10月13日②
いつもよりやや長いのです。
ご容赦のほど、よろしくお願いいたします。
カイルは温室育ちのくせに逃げ足が早かった。私が廊下に出た時にはすでに姿はなかったし、階段を駆け降りる音すら聞こえて来ない。
使用人たちにも聞きながら行方を捜索する。どうやらまだ家には帰っていないようだから敷地のどこかにはいるのだろう。
外に飛び出したという情報を元に、庭中を走り回る。途中でこう言う時こそナギに頼めば早いのではないかと思い付いたが、だめかと首を左右に振る。
あいつはあくまで私の監視役であり、私の言うことを聞いてくれる立場ではない。だから無駄にハードな鬼ごっこが日夜行われているのだ。
「っても、本当にどこに行ったよ」
息を整えるついでに、くるりと見渡す。庭の方はくまなく探した。と言うことはあとは、植木迷路の方か。迷路で迷って出たくても出られなくなっている可能性は大いにあり得る。
「手のかかるやつ」
普通こういうのって、男が女を追いかけるのが定石なんじゃないのかよ。
心の中で悪態吐きながら、地面を蹴った。
時を同じくして、カイルは古びて放棄されていそうな屋敷の影で膝を抱えて蹲っていた。顔こそ沸騰したように火照っているが、纏っている空気は張り詰めている。
「あ、あれは逢引? デート、だったのかな? そんなところに突撃してしまうだなんて僕は――」
最近仲良くなってきたから、少しでも長く遊びたいと思って早く城を出てしまったのがいけなかった。
頭の中ではディアナが銀髪の少年の口元にスプーンを運んでいた場面が繰り返し放映されている。
「あの子は誰なんだろう。僕なんかよりも余程親しげな距離感だった。
……もしかしなくても、好きな人なのかな。そうだよなあ。婚約者なんて言うけど、親が勝手に決めたことだし、最近までそんなに仲良くなかったんだもん。その間に本当に好きな人ができていたって仕方がないよね」
ぶつぶつと呟かれる言葉はまるで呪詛の類である。遠巻きに見ていたリスや小鳥があまりの陰気っぷりにしれっと逃げ出していく。
「でも、だとしたら僕はなんなんだろう。好きな人との間を引き裂くお邪魔虫? やっぱりここは友だちとして身を引くべきなんだろうけど、でもどうやって? 婚約破棄しますなんて言って簡単にできるようなものでもないし……。
でも折角仲良く慣れたんだから応援はしてあげたいし、色恋沙汰で今の関係が壊れちゃうのも嫌だし」
ガサリと茂みが鳴る。しかし、思考の海に深々と浸かっているカイルは気づかない。
「あ、そうだ! とりあえず結婚まではして二人の関係を黙認すれば……。
いいやだめだ。きっと結婚したからには世継ぎを求められる。しかもディアナはティフォン家の一人娘なのだから最初からそうなることを見越しての婚約だろうし……。それに、流石にそんな結婚生活送るのは僕も辛いというか」
「おーい」
「いっそのこと僕も好きな人ができればいいのかな。お互いに別々の人と結婚したいってなれば少しは父上たちも――。
……無理か。父上はティフォンの、それも本家との結びつきを強めるために僕とディアナを許嫁にしたのだろうし」
「おーいってば。無視するんじゃねえよ」
カイルの目の前で白い手袋をはめた左手が蝶のようにひらひら舞う。
「あとはどちらかが問題を起こせば婚約は解消されるだろうけれど。そんなリスクは背負いたくないし。うーん」
「こいつの目、節穴なのかな。さっきからブツブツ呟いてるし、この数分の間に悪魔にでも憑かれたか。――戻ってこいっ」
そう言いながらカイルのスラリとした鼻を親指と人差し指で抑える。
「とりあえず、さっきの子が何者なのか確かめて家柄と調べてから――っ!?」
長いまつ毛が大きく揺れてカイルの視線がディアナのそれと交わる。
「お、戻ってきたか」
「ディアナ!? なんでここに!? と、というか苦しいので離してもらえると嬉しいんだけど」
くぐもった声で言えば、私の指が離れる。カイルは鼻からスーハーと息を吸って吐き出す。
「こっちだって散々話しかけたんだ。それを無視してるようだったから鼻を抑えてやったってわけ」
「う、うう。ごめん。ちょっと考え事してて」
ちょっと考え事していて、の沈み込み方ではなかったのだが。
それをわざわざ指摘してやる義理もないので黙ったまま、私は彼の横に腰を下ろす。「で、なんで逃げたんだ」
「う、うーん。正直僕にもわからなくって。恥ずかしかった、のかな? ああいうのって小説の中でしか知らなかったから。あとは罪悪感というか……」
