12月24日
偉大なる魔法使い、聖人アストラが初めて人間に魔術を授けたという日。
そのため人間が聖人の祝福を得て、魔術師が生まれた日である今日を人々は聖誕祭などと呼んでもてはやす。
一日ずれている、という説もあるようだけれど国が定めた祭日は今日である。
こういう祭日というのは、金持ちたちが優雅な娯楽に耽る日だ。そして、そうともなればティフォン家のご令嬢である私も、そういう催しへの出席を余儀なくされる。
重たいコバルトブルーのドレスをストンと下ろして、端から端まで目を光らせる。
今日という日にかこつけて私に近づく輩がいればすぐに逃げてやる。他人には見えないのをいいことに足首をぐるぐると回した。
「お嬢様、舞踏会ですので殺気はお控えください」
給仕の格好をしたナギが音もなく背後に立って耳打ちする。
以前の私だったらびっくりして肩を震わせていたところだが、毎日数回は背後に立たれるような日常を過ごしていることで、いい加減慣れてしまった。
「殺気じゃない。ただ近寄るなってオーラを飛ばしてるだけだ」
「目に力を込め過ぎです。……先ほどカイル様をお見かけしました。こちらにいらっしゃるかと」
「カイルが?」
こういう場所を好まないカイルがわざわざ顔を出すなんて珍しい。
立場上、挨拶回りに駆り出されている訳でもないだろうし、私に会いに来たのだろうか。
「どっちにいるかわかるか?」
「ご案内いたします」
ナギのスマートなエスコートのおかげで、大人たちに混じっている小さな影を見つけるのは造作もなかった。私たちに気づいたらしい翡翠の瞳とぱっちり目が合う。
「ディアナ!」
駆け寄ってきたカイルもおめかし仕様だ。白を基調としたタキシードは若干着せられている感があるが、それもアクセントに思えるくらいには似合っている。
妖精王子というあだ名は伊達ではなかった。
まじまじと見ていたからか、カイルはさっと頬を朱に染める。
「お、思ったより人が多くてさ。ちょっと困ってたんだ。見つけてくれてよかったよ」
「付き人はいないのか?」
王子を一人で出歩かせているのかと眉を顰めるが、彼は首を横に振って否定する。
「いるよ、ほらあそこに一人、あそこも」
指を指した方角には、強面のタキシード姿の男が二人。ガタイの良さが品の良いタキシード越しで浮き彫りになっていて窮屈そうだ。
「そんなことより。えっと、ここだと人が多いからバルコニーに出ない? 君に話したいことがあるんだ」
本当に私に用があってここまで来たようだ。真剣な眼差しにつられるように表情を引き締め、ナギの先導に従ってバルコニーへと出る。
まだ始まったばかりの舞踏会、ともあれば会場で話に花を咲かせるのが社交辞令というものなのか、バルコニーに人の気配はない。肌を刺すような冷たい風が吹き抜ける音だけがもの寂しげに響く。
「で、何の用なんだ」
ナギに人払いをお願いし、早速本題に切り込む。静観な庭園を見下ろしていたカイルは顔を上げた。視線は遙か遠くの景色を見つめていた。
「君は来月、騎士団の試験を受けるんだよね」
騎士になるためには試験を受ける必要がある。その日は1月の28日。
試験といっても、内容は騎士を志すものたちによるトーナメント形式の試合。上位入賞者はもちろんのこと、素質があると認められたものも騎士見習いへの切符を手にすることができる。
「そうだ。そのためにずっとやってきたんだから」
何を今更と片眉を上げる。
ヒューヒュー耳を擽る木枯らしが、やけに大きく響いている。
「そうしたら、僕たちの婚約はどうなるんだろう」
「そりゃ……なかったことになるんじゃないか? 私は家出同然で騎士になるんだ。少なくともティフォンの正式な後継者ではなくなる。そんなやつと婚約継続しても、双方にとって利益はないし、ソルディオにとっては不名誉以外の何でもないだろ」
お父様にとってもそうだ。たった一人の娘に裏切られ、恥をかかされるハメになるのだから。
(ま、その前に処される可能性は十分にあるんだが)
「そう、だよね……」
煮え切らない返事。沈黙が落ちる。
