第四一話
景耀五年 (西暦262年)
皇族の西河王劉琮が病没し、宮中は悲しみに包まれた。文武百官は宴を慎み、より皇族に近しい日常を送る宦官は涙に暮れた。連日雨が降って、天が蜀漢の皇族の死を嘆き悲しんでいるようにも思われた。
「この雨が止むまでは、奴も下手なことはするまい」
諸葛瞻は黄皓もまたこの時期においては大人しくするに相違ないと信じていた。しかし、黄皓は着々と準備を進めていた。自らの野望のため、人の死を悼むような男ではないのである。それが黄皓という強欲の塊にして、誰よりもそれを叶やすい地位に就いてしまった男の末路なのである。
黄皓は再び将軍閻宇を漢中軍の指揮官とするべく、方々へ根回しをしていた。そして遂に、成都への帰還命令に対する不順を理由に、陛下から将軍姜維の罷免の勅書を引き出すことに成功した黄皓は、それを使者に持たせて漢中へと走らせた。
その使者が成都を出発したその日は雲間から光が指し始めた日であり、人々の目には蜀漢の夜明けのように写った。
「これぞ天啓なり。ヌフフフフフフフフフ」
卑しい笑い声が、宮中に響いた。
姜維は自らの罷免の勅書が今まさに届けられようとしているその時、彼は迷っていた。
「羅憲という者が、羽林軍を率いて黄皓を狙ったが、生憎それは失敗に終わった。ならば次は、この私が……!」
「将軍! もしや……成都へ兵を進めるおつもりか!」
「左様だ元倹。されど……まだそれが唯一の道なのか、思案しておるのだ」
「黄皓の専横は目に余りまする。それは、この廖化も認めましょう。されど……我らは北伐を成すための漢中軍。兵を北へ進め大義を果たさんとする我らが、何故南へ進み、陛下を恐怖させねばならぬのですか!」
「そこに君側の奸がおるからだ!」
「それでは我らが朝敵になりまするぞ! 我らは漢中軍、成都へ入れば、それは反乱にございまする!」
「将、外に在れば君命も受けざる所なり。内側に不安を抱えながら、どうして外へ目を向けられようか……!」
「将軍、将軍は成都へ戻れとの命が出ておりまする。兵を引き連れ戻り、もしも陛下が我らを反乱軍と看做したならば、将軍はその場で捕縛され、処刑は免れませぬ。よくお考えください。黄皓は陛下に寵愛を受けているのです。羅憲が敗北したのもそれが理由。我らが何千何万の兵馬を引き連れようとも、例え黄皓を討ち取れたとしても、我らは陛下の怒りを買って将軍は首を刎ねられます!」
「百も承知だ!」
「それでは誰が北伐を指揮するのですか! きっとまた閻宇がしゃしゃり出て、北伐軍は瓦解しますぞ!」
「何故……何故蜀漢には、かように将兵が足りぬのか!」
姜維は憤怒の余り、叫んだ。国内を自浄することもできず、北伐で成果を出すこともできない。自らの力量不足や、陛下の人を見る目のなさが、憤懣やる方なかった。
「元倹よ、我らは北伐を行う。必ずや戦果を挙げ、我らの大義を陛下に示すのじゃ」
「黄皓を討つならばその時です。彼奴は必ず、陛下のお傍におりまする!」
姜維は陛下に無断で北伐を敢行した。全身全霊の大勝負であった。
しかし、前回の敗戦の傷が癒えなかった北伐軍はまたしても鄧艾に防がれ、姜維は大量の兵馬を失って沓中へ帰還した。
そしてそこで、自らの罷免と閻宇を新しい指揮官にすると記された勅書を受け取った。姜維はそのどちらも否定し、沓中に在留することとした。
「敗けないぞ黄皓よ、この獅子身中の虫めが……! 蜀漢の大義を果たし、陛下をお救いするのはこの私だ……!」
数ヶ月経ってもなお成都に戻らない姜維を批判したのは、黄皓でも諸葛瞻でもなく、譙周であった。野心も名誉欲もない生粋の愛国者が、遂に姜維を見放したのである。それは自らが著した仇国論を引用し行われた。つまり彼の中では、亡き陳祗、そして黄皓同様に、姜維もまた、自らのために国を蔑ろにしようとする佞臣に見えていたのである。
黄皓は譙周に擦り寄った。しかし譙周は黄皓をなおも退け、二人の関係は決して相容れない水と油であることが、改めて証明された。譙周の姿勢は当に、忠臣の姿であった。
陳寿は、そんな師匠の姿を見て、自らが諸葛瞻に与して黄皓を排除しようとしていることが本当に正しいことなのか、自信を失い遂に迷った。数年、真っ直ぐに駆け抜けて来たが、遂にその足は止まってしまったのだ。
「俺がしていることは……正しいのか? 諸葛瞻殿は本当に、正しいのか……?」
姜維が半ば朝敵のように扱われている今、何が正しいのか、誰が悪いのか、分からなくなった。
ずっと疑問はあった。大義のために戦う軍は、民を虐げるだけではないかと。だが黄皓という巨悪が宮中に蜘蛛の糸を撒き散らし、国を傾けている今、国に忠義を尽くしてその生涯を北伐に賭している姜維は、いつか成果を出しすのではないかと心のどこかで信じていた。これまでの犠牲に報いてくれるのではないかと、それで全てが丸く収まり、天下は安泰になるのだと、信じていた。そう信じたかった──。無謀な北伐を続けるのも、結局は自らのためではないのか。やはり皆そうなのか。
陳寿が国中の者と同様に姜維へ疑念と失望の目を向けたと同時に、魏でもまた、北伐軍の惨敗から、蜀漢攻略の時期が来たという声が高まった。
そして遂に──。
景耀六年 (西暦263年)
魏の鍾会、鄧艾率いる大軍が漢中へ向け侵攻、蜀漢征服を目指し攻撃を開始したのである。




