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降将  作者: 乘越唯響(のりごえ いおん)


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第七話

 小屋の中で始まった問いの遊びも、数日が経った。核心を直接問うことができないため、陳寿(ちんじゅ)は、外堀を埋めるように問いを重ねて、少しずつ夏侯覇(かこうは)の心の内を明らかにしようとした。

 何日もかけて解読しようとするのは、夏侯覇(かこうは)が魏(ぎ)で見たという夢のことである。師匠の譙周(しゅうしょう)が得意とする夢解きは、陳寿(ちんじゅ)にとっても得意技であったが、夢であっても核心を突けず、日に七度しか問えないというのは心底もどかしく、陳寿(ちんじゅ)をイラだたせた。

「今日の一つ目の問いだ。お前が以前見た夢をまとめればこうだ。一頭の青毛が水面(みなも)を走り、玄武は水底へと沈んだ、というものだったな。玄武は北を守る四獣であり、水は五行思想において北を表す。そして青毛は黒い馬、黒とはこれも北だ。つまり、魏(ぎ)の皇帝が一頭の黒い馬に踏みにじられたということだ。水とは北を表すと俺は思ったが、北を表す黒がある以上、神がさらに同じ意味を表す水を見せるとは思えない。その夢には、龍も出てきたか」

「龍は出ていない」

「その馬は本当に馬であったか。龍の頭に馬の体を持つ、麒麟の見間違えではないと、断言できるか」

「断言できる。あれは馬だ。麒麟でも、狗(いぬ)でも、ましてや龍などではない……!」

 龍とは皇帝を意味し、黒い馬が正しくは黒い龍ということであれば、北の皇帝が玄武を打倒すると読み解くことができる。それはつまり、帝位を簒奪され臣下として恥辱を味わいながらも生かされる漢の正当なる皇帝陛下が、その地位を簒奪した曹一族を打破する予兆であり、夏侯覇(かこうは)はその余波で、魏(ぎ)を追われたのだと考えることができた。

 しかし、麒麟ではなく馬であると断言できるならば、その仮説は成り立たない。

 漢(かん)の皇帝は帝位を簒奪されていても、その命は奪われず、今も魏(ぎ)国内で生かされている。幽閉され、今も誰かの助けを待っている。この、中央から遠い僻地である蜀漢(しょくかん)まで情報が伝わっていないだけで、誰かが漢(かん)の皇帝陛下を助けて簒奪者へ反撃を行っているのだと、陳寿(ちんじゅ)は夢想してしまった。

 夏侯覇(かこうは)はかつて、「仲間はいるが魏(ぎ)にはいない」と答えていたが、その意味が漢(かん)の皇帝陛下による反撃がなされた結果、魏(ぎ)国領が割れて、仲間は旧魏(ぎ)領の漢(かん)領にいるという意味だと信じたかった。

 だがそれは、淡い願いであった。

「夢解きはまた後日続けよう。私はまだまだ未熟なようだ」

「この夢の意味はこの夏侯覇(かこうは)にも分からぬ」

「師匠に尋ね、後日夢解きを再開する。いつ会えるかは分からんが、とにかくそれまでお預けだ」

「師匠とは何者だ」

「名を譙周(しょうしゅう)と言い、益州(えきしゅう)きっての儒学者だ」

「その者を連れて明日にでも夢解きを再開しようぞ」

「それは難しい。師匠は皇太子殿下の太傅(たいふ)で、お忙しい。いかにお前が重要人物であろうとも、その願いは通らない」

「ほう……なるほどなぁ」

「二つ目だ、お前は、その馬の意味をなんと読み解くのか」

「私は長らく従軍したため、軍馬に思える」

「単純な解釈だが、確かに馬は軍時の象徴でもある。だが夢には、思夢(しむ)ということもある。青毛の軍馬など珍しくもない。黒の馬……代表的なものは誰だろうか……」

 思夢(しむ)とは、何度も考え強く思ったことが、夢の中にも現れることを意味する。つまりは天意などではなく、個人的な思いが夢に現れただけであるということだ。だがそれでも、夏侯覇(かこうは)の内面を覗くことには変わりないため、その意味を詮索することは無駄ではないはずだ。

 黒い馬として有名なのは、絶影(ぜつえい)という名馬である。これは、乱世の奸雄(かんゆう)曹操(そうそう)の名馬である。曹操(そうそう)が黒い馬の暗喩ならば、玄武とはなんだ。知識でがんじがらめとなった陳寿(ちんじゅ)はなにも閃かなかった。

「三つ目だ。魏(ぎ)の王族であるお前ならば、広く天下のことを知っている。黒い馬とは一体誰のことを指すだろうか……お前が知る黒い馬について教えてくれ」

「まずは絶影(ぜつえい)。次は……はて、他にいたであろうか。いや、絶影(ぜつえい)よりも有名な馬がいるではないか。烏騅(うすい)。楚王項籍(こうせき)の愛馬で、歴史に残る名馬だ」