カイルは考え込むようにまた視線を下げている。瞼は開いているけれど、視線の先の景色など、微塵も映っていないのであろう。
口を挟むのも無粋な気がして、私はただその横顔を見ていた。
女のようにも見える端正な顔立ちはまだあどけない。しかし、黙って物思いに耽っているからだろうか、いつもよりは幾分大人びても見える。凛としている、というのか。
(あんなに怯えてたくせに)
頭を打つ前は互いに無関心で当たり障りなく振る舞っていた。いや、カイルはそう振る舞っていただけで、内心は私に気を遣っていたことだろう。
そして頭を打った後は私の言動が一人歩きをした結果、怯えに怯えていた。思い返せば面白いくらいに。ベソまでかいていたような気もする。
それが今や、私と普通に話しているどころか、お互いに良い友人関係を築けているのだから、人生とはわからない。
(最初の頃は自分が生きられる道を少しでも増やそうって思っての行動だったんだが)
私自身も気付かぬうちに、動機と手段はその境目を失って、形を変えてしまった。
こいつと良い関係を築いていることはもはや生き残るためではなく、単純にこの関係に心地よさを抱いているからなのだろう。だから今もこいつと向き合おうとしている。
暫くその横顔を眺めていると、不意に細い顎が持ち上がる。ゆったりとした動作で振り返ると、カイルは薄い微笑みを浮かべた。
どこか泣き出しそうなその微笑みに、感情を押し殺して無理やり形作ったような表情に、心臓が嫌な拍動を起こす。
「それなら」薄い唇は言葉を紡ぐ。「これでお別れだね」
え、なんて言葉も出なかった。衝撃などではなかった。
やがて必ず私たちの前に現れるそれに、ただ、咄嗟に頷くことはできなかった。
「これでお別れだね」
言ってしまったからには、もう引っ込めることはできない。
彼女に寂しがっているということを気づかれないように、彼女が僕のことなんて気にすることなく自分の道へと進めるように、精一杯の強がりで微笑んだ。
(……違う。本当は、笑いでもしないと泣いてしまうから……)
僕は涙腺が緩いのだろう。少し感傷的になるだけで涙が溢れる。
いつもなら、そのくらいで泣くなよと軽く受け流してくれるだろう。でも、今日ばかりはそうはいかない。
きっと困らせてしまう。それだけは嫌だ。絶対に。
ディアナは口を噤んでいた。眉尻が下されて困惑したような表情をしている。
これ幸いと言葉を連ねる。
「僕ね、最近考えていたんだ。君が自分で騎士になろうとする姿を見て、じゃあ自分は何になりたいんだろうって。ずっと、父上や周りの人たちに促されるまま敷かれたレールの上を歩くのかって」
胸に手を当てる。今までの僕だったら、それが僕の未来だと何の疑問も持たずに受け入れていたことだろう。王族に生まれた者の宿命なのだから仕方がないと。
しかし、自身の運命に抗う彼女を姿を見て、少しずつその在り方を窮屈に思うようになった。
彼女の言葉を借りるのであればきっと『碌でもない道』なのではないかと。
「こんなことを言うと怒られるかもだけど。最初はね、ディアナが騎士を目指すって言って、僕から剣を習ったり、体を鍛えている姿を見てても、そんなことできるはずないのになぁ、なんて思ってたんだ」
てっきり睨みつけられるくらいはすると思ったのに、彼女は静かだった。腕を組みながら、僕の言葉に耳を傾けている。
「君はティフォン家の後継者で、女の子。前例もなければ、失うものしかない。都合のいい夢物語でも聞かされている気分だったよ。
……なのに、いつからか君のその姿が眩しく見えるようになった」
あの倉庫の前で、彼女が僕に打ち明けてくれた秘密。途方もない話だったけど、その途方もないはずの話を信じたのは、きっとあの時にはもう、僕もその夢に浸っていたから。ありえないことをあり得るかもしれないと期待を抱いていたから。
「ねえ、ディアナ」名前を呼べば、彼女の代わりにさあさあと風が返事をした。
一年の終わりを告げる、ひんやりとした空気が肌を撫でる。
「君は僕に、憧憬を抱かせてくれた。決まった道じゃなくて、別の道を自分の手で開いて、そして……君の隣で、肩を並べられるような僕になりたいんだ」
