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11月9日

 「ディアナ様」

 気晴らしの走り込みが終わった後、タイミングよくナギが姿を現した。

 それもいつものように背後から忍びのようにシュッと出てくるのではなく、前方から歩いて出てきたものだから、見間違いかと目元を擦る。

 「どうしたんだよ」

 「少しお話ししたいことがございます」

 目を鋭く細める。監視役から改まって話したいことがあると言われて、警戒しないというのは無理がある。

 能面みたいな顔からは何を考えているのか読み取ることはできない。まっすぐに見つめてくる視線に目を逸らすこともないまま、私は首を縦に振った。


 自室に戻って椅子に腰掛ける。ナギにも正面に座るように促したが、それはあっさりと遠慮されてしまう。

 「で、なんだよ」

 後ろ手にクッションを握りながら顎を持ち上げる。

 こんなものでも多少の目眩しになってくれれば良いのだが。

 「ディアナ様……。ここから先は、監視役の私ではなく、ただの私――ナギとしてお話しさせて頂きたく存じます。お許しいただけないでしょうか」

 なんだそれ。私相手に了承を取る必要あるのか。

 口に出してしまいたくなったが、無駄に時間を浪費するだけだろうから二つ返事で返す。

 ありがとうございます、なんて丁寧で無機質な声がお礼を述べ、訥々と話し始めた。

 「昨日お話ししてくださったことについて、私なりに考えてまいりました」

 「考えたって、何を?」私の疑問にナギは答えない代わりに。

 「ディアナ様は例えご自身が殺されることになったとしても、その少女を助けたいのですか」

 ナギの顔は険しかった。

 眉目の一部が動いたとかいうレベルではない。

 私は初めて、この男が表情を変えた瞬間を見た。鋭く、しかし真摯に答えを求める視線が私のそれと交わる。

 「殺されるのか、私は」

 自分でも驚くほど落ち着き払った声で問う。「ええ」

 沈黙が落ちる。

 これは彼なりの最終通告なのだろう。これ以上あの倉庫に関わるならばお父様は私を殺しにくる。そうでなければまだ生きれる道はある……。

 (……いいや違う。あっても逃げ道だ。生きていられる保証なんてどこにもない)

 逃げずに言いなりになったとしても裏切られて死んだ末路があるのと同様に、逃げた先で殺される可能性もある。しかも狙ってくるのはお父様――ティフォン家と、レビンの実家であるヴァルティ家。もしかしたらソルディオや、他の協力者もいるかもしれない。

 結局、どう足掻いても私という女には死が纏わり付いてくるのだ。誰にも知られず亡命でもすれば、全くの新天地で暮らすことはできるかもしれない。

 しかし、残念ながら私にそれほどの勇気もなければ行動力もない。元引き篭もりのガリ勉は、他国に思いを馳せるような乙女とは縁遠い。

 「助けるよ。それで殺されることになっても」

 選択肢なんてあってないようなものだ。しかも、そのほとんどにおいて私は多分碌な目に遭わない。逃げ道はある。だが、逃げたところで私に突き立てられる刃の数は変わらない。

 ならばいっそのこと、誰かの心に自分を刻み込めれば。そうであれば私の死にも幾分の意味とやらが生まれるのではないか。

 (我ながら後ろ向きだな)

 正義の味方を気取って格好つけるくらいなら私にもできるだろう。しかし、どうしても私の根っこにあるのは自分勝手な願望で、それを正義だと美談に仕立て上げる器用さはない。

 「他人のために、命を危険に晒すのですか」

 「そうとも言えるけど、そんなんじゃない。

 私の命なんてな、ここでお利口さんにしていても代えが効く程度の価値しかないんだ。どんなにいい子に、お父様の望み通りの努力をしても使えないと思われたら切り捨てられる。いや、そう思われなくたって呆気なく摘み取られてしまうようなものなんだ」

 「なぜ、そう確信を持っているのですか」

 「……親子だからな。そういう行動を取ることが正常だってわかるんだよ」

 だから、あんな夢で終わらせてしまえばいい内容を鵜呑みにしているんだ。

 それに、ゲームのディアナだってそういうやつだった。

 随所随所のナギや彼女の取り巻きたちへの扱い、そして何より婚約者であったはずのカイルへの所業は人へ向けたものではなかった。

 人の形をした道具。ディアナにとってのカイルたちはその程度の扱い。そしてそれは――。

 「私だっておんなじだ。他人は自分にとって都合のいい人間は道具でしかなくて、それが使えなくなったら廃棄品。使用人なんてその代表みたいなものだった。

 だから、あいつはそうするよ。私がいらなくなったら間違いなくそうする」

 なぜならエーギルという男は私の実の父親なのだから。あの男のお眼鏡に叶うような人間になるために、私はずっと生きていたのだから。

 「でしたら今の貴方は矛盾しています。貴方にとって他人が道具でしかないのだと言うのでしたら、少女を助けようとするのはなぜですか。その少女は貴方にとってご自身の命以上の存在なのですか」