ナヨナヨと話す自分を叱責するように頬を叩いて、カイルは私の方を向いた。真剣な眼差しを注ぐ。
「ごめんディアナ。僕は君にいい人がいるっていうことに全く気づいてなくて、二人の雰囲気を壊してしまった。
彼が誰かはわからないけど、君が思いを寄せているのであればできる限りの協力をしたいと思ってるよ。も、もちろん父上たちのこともあるし一筋縄にはいかないとは思うけど何かしら打開策はあると思うんだ。今はまだ子どもだけどもう少し大きくなったら――」
「待て待て待て待て」
マシンガンのように捲し立て始めた口をキュッと絞るように両頬を鷲掴みにして、漸くカイルの口は動きを止めた。
私は呆れを大きく吐き出してから、言い聞かせるように言葉を紡ぎ出した。
「いいかカイル。まず誤解しているようだから訂正させてもらうけど、あいつは別に私の好きな相手とかじゃない。お父様がつけた監視役で、かい――いいや、仲良くなろうと思ってとりあえず餌付けしてた、みたいな?」
懐柔という言葉を引っ込めてそれっぽく取り繕う。
「仲良く?」
「そそ。なんか監視のためだか知らんけど、まともな食べ物食ってないみたいだったから、とりあえずお菓子を渡してみたんだ。でも、お父様への忠義が厚いのかなんなのかわからないが、自分から食べてくれなかったから私が食べさせてた。あんたが見たのはそれ」
「そ、そういうことなんだ」少しホッとしたように彼は胸を撫で下ろす。「でも、監視役がつくなんて何かしたの?」
「体鍛えだしたり、野蛮な言動が増えたり、以前ほど魔術の勉強に取り組まなくなったからじゃないか? ティフォンに汚名を残しかねないとでも思っているんだろ」
そう口にすればまるで自分が立派な跡取りになることができるか気にしてくれているようにも思えるが、実際は下手に嗅ぎ回られたくないことがあるって言うのもあることだろう。
「う、うーん。確かに君の言動や目標を知っていたら監視の一人もつけたくもなるかもね。ティフォンの一人娘が騎士になるなんて、異色の目で見られるだろうし」
「で、監視役つけられちまったから、どうにか見逃してもらえるように色々アプローチしているわけ」
その最初の一歩が餌付けなのはどうなのだろうかと今にして思うのだが、今のところつけいる隙が甘いものは好物らしいこと以外ないので仕方がない。そう自分に言い聞かせる。
「なるほどね。……ねぇ、ディアナ。一つ聞いてもいいかな」
誤解が解けて落ち着きを取り戻したカイルは、神妙な面持ちで言う。どうぞと言う代わりに無言で頷いた。
「君はここにいたら碌でもないことになるから、そうならないために、騎士になりたいって、剣の稽古をしたいって僕に言ってくれたよね。
あの後、僕なりに色々考えたんだ。あの時の君の言葉はきっと漠然とした不安とかそう言うものではないと思った。だからそう考えたきっかけがあるって。それで、今日来てみれば監視役なんていうのがついている。
普通なら子どもの動向を探りたいなら、付き人とか世話係として子どもが安心できる役職の人間を与えるはずだ。でも、エーギル殿は監視役として彼を付けた。
ということは、君に監視の目を意識させる必要がエーギル殿にはあった。
……ねぇ、君がここにたくない理由、それはエーギル殿が関わっているのかな?」
カイルの推測に私は目を見開く。
「あんた、頭いいんだな」
監視役がついたの報告だけで正直よくここまで辿り着けるなとの感心してしまう。
監視役をつけられた時、面倒なことになったな程度に思っていたが、カイルの推理を聞いて合点がいった。
エーギルが部下ではなく監視役としてナギを遣わせた理由。それは私を警戒していたからというのが最たる理由ではない。
本当の目的は牽制だ。お前の行動はこちらに筒抜けであるという、圧を与えるための監視役だったのだ。
「仮にさ、そうだって言ったらあんたはどうするんだ?」
「どうって……」
我ながら意地悪なことを聞くと思う。やはり性根が捻じ曲がっているのだろうか。それとも――。
じっとカイルの言葉を待つ。長いまつ毛が伏せられて、静かに逡巡する顔をただ見つめる。
「僕は、君に協力する」
弱虫が震えひとつせず言い切った。
「なんで」
「そう言ったから。僕は友だちとして君に協力するって。それがエーギル殿の不興を買うことになっても、自分でそうしたいと思ったことだから」
ふふ、と彼は柔らかく微笑んだ。
「前にも言ったよね、初めて人に頼られて嬉しかったって。あれにつけ加えるなら、自分からそうしたいと思って動いているのも初めて。君だってそうなんじゃないのかな?