「カイル……」
口に出した言葉が気恥ずかしくて、うっすらと熱を持った頬をポリポリと掻く。
「その一歩として、留学しようと思うんだ。東にあるもう一つの魔術の国。父上にも話をつけてある」
「留学って。また急な話だな」
「僕には君みたいに抗う理由が明確なわけでも、目指す目標が決まっているわけでもないから。だから、まずはいろんなものを見てみようと思ったんだ。そうすれば、本当にやりたいことも見つかるかなって」
「いいんじゃないか。……ああ、だから『お別れ』なのか」
「うん」
留学するための勉強。それに準備や諸々の手続き。これからやらなくてはいけないことは山積みだ。僕はディアナのように地頭が良い方ではない。だから、スケジュールに余裕なんてない。
彼女が屋敷から去った後に僕は異国に行く。突然過ぎる出立はだけれど、僕が初めて自分の意思で決めたこと。彼女の友人として、同じスタートラインを切りたいと言う我儘だ。
「それを伝えるために、わざわざここに来たのか」
「年末は行事が続いてるし、年が明けたら本格的に缶詰になっちゃうから、言うなら今日くらいしかなくって。……どうしても、面と向かって話したかったんだ。剣の稽古、最後まで見てあげられなくてごめんね」
「はっ、何言ってんだ。今更あんたがいなくてもどうってことない。ナギもいるし、最近やたら動きが俊敏な使用人にも付き合ってもらってるし」
「ふふ」思わず笑い声が漏れる。怪訝な顔をするディアナに謝ってから。
「だって、以前の君だったら考えられないんだもん」
「お互い様だろ」
「そうだね。ふふ、うん、そうかも」
拗ねるように唇をへの字に曲げ、ディアナはそっぽを向いてしまう。こんな一面を見ることができるのも、僕たちが友だちになれたからなのだろう。
「ディアナ、一つだけ約束してくれないかな?」
「なんだよ」ぶっきらぼうな言い方だけれど、視線はしっかりこちらへと向いていた。
こほん、と咳払いする。ネクタイの位置を正して、正面から彼女を見据えた。
しん、とあたりが静まり返る。会場から漏れ出る群衆の声すら、ガラス扉に遮断されたように聞こえてこない。
すう、と息を吸い込んだ。湖のような澄んだ青い瞳が僕の姿を捕らえる。
「僕がこの国に戻って来たら、その時は――また友だちになってくれませんか?」
婚約が破棄されてしまえば、僕たちが婚約者として関わっていた時間もなかったものとなるだろう。お互いが信頼を寄せていたとしても、僕と彼女を繋げていた糸が断ち切られれば、この関係性は他人に戻る。
一国の王子と家を捨てた女性。二人の間の壁はさらに年月を重ねるごとに分厚い障害となり得るだろう。
もしかしたら、再会することすら難しいのかもしれない。
それでも子ども同士の約束なんていう曖昧なものに縋るのは、ただもう一度会いたいから。会って、今度こそ、なんのしがらみも関係なく、友だちになりたい。
差し出した右手は僅かに震えていた。らしくないことをしているという緊張と、ディアナのことだから悪意なく一蹴してしまうかもしれないという不安が指先の熱を奪っていく。
ディアナは瞳の奥を覗き込むように僕を見つめていた。心の中を読もうとしているようなその視線に耳まで赤くなる。
やがて、その口元が緩んだ。いつもの意地の悪そうなニヒルな笑顔でも、大口を開けた豪快なものでもなく、もっと穏やかな笑みである。
瞬間、バチンと叩くように右手が握られる。
ちょっと、だいぶ、強く、強く握られる。
「ああ、約束だ」
握り潰さんばかりに握ってくる掌とは違い、その声音は優しく、凛と響いた。
「あんたが帰ってきたら、その時は私があんたを迎えにいってやるよ。そんでまた、友だちになろう」
それは子ども同士がする口約束。
雪よりも脆く、霧よりも不透明な言葉のやり取り。
でも、彼女が口にするだけで、曖昧なそれが確固たるもののように思えてくるから不思議だ。
じんわりと暖かくなる胸は、まるでその約束を深く刻み込むように大きく鼓動していた。