 「違う」

 バッサリと切り捨てる。「そんな、殊勝な理由じゃない」

 「どうであれ自分の命が危険にさらされるのであれば、少しでもお父様に痛手を与えたいだけ。少しでも自分の心に正直でいたいだけ。少しでも、マシな未来を見てみたいだけ」

 もちろん死ぬ気はないけれど、そう言う運命を背負っているらしいことが変わらないのなら、せめての傷跡を残したい。生きた証なんてかっこいいものではないけれど、誰かの胸に私という存在を刻みたい。

 人はそれを、我が儘と言うのだろう。

 「私が考える最善に必要だから、私はあの子を助けたい」

 梨々子に似ているあの子を。

 「自分勝手な理由なんだ。でもよ、どうせそうなるかもしれないなら、精一杯抵抗してそうなりたいだろ?」

 反抗期真っ盛りの子どものような正当化に我ながら呆れて、嘲笑する。

 再びしんと静まり返る。私の本音は言ってしまった。あとはナギの出方次第だ。お父様に報告するのか、報告を待たずして邪魔者だと判断を下すか。

 「それが、貴方のお考えなのですね」

 「そうだ、私の我儘(理由)だ」

 「自分が考える最善のための、精一杯の抵抗、ですか」

 意味をなぞるようにゆっくりとナギはその言葉を口にした。言い募っている時は気にしていなかったが、他人の口から改めて聞くと小っ恥ずかしい。

 「私にもできるでしょうか」

 「は?」

 耳を掠めた言葉が上手く読み取れなくて、思わず聞き返せば蒼く凪いだ瞳がこちらを見据える。

 「私にもできるでしょうか、最善のための精一杯の抵抗とやらが」

 「……知らねーよ。自分のこともわからないのに人のことなんてわかるか」

 自分で考えるんだな、と鼻を鳴らす。ナギは長いまつ毛を伏せて思案するように俯いた。薄い唇がゆっくりと動作で開く。

 「――ならば、私も協力しましょう」

 「……ん? え?」

 すっとんきょうな声が出た。ナギが顔を上げる。

 「貴方の抵抗のお手伝いを、私にもさせていただきたい」

 「は? あんたそれって。意味、わかってるのか?」

 「ええ」ナギは力強く頷く。

 「どうせ終わったも同然の命です。であれば、この命、少しでもマシな未来のために使いたいのです」

 「お父様に粛清されるかもしれないんだぞ?」

 「構いません。少し死期が早まっただけです」

 ナギの決意は硬いようだった。だが、それ以前に彼の口から発せられた言葉に息を飲む。

 「私も拗れてると思うけど、あんたもだいぶ拗れてるんだな」

 「そうでしょうか」

 当たり前だ。普通の人間だったら多かれ少なかれ死ぬことを回避したがるだろう。

 (それに終わったも同然って……)

 私と同じ年頃の少年が平然と言って退けるものじゃない。

 (これが、ナギの抱えている『設定(何か)』なんだろうな)

 私には触れられない闇。それを解決するにはおそらくまだ役者が足りない。

 「拗れてるよ」念を押すように口にしてから、私は被りを振った。

 ソファから立ち上がり、同じ目線で彼を見つめる。

 「なら、ここからは監視役と監視対象じゃなくて……えっと」

 「お嬢様と世話係です」

 「あ? そんな呑気な関係か?」

 「私は貴方につくのです。であれば主人が旦那様から貴方に移ったと言えるでしょう」

 「まあ、そうか? 確かに協力者とかだと露骨すぎるか」

 少しカッコいい響きだな、なんて思っていたのだが。

 内心残念な気持ちに浸っていると、徐に片手がナギの白い指先に掬われる。なんだ? と首を傾げる前に、薄い唇が指先に口付けた。

 時が止まったかのようにゆっくりとした動作でナギの唇が離れ、目が合う。その瞳が幾分和らいだ。

 「………………」

 数秒、固まって。

 「みぎゃーーーー!!」

 盛大な悲鳴が、屋敷の中にこだました。

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