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10月28日

 「お嬢様、お待ちください!」

 「ついてくるな!」

 身支度を手伝うために湧き出た使用人たちを払いのけ、私は部屋を飛び出した。

 一目散に走り去ってしまえば、誰も私を追いかけようとはしない。玄関から庭へと踊り出て、適当な木の根元で腰を下ろした。股を大きく広げ、三角に立てた膝小僧に、腕の支柱を組み、指を交互に織り込んだ両手の上に顎を乗せる。

 「ディアナ様」

 「ナギか」

 音もなく背後に忍び寄ってきた人影には目もくれず、視線は小綺麗な庭園へと向いている。

 「お戻りになってください。もう少しで」

 「レビンが来るんだろ」

 「さようでございます」

 だったら梃子でも動いてやらないと足を踏ん張る。

 「最近、レビン様との面会を拒絶しているとのことは聞き及んでおります。しかし、レビン様はヴァルティ家のご子息。旦那様は良好な関係の構築をお望みです」

 「それでわざわざ監視役のあんたが説得しに来たってのか? まるで世話係だな」

 「確かに私は貴方の監視役ですが、私を使っているのは旦那様です。旦那様の命令を聞くのは当然かと」

 「はっ、つまんねえこと言うもんだな」

 私の言うことは全然聞いてくれないのに、なんて言うのはお門違いか。ナギは私に仕えているわけではないのだから。

 「じゃあ私がここから動かないって言ったら、あんたは無理矢理でもレビンのところへ連れて行くのか?」

 「いいえ。私の仕事はあくまで貴方に言い聞かせるまで。わざわざお運びすることは致しません」

 「言い聞かせねぇ。ならもっと脅してもいいんじゃないのか?」

 挑発するような発言にしかし、ナギは落ち着いた口調で否定する。

 「ここ数日、ディアナ様を見ていて気付いたことがあります。貴方はおそらく無理強いをされる程、バネのように反発なさる。であれば軽く諭すくらいがちょうどいいのかと。それで無理ならば私には不可能です」

 「……しっかり分析するなよ」

 さっと顔を赤らめて抗議する。

 冷静に自分のことを分析され、尚且つそれを淡々と突きつけられることの居心地の悪さと言ったらない。「否定はしないけどな」

 「ならそう言うことで諦めな。私はこの辺で時間潰してるからチクるなよ」

 「……承知いたしました」

 すっと気配が消える。横目で確認してみると、すでにナギの姿はなかった。

 木の上を覗くように見上げても、誰もいない。

 「あいつ、どういう身体能力してんだ」

 ぽつりと溢す。並大抵の人間ではないことは確かだろうが、音もなく現れて消えて、どこかから常に監視していると言うのだから最早超人の域だ。

 「魔術を使っているようにも見えないし」

 ナギから感じ取れる魔力の反応は微弱である。それも、非常に不安定なものだった。おそらくは純潔の魔術師の家系というわけではあるまい。

 人間の家系のどこかに魔術師の血が混じった、その程度の力だ。

 「ふぃー。こうしてるだけでも暇だしな。昼寝でもするか」

 脚を組んでそのまま背中を地面へと下ろす。最初の頃はばっちいと思っていたけれど、稽古や走り込みの途中で同じようにしてリフレッシュする機会が増えたからか、今はなんの抵抗もない。

 こんな些細なところからも自分の変化を実感する。

 (絶対、ゲームのディアナはこんなことしないもんな)

 あれは生まれてこの方ベッドの上でしか寝たことがないタイプの人種だ。おそらくソファでも寝られないし、枕が変わっただけで寝られないと喚くタイプだったろう。

 (ちょっとは変わってるのかな……)

 さわさわと揺れる葉が赤ちゃんを眠らせる玩具のように穏やかな音を奏でる。重たくなる瞼に身を任せて、眠りへと落ちていった。




 人は夢を見る生き物だ。

 それは脳の整理。あるいは妄想の具現。

 意味のないものを見せられて、起きたら大体忘れてしまう。

 忘れてしまったことに固執する時もあるけれど、そのほとんどはどうでもいいこととして瞬時に消去されてしまう。

 だが、この日の夢はそうではない。

 浅い眠りが私に見せたもの。それはどこかの誰かの記憶。

 足立花という女の欠片。

 砂利で固められた無骨な道が伸び、スタンプを連続で押したかのように、そっくり同じ形をした家に囲まれていた。

 そして傍には、たった一人の友人。

 彼女は私に投げかけた。

 