「そ、それだ……!」

 項籍(こうせき)、よく知られる名前は姓に諱(いみな)ではなく字(あざな)を続けた項羽(こうう)。漢(かん)の高祖と最後まで天下を争った英雄であるが、彼の国楚(そ)は現在の呉(ご)にある。黒い馬が呉の軍事力を指すならば、それが魏(ぎ)を滅ぼすことを表す天意であると、陳寿(ちんじゅ)は思った。

「四つ目だ、魏(ぎ)は孫呉(そんご)との戦で、損害を被ったことがあるか」

「よい問いだ。太和(たいわ)二年、石亭(せきてい)の戦いであろう。この戦いはお前たちの国では、いかように教わるのか」

「魏(ぎ)と孫呉(そんご)が石亭(せきてい)で行った大戦……建興(けんこう)六年のあの戦か」

 石亭(せきてい)の戦いは、孫呉(そんご)の将軍が北へ進み、魏(ぎ)を攻撃した戦。蜀漢(しょくかん)では、ただその事実だけを教わる。意義としては、孫呉(そんご)は国境を圧迫する魏(ぎ)を撃退し、国境を侵せば痛手を負わせるという姿勢を知らしめるというものであり、そこに漢(かん)室の復興という大義がなく、蜀漢(しょくかん)の北伐とは似て非なるものであるという評価であった。

「蜀漢(しょくかん)では、ただ単に呉と魏(ぎ)の戦があったとだけ教わる」

「戦の子細はいずこから伝わったのか」

「子細は盟を結んだ呉から参った使者より、もたらされる。それが通例だ」

「そなたらは多くを見落としているようだが、その理由のひとつはそこだ。自らの目で見よ、そして天下を俯瞰するのだ」

「五つ目、それはどういう意味だ」

「呉は盟約を結んだ国でありながらも、そなたら蜀(しょく)とは強い遺恨が残る国であろう。蜀(しょく)の隠密(おんみつ)に、呉の内情をよく探らせるのだ。それは魏(ぎ)も同じく。そういう意味だ」

「六つ目、なぜ我らが魏(ぎ)や呉へ隠密を送っていないと断言できる。俺は通例と言っただけで、隠密による密かな情報収集が行われていないと、どうして断言できるのか」

「優秀なはずのそなたが、石亭の名を聞いてもなお、なにも気づいていないからだ。石亭の戦い以降の魏(ぎ)の内情がまったく伝わっていないことが察せられる」

「石亭で敗れた曹休(そうきゅう)は、曹操(そうそう)の親戚、つまり曹(そう)氏だ。夏侯(かこう)氏のお前にとって、曹休(そうきゅう)は親戚だろう。その曹休(そうきゅう)がその後、呉はおろか蜀漢(しょくかん)との戦にも現れてはいない。ならば七つ目だ。曹休(そうきゅう)はお前の友であったが、その首が刎ねられ、お前は魏(ぎ)で立場を失った。それが降伏の理由か」

「異なる。だが少しずつ、近づいておるぞ。曹休(そうきゅう)の首は刎ねられてはおらぬが、石亭(せきてい)での大敗の責任を負い、失脚した。それ以降は……また明日以降に問え。しかし時間をかけすぎれば……百日を超えてしまうぞ」

 夏侯覇(かこうは)の目が、虎の目ではなくなっていた。それは揺らぐことのない真実を見つめる真剣な眼差しであり、ただ息を潜め獲物のみを見つめる獣と似てはいるが、それとは別物である。言うなればそれは、人ゆえの目であった。

 夏侯覇(かこうは)がその目を陳寿(ちんじゅ)に向けたのは、これが初めてではなかった。それは過去に二度、一度目は魏から降った仲間がいると答えた時、二度目は、民の中に漢(かん)などなく、あるのは減税と兵役の免除だけであるという話の時である。まるで、誤解されたくない真実があるときだけ、それを見逃すなと、目で語っているかのようだった。


 七度の問いを終えて帰宅した陳寿(ちんじゅ)は、一人で酒の用意をしていた。一人でしっぽりと飲もうと、少し上等な酒を買ってきたのだが、戸を叩く音がして、どうやら一人で酒盛りとはいかなそうだと感じた。

「令伯(れいはく)か? 酒を呑みに来たのか」

「戸を開けよ承祚(しょうそ)、外は寒い。我が髭のように、息も白い」

 その声は李密(りみつ)のものではなかった。もしやと思い戸を開けると、そこには数年ぶりに逢う師匠譙周(しょうしゅう)の姿があった。

「師匠! 何用で参られたのですか!」

「友の遣い……といえば不敬やもしれんな。とにかく中へ入れろ、寒いぞ」

「酒を呑みましょう。炭も焚いてあります」

「それはよい、呑んで温まろう我が愛弟子よ」

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