11月8日
季節は少しずつ冬に移り変わっていき、暖かな色を注ぐ日の光の下でも肌寒い日が増えてきた今日この頃。
私は一人、倉庫を睨みつけていた。
扉を押しても開かない。窓ガラスの破壊を試みたがあんなに罅が入っているというのに欠片一つすら破損できない。
これはいよいよ何かしらの魔術がかかっているぞと勘付いてあれこれ調査してみたけれど、それらしい魔術の痕跡も見つけることができず、恨みがましいさから目を怒らせているのが現状である。
(考えても見ればここはお父様が管理しているんだから、そっとやちょっとでバレるような魔術は使わないか)
あの日忍び込めたのは、偶々ここの鍵を誰かが閉め忘れていたからだ。魔術が解けていた、なんていう大層な理由以前の問題だった。
(お父様以外も出入りしているとすれば、あり得るのはレビン。でも二人ともそんなうっかりミスなんてしてくれるタイプじゃない)
であれば二人に協力している第三者がいるということになる。もしやこの屋敷にいる使用人の中に協力者が紛れているのではないだろうか。
(でも、お父様が使用人にそんなことを命じるとしたら――)
「ディアナ様、お勉強のお時間です」
「うひゃっ!?」
思案に耽っている最中、突然背後から声をかけられ、私の肩がびくりと跳ねた。反射的に振り向いて、その人物をじろりと睨む。
「そうやっていきなり声かけるなって言っただろ。せめて足音立てて来いよ」
「申し訳ございません。以後気をつけます」
テンプレートをそのまま読み上げただけの返答に私は脱力する。直す気など微塵もないのだ。「もういいや」
「なあ、ここってどうやれば入れるのか知らないか?」
「知っていたとしてお話するわけにはまいりません」
質問を質問で返してきたことにムッと唇を尖らす。
以前までの関係であればおそらく「知りません」としか言わなかっただろうから、少しは打ち解けたと喜んでもよいとは思うが、嫌味ったらしい言い回しには思わずイラッとしてしまう。
こほん、と咳払いをして「そうだよな」気持ちを鎮める。
「まだお父様にチクってないのか?」
「はい。ご報告するほどのことでもないと判断いたしました故」
「それは私がこの中に入れないって見越してるからか」
「そうですね」
「なら、この中に侵入したらチクるのか」
「状況によります」
「ふーん」
意外と甘いことを言う。監視役というのだから監視対象が主人にとって不利益となる動きをした場合は逐一報告するものだと思っていたのだけあって拍子抜けだ。
報告する情報の取捨選択はナギに委ねられているらしい。
(それとも泳がせるようにとでも言われてるのか?)
お父様のことだから、私が実験のことを嗅ぎ回っていることも、それに対して反発していることも知った上で敢えて泳がせている可能性もあり得る。
そして決定的な瞬間を捉えた時に足を掬って実験材料に……。
牢屋の中で死体のように這いつくばる自分の姿を想像してひとりでに体を震わせた。良くない妄想はしないに限る。
「うーん。どうすればいいか。一応鍵穴はあるんだけど鍵の持ち主なんて決まってるしな」
扉には古びた錠前が取り付けられている。魔力反応は感じないのでどこにでもある普通の錠前なのだろう。
下手に魔術で扉を封じるよりも、こういう原始的な方法の方がセキュリティが担保されることもあるというのは知っている。おそらくこの錠前自体は普通のそれに違いない。
しかし鍵を使った瞬間、何らかの魔術が発動して侵入者を排除する、なんて可能性はありそうだ。魔力を感じないのはお父様の高度な魔術の賜物か。
あれこれと首を捻って動くつもりのない私の背中にナギの視線がこれでもかと突き刺さる。気配の扱い方が上手なことで。
「勉強なら寝る前にやるからどっか行けよ」
「いえ……」
ナギは真顔のまま黙り込む。いつもなら口うるさく戻れ戻れと催促するのに珍しい。気になって横目でナギの様子を観察すると、静謐な青い瞳がこちらを捉える。お嬢様、と静かな口調で呼びかけてきた。
「どうして、貴方はここに入りたがっているのですか」
「あ?」
ナギから質問が投げかけられたのが初めてで反応が遅れる。その遅滞を質問の意味が理解できなかったと捉えたらしい彼は言葉を付け足す。
「貴方はこの倉庫の中で行われていることを知っている。それに加担したくないがために魔術師とは別の道に行きたい。カイル様にはそうおっしゃっておりました。
であれば貴方が再びこの倉庫の中に行く必要はないのではないですか? 関わりたくないのであれば尚のこと」
まっすぐ、その青い瞳が私の真意を問うてくる。
彼は私が倉庫に近づく理由はなんだと聞きたいらしい。この中で良からぬ実験が行われていることは知っているのだから、それ以上詮索する必要はないと。
だが、その問われ方はまるで。
「私を心配してるのか?」
淡々とした口調ながらもそんな雰囲気を感じた。倉庫に行く必要はないから関わるなと、そう忠告しているように。
ナギは数回パチパチと瞬きをして視線をやや横へとスライドさせる。
「心配?」
「なんだ違うのか」
「私はあくまで監視役。であれば貴方が危険なことに首を突っ込まないようにするのは当然かと」
「監視役はあくまで監視をしてればいいんじゃないのか? そういうのは世話係とか親の役目だろ」
「……ふむ」
瞼が伏せられ黙り込む。出過ぎた真似をしているという事実を咀嚼するために、頭の中の整理でもしているのかもしれない。
「まあ、そうだな」
こいつの問いの真意はどうあれ、初めて向こうから質問されたのだから答えてやる義理はあるだろう。私は暫しの逡巡の後、言葉を紡いだ。
「私は、この中に立ち入ったことがある」
ナギの顔が上がる。カイルとの話を聞いていたのであれば驚くようなことではあるまい。
「入ってしまったのは偶々だ。そこで私より小さい女の子が捕まっているのを見た」
ガリガリに痩せた肢体に白い長髪が流れる。眼窩の奥の桃色の瞳はどこまでも虚に澱んでおり、何の感情も抱かぬまま私を見上げていた。
「私はあの子を助けたい」
「……なぜですか。その子はディアナ様と何ら関わりなどないのではありませんか」
「なかったら人を助けちゃいけないのか?」
ナギを一瞥する。彼は押し黙った。
「私と同じくらいの子が、よくわからない実験に付き合わされるなんておかしいだろ。そう思うことはおかしいのか?