ここから出たい、そのために騎士になる。そんなこと以前までの君の口からは絶対出なかった。僕が言うのもなんだけど、少し前の君は、ティフォン家の一人娘という責務に追い立てられるように魔術に没頭していたように見える。やりたくてやっているのではなくて、やらなくてはいけないという切迫感が君を駆り立てていた。
でも今は違う。理由はどうあれ、君は選んで自分の道を切り開こうとしている。
そんな姿を見ているからかな。僕も自分がしたいことをしたいって思うんだ。それが君に協力することだから、僕はそうする」
言いたいことを一頻り言ってから、カイルは我に返ったように頬を朱色に染める。視線が斜め下へと逃げた。
「――って、思ったりなんかしたりするんだけど、これは答えになったのかな……?」
恥ずかしいことを口走ったという自覚からか、女子のようにモジモジし始めた彼を見て、私は思わず吹き出した。カイルは益々顔を赤らめる。
「はははっ、あんたって気弱でヘタレだと思ってたけど、意外とまっすぐなやつだったんだな」
「そ、そんなふうに思ってたんだ」
「あんただって責務に追い立てられてて余裕のない女だって思ってたんだろ。おあいこだ」
「そこまでは言ってないんだけど……」
ケラケラと声を上げて笑い、ふうと一息吐く。徐に立ち上がると、困ったように眉根を下げているカイルの正面に立った。先ほどまでの笑みの一切を拭い去って真剣な声音で彼の名前を呼ぶ。
「私が今からしようとしている話は、一歩間違えればあんたにも危害が及ぶかもしれない。それでも私に協力し続けてくれるのか」
カイルは立ち上がった。目線が同じ位置にある。
まっすぐな薄緑色の双眼が、私の顔を映し込む。
「うん。僕がそうしたいから」
凛とした声に、静かに頷く。仰ぐように彼が背にしている建物を見上げた。彼の視線も後を追う。
ボロい小さな屋敷のような倉庫。壁は罅割れ、蔦が覆い隠さんばかりに四肢を伸ばす。窓ガラスはあるけれど、中から板が打ち付けられているようで中の様子は覗けない。
子ども一人が一分もしないうちに回り込める程度の大きさの倉庫。
「この建物の中でお父様は人を使った実験をしている」
「……え?」
「魔術の関連のなんかの実験だ。具体的なことはわからないが、そのせいで多くの人が苦しんで、死んでいる。それだけは事実だ」
「そんな――。じゃあこの中では今も……?」
「場所を移していないのであれば続いてるんだろうな。そして、私がこのまま魔術師としての道を歩めば、いつか必ずそれに関わることになる」
そうなれば最後、私は死ぬ。
本当に殺されるのか、社会的に死ぬのかまではわからない。だが、どちらにせよ私は生きていけない状態にまで追い込まれる。
「だから、騎士になるって――」
「私はこの中を見てしまった。だからもう関わっているといえば関わっているんだ。でも自らの手を、お父様の実験によって染めたくはない。この命をよくわからない実験のために失いたくない。だから抵抗する。そのために選んだのが偶々そういう道だったんだ」
騎士になりたいと思ったことに大義名分などはない。ただ、それが一番ここから遠ざかることができると思った。それだけだった。
「……」
カイルは黙り込む。彼からすれば、自分が今の今まで背中を預けていた壁の向こうで実験に使われている人々がいるという事実を突きつけられたのだ。お前の背後で大量殺人が起こっているぞ、と言われたようなものだろう。
黙考の末、彼は顔を上げる。
「助けることは、できないのかな。ほら、父上に話せばきっと――」
「無理だ」バッサリと断言する。「む、無理なの?」
「お父様は陛下と親しい間柄だ。下手に話さない方がいい」
敢えて手を組んでいる可能性が高い、とは言わなかった。そんなことまで話してしまえば素直なこいつはきっとボロが出すだろう。
「そう、だよね」
「私はティフォンを捨てて、お父様の実験を止める。そのためには、あの人の手のひらで踊り続ける訳にはいかないんだ。どこまでできるかはわからない。もう監視をつけられているし、そう遠くないうちにお役御免で処分されてしまうかもしれない。
それでも、足掻けるところまで足掻きたい。道を踏み外さないために」
死にたくない。許せない。あいつらの思い通りにさせない。恨み言なら星の数。底意地の悪さも手伝って、それが今の私を突き動かしている。
ゲームのディアナのように、コロコロと踊らされるだけ踊らされて、使えなくなったら焼却炉にポイなんてさせられないように。
そして何よりも……。
「――まあ、そんなところだ」
私は脳裏に浮かんだ光景にそっと蓋を閉じた。腕を頭の後ろでクロスする。
空を見上げればゆるゆると灰色の雲が尾を引いて流れていく。雨でも降りそうだ。
「そろそろ戻るぞ。あんたのところの使用人たちが心配するかもしれないからな」
「うん。そうだね。……あの!」
大股で家路に着こうと歩き始めた私の足がぴたりと止まる。チラリと横顔で振り向く。
「僕は君を信じる。友だちとして。だから、一緒に頑張ろう! 強くなろう!」
それは馬鹿みたいにまっすぐな激励の言葉で、とても単純な切磋琢磨の宣言。
「……はは、そうだな。精々頼りにしてるよ」
「うん!」
絞り出した声が笑っていたのは嬉しいからだろうか。それとも、一ヶ月張り続けた気が少し緩んだ故なのか。
(どっちでもいいか)
あんまり頼りにならなさそうな友人の存在を肩越しに感じながら、私たちは植木の迷路へと足を踏み入れた。
鬱蒼と茂った樹冠の中から一人の少年が二つ分の背中を見送っていた。
彼は何かを考えるように顎に指を添え、音もなく姿を消した。




