていたことをずばりと尋ねる。ゲームの中のレビンはお父様と結託していた。そしてあの倉庫を知っていた以上、今も事情を知るくらいには首を突っ込んでいるはずだ。
しかし、さっきの話が本当なら、レビンは例の実験について関心を寄せていない。だから、お父様の意に反する私の行動を傍観者として面白がる余裕を見せている。
(この男の目的は結局なんだ? どこにあるんだ)
「確かに肩を持っているわけではありませんね。あの人たちがやろうとしていること自体には興味がないって先程話したでしょう?」
「ならどうして」
「今日は随分とおしゃべりですね」
「ぐっ……」思わず小さく唸った。その様子を見て、レビンは満足げに唇の端を上げる。
「いいえ。いいんですよ。きっとそう言うことなのでしょうから」
意味ありげな微笑みを前にして私は唇を噛み締める。レビンは芝居がかった仕草で顎の下を指で撫でた。
「でも、あの人たちがやろうとしていることには興味があります。ええ、僕も魔術師の端くれなもんでね」
「あ? それってどういう――」
はっきりとしない物言いに苛立たしげに口を開いた瞬間、レビンはテーブルに片手をついて身を乗り出してきた。すっと細い人差し指が、私の唇スレスレで静止する。
「まだ、ダメですよ?」
赤い三日月の目が、人を惑わすように蠱惑的な光を湛えている。薄い唇は花弁のように両端を持ち上げ、優雅に微笑みかけてきた。
時間が止まったような刹那の一時、何度か瞬きをしてからズイと体を仰け反らせた。時間差で悪寒が走る。
「あはは、いいですねその反応。以前までの貴方なら拒絶の意思なんて見せなかっただろうに」
身震いする私とは裏腹に目の前の男は乾いた声で笑いながら、再びソファに腰掛けた。
「反逆者さん。ついでだから餞別として一つお話をしてあげましょう」
「餞別?」
まさか私がここを出て行こうとしていることすら知っているとでも言うのだろうか。
いや、お父様の実験を邪魔するのだから、自分の意思に関係なくこの屋敷にはいられなくなるって暗に言われているのだろうか。
ぐるぐると予想を渦巻かせる私などつゆほども気に留めずレビンは訥々と話し始める。
「僕にとって、以前までの貴方は実に退屈でした。魔術に縋りつき、自分の父親しか見ていない貴方は本当に滑稽でしたよ」
「……だろな」
だから、あんたは殺せたんだ。『どうでもいい存在』でしかなかったから。
わかってはいたが、面と向かって言われると多少くるものがあって、苦虫を噛み締めるみたいに唇を薄く噛んだ。
「ですが、今の貴方はそうではありません。寧ろ興味の対象です」
「ゾッとするようなことを言うな」
「そのゾッとするようなことのおかげで、貴方は見逃されているんですよ?
まあ、聞いてください。僕は貴方のことは興味なかったし、上手く扱えば使えるな程度にしか思っていませんでした。先程貴方が自分をおもちゃだと揶揄しましたね。頭を打つ前の貴方ならば僕はおもちゃ以下の道具として使ったでしょう。ですが、今の貴方はそうじゃない。
自分の意志で、あんなに盲目的に尊敬していた父親を裏切ろうとしている貴方は実に魅力的ですよ。願わくは、企みが無事に成功して生き残ってほしいと思う程には、興味を惹かれています」
早口でおそらく褒めているのであろう言葉を羅列した後、すんと辺りが静まり返った。
餞別とか言うものはそれだけかと顔を上げると、ギョッとするほど無感情な笑顔を浮かべた男の顔がそこにはあった。作られた笑顔ですらない。人工的に笑顔を貼り付けたような、無機質で不気味な笑み。
「――果たして、頭を打っただけで、人はそんなに変われるものでしょうか」
ドクン、心臓が大きく脈を打つ。まさかこいつ――。足を開いて、左手で肘掛けをグッと掴んだ。
ドクン、ドクン、ドクン、心臓が時計の針のように耳に響いてくる。レビンはすっと瞼を伏せる。
「そんな警戒しなくてもいいじゃないですか。ただ、疑問を口にしただけですよ?」
と、いつもの胡散臭い微笑みで首を傾げた。
(なんだ、今の)
目を瞬かせても、先程の貼り付けたような不気味な笑顔はない。ただえらく爽やかで胡散臭いだけの微笑みがある。
「ささ、座ってください。どうせまだあの人たちの話は終わりませんよ」
「あ、ああ」
私はへたり込むように座り直した。まじまじと見つめたレビン・ヴァルティは、お上品に紅茶を味わっていた。
ドクン、ドクン、ドクン。
嫌な心音が、体の中で鼓動する。