その主犯が私の父親だと知っていて、見て見ぬふりして一人逃げ仰た方がいいっていうのか? そっちの方がおかしいだろ」
いつにも増して饒舌な言葉の節々は刺々しい。まるでナギを責めるような言い方をしている自覚はあるが、どうにも抑えることができなかった。
「確かにさ、私のこれはただの正義心とか後ろめたさだけじゃないよ。もっと自分勝手な理由が根底にはある」
一つは、私を殺す未来を持つお父様とレビンへの反抗心。
そしてもう一つは、足立花という女が置いて言った記憶。彼女の唯一無二の友人である梨々子の面影を、私はあの少女に見出してしまっているのだろう。
ディアナとして生きた十年間と、足立花が生きた十数年間の記憶を足した中で、一番暖かな思い出の中心にいる人。花の心の支柱だった人。
記憶こそ所持しているが、私に彼女の感情がそのまま継承されているわけではない。なのにどうしても、梨々子と被るだけのあの子を放っておくことはできそうにもなかった。
助けなくてはいけないという義務感のようなものが私の頭の片隅に常にあるのだ。
それが、私の知っている梨々子という少女への憧憬によるものなのか、私の知らない足立花の記憶に起因するものなのかはわからない。
つまり、私の自分勝手な感情が、あの牢屋に囚われているリリスを助けたいという思いを駆り立てている。正義感も父親のしていることへの後ろめたさも二の次だ。それでも、きっと――。
「私のやろうとしていることは間違ってはいない」
理由に正しさはないかもしれない。しかし、やろうとしていることは間違っていることではない。それだけは確信している。
「それになナギ」
私は口元を緩めた。静かに耳を傾けていたナギの肩にポンと手を置く。
「あんたにとっても、あの子はきっと救いになる」
「……は?」
そのまま横をすり抜けて私はそのまま植木迷路へと歩を進めた。
彼女は、この世界を舞台にした作品のヒロインだ。
その一つにナギと結ばれる結末もあるとするならば、私には見えていないナギの内情を知り、寄り添ってくれるのだろう。
(そんなことまで言ったらいよいよ病院に連行されそうだから言わないけど)
私はお父様たちに殺されたくはない。都合のいい操り人形になるのも嫌だ。だからカイルと良好な関係を築いて、ナギも味方に入れようと画策している。
だが、一方で二人と接することを純粋に楽しんでいる自分もいるのも確かで。
ならばこそ、一ミリ程度はあいつらの幸せとやらを祈らない気持ちがないわけでもない。
(ま、カイルかアルヴィンとくっ付いたらナギは死ぬかもしれないんだが)
私がこうなっている今、あのゲームの内容はどこまで真実になるのだろうか。登場人物は着実に現れている。しかしその後の展開は?
未来とやらは選択によって無数に存在しているという。ならば、ディアナがずれてしまった時点で、ここから先の未来はゲームでは描かれていない結末へと流れていくのだろう。
もしかしたらその中に、全ての問題が解決するようなハッピーエンドがあったとしたら。
(なんて、夢見すぎか)
都合の良い夢など見るだけ無駄だ。私は今まで考えていたことを指先で弾いて霧散させる。
植木に囲まれた迷路から見上げた空は、どこまでも清々しく晴れ渡っていた。
倉庫の前、ディアナに残されたナギはぽつりとそこに佇んでいた。
珍しく真剣な顔でディアナは胸の内を話してくれた。
自分勝手で考えなしのそれ。本当であればもっと強固に否定した方が良かった。
それこそ、エーギルに知られたら彼女はただでは済まされない。
なのに、あまりにも愚直な主張に聞き入っている自分がいて、結局黙っていることしかできなかった。
(救いになる?)
囚われている少女を指して、ディアナはそんな言葉を紡いだ。
(私は、何から救われるというのでしょうか)
ナギは自分の掌へと視線を落とす。細く、華奢な指は女のように細い。視線を横へとずらせば、銀色の髪が陽の光に当てられてキラキラと瞬いた。
「今の私を救う方法など、どこにもないのに」
呟いてみて、ああそうだと腑に落ちる。
自分を救うことなど、きっと誰にもできやしない。でも――。
(もし、彼女がもう少し早くそうあってくれていたのであれば……)
それから先は夢物語。過去は決して変えられない。ならば考えないほうがいい。
自分を抱くように肩へと手を伸ばす、ポンと置かれた彼女の温もりが未だ残っていた。