 「――初めて会った日のことを覚えてる?」




 朧げな夢に揺さぶられ、私の体は跳ね起きた。

 まだぼーっとする頭を支えるように額に手をやると、脂汗がしっとりと掌を濡らした。

 悪夢を見た後のような鼓動の速度に舌打ちをする。体というのはどうしてこうもままならないものなのだろう。

 「お目覚めですか」

 俯いた視界の端に、茶色いブーツの先が映る。降りてきた声に指先が力んだ。

 顔を上げれば、穏やかな微笑みを湛えた赤い眼の少年が、優雅にこちらを見下ろしている。

 「お久しぶりですね。ディアナ。最近は全然会ってくださらないので心配していたのですよ」

 「……そーかい」

 先ほどまで眠っていたせいか、声が霞んでいた。

 「おや? どちらへ」

 土埃を軽く払いながら背中を向ければ、レビンはさも不思議そうな声音でそう訊ねる。

 「あんたには関係ない」

 「あんた、ね。頭を打ってからというもの人が変わってしまったとは聞いていたけれど、本当なんですか?」

 「そうだと思ったならそうなんじゃねーの」

 一瞥して屋敷の方へと足を向ける。場所がバレてしまったのなら、どこにいても同じだ。ならば部屋に籠っている方が余程有意義だ。

 足早くに歩く私の数歩後ろから、レビンの足音が続く。一定の距離を空け、しかしどんなに足を早めても執拗に着いてくる。

 私は屋敷の入り口でぴたりと足を止めた。振り返れば、やはり一定の距離を空け、レビンも立ち止まった。

 「なんで着いてくるんだ」

 「話をするためですよ。貴方の噂を聞くたびにずっと心配だったんです。悪魔に憑かれたのではないか、抱え込んでいた不安が爆発してしまったのではないかとね」

 「嘘つき」

 「ん?」

 グッと拳に力を入れる。唇がわなわなと震えた。眦を上げてやつを睨みつければ、あたかも人畜無害そうな男のキョトンとした顔がそこにはあった。

 その表情に腹が立つ。

 「嘘つきだって言ったんだよ! あんたは私を心配してくれるような奴じゃない。仮に心配していたとしてもそれは私に利用価値があるからだろ! そんな奴が心配だとか、言ってくるなよ!!」

 確かに頭を打つ前の私にとってレビンという少年はただ一人、気を許すことができた友人だ。

 私の悩みをわかってくれて、気遣ってくれた人。気難しい性格に上手く付き合ってくれた人。

 だから、あのまま頭を打たなければ私はきっとこいつに恋心とやらを抱いていたのだろう。何も知らずに彼を慕って、冷徹なご令嬢のディアナ様に成長していたに決まっている。

 (でも今は違う)

 私はこいつに殺される未来を知っている。こいつがお父様と組んで何かしているということを知っている。だからこそ――。

 「私はあんたが嫌いなんだ。ニコニコ愛想良くして、心の隙に入り込もうとするあんたが大嫌いだ。利用したいならもっと扱いやすい奴を探すことだな」

 言いたいことだけ吐き捨てて扉に手を伸ばす。

 しかし、その手が扉に触れた瞬間、別の手が動きを制するように重ねられる。自分のそれより一関節分大きいそれは決して力をかけているわけではない。なのに、私の手は拘束されたかのようにぴくりとも動けない。

 「つれない人ですね」

 耳元で囁かれて全身が痙攣したみたいにぶるりと震えた。鳥肌が立って、血の気がすっと引いていく。

 「そうやって虚勢を張っているのも、誰かに取り込まれないようにするためですか。強く見せて威嚇しているつもりですか? それとも、自分すらも騙そうとしていらっしゃるのですかね?」

 息が掛かるたび、体は怯えたように震える。囁かれる声はとても愉しそうに耳を犯している。

 「ち、ちがっ」

 「違いますか? そうですか? 僕からしてみれば今の貴方は舞台の上の素人役者です。必死に自分という枠からはみ出して別人になろうと足掻いている。違いますか?」

 毒のような瞳が、どろりと溶ける。さながら紫の蜜のよう。

 「多くの人が貴方のことを変わったと言っていました。しかし、僕にはわかります。貴方は変わったのではなく、変わろうとしているだけです。その根本は何一つとして変わっていない。高慢でプライドが高く、意地っ張りで寂しがり屋。そして盲目的だ。

 ええ、そうですね。もし利用するとなればとても扱い安い分類の人間でしたよ貴方は」

 訥々と温度を感じない息が言葉を耳から脳へと吹き込んでいく。脳に届いた言葉は反響して黒く澱んで思考を満たす。

 「でも、もう必要ない」

 知っていたことが、本人の口によって真実へと塗り替えられていく。

 「何に勘付いてしまったのかはわかりませんが、僕をそこまで警戒している貴方を利用するのは下策でしょう。恐怖は人を縛り付けることはできるかもしれませんが、人を操るのには不向きです」

 顔が、手が、緩慢な動作で離れていく。

 私はまるで支柱を失ったかのようにその場にへたり込んだ。心臓がまだ嫌な鼓動を打っている。

 「賢人ティフォンの血を引く者よ、貴方はいつか自分の置かれた状況を理解することでしょう。それまで僕は貴方を殺させはしません。

 時が熟すまで、どうか精々、足掻いて見せてくださいね」

 ひどく穏やかな声音で告げると、足音が遠ざかっていく。

 死刑宣告を告げる死神のような残響に、私は俯くことしかできなかった。

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