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降将  作者: 乘越唯響(のりごえ いおん)


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第三三話

 北伐を指揮する姜維(きょうい)は、一気に北上して、魏(ぎ)領南安(なんあん)の複数の城を包囲した。この戦いには勝機があった。

 同盟国の呉(ご)は大将軍諸葛恪(しょかつかく)が魏(ぎ)へ大規模な侵攻を行い、魏(ぎ)の注意は東南の呉へと向いていた。

 魏(ぎ)の司馬師(しばし)は郭淮(かくわい)、陳泰(ちんたい)を差し向けこれを迎撃させるが、姜維(きょうい)の目的は攻略ではなかった為すぐに退いた。

「異民族たちに、我々が北伐を再開したことは十分に伝わったであろう。廖化(りょうか)、敵の注意を引いたまま、なるべく交戦は避けてゆっくり部隊を撤退させよ」

「御意!」

 姜維(きょうい)には、夏侯覇(かこうは)という強い味方が居た。呉(ご)の攻撃が長期化すると、魏(ぎ)と蜀漢(しょくかん)の国境沿いの兵力は、援軍という形で呉(ご)との国境沿いへと移された。魏(ぎ)と呉(ご)は合肥(ごうひ)城にて何度も決戦規模の激戦を繰り広げており、今回もそのような様相になると呈していた。

 そんな中、姜維(きょうい)は敵の城を包囲する夏侯覇(かこうは)の存在を、大々的に喧伝させた。これは、夏侯覇(かこうは)ほど蜀漢(しょくかん)に敵対した人物であっても、将軍として前線で兵を率いられる待遇に預かれるため、命を守り降伏してほしいという意味であった。政治的、軍事的な方法で、魏(ぎ)人の心を砕く策を用いた。その甲斐あって、交通の要衝である狄道(てきどう)城は内応の意を示した。

 この狄道(てきどう)城を得れば、魏(ぎ)の西方にある隴西(ろうせい)地方を奪取できる可能性は格段に高くなる。

 夏侯覇(かこうは)の存在があって初めて、狄道(てきどう)城を得られる可能性が浮上した。姜維(きょうい)はすぐさま同城を開城させるべきだと考えたが、廖化(りょうか)を初めとして夏侯覇(かこうは)を警戒する将軍らからは、投降を装った罠であるとの声が挙がった。

 しかしその意見を否定したのは、老将張嶷(ちょうぎょく)であった。

「私はかつて、夏侯(かこう)将軍と共に酒を呑み、話したことがある。彼は誠実にして、豪胆。かような偽装投降で我らを欺くような、卑しい男ではないわい」

 その意見に賛同した姜維(きょうい)は、決定した。

「これより、全軍で再度北上し、狄道(てきどう)城とその支城を解放、周囲から魏(ぎ)軍を殲滅する! この地を足場として隴西(ろうせい)を掌握、数年の後に、魏(ぎ)の西の都、長安(ちょうあん)を陥とす!」

 張嶷は先方を願いでた。既に半身が麻痺するほどの病の身でありながら、先帝の恩に報いるため、ここを死地に定めたのである。

 姜維(きょうい)はまず全速で狄道(てきどう)県へ入城し、さらに周囲の抵抗する支城を陥とすため、張嶷(ちょうぎょく)、夏侯覇(かこうは)、廖化(りょうか)を各城に着陣させた。

 支城であり同じく要衝である襄武(じょうぶ)県を陥落するため、各城の攻撃を急ぐ蜀漢(しょくかん)軍であったが、敵の攻撃がまだ緩いことに気づいた。

「先の攻撃で気づいたはいたが、やはり郭淮(かくわい)の姿が見えない。夏侯(かこう)将軍が申すとおり……病がちなのであろうか……さればその代わりに、誰かが指揮をしている。陳泰(ちんたい)、鄧艾(とうがい)は既に現れてある。誰だ……誰が指揮を取っておるのか」


 この時、魏(ぎ)軍を指揮していたのは司馬懿(しばい)の次男にして司馬師(しばし)の弟、司馬昭(しばしょう)であった。

 魏(ぎ)国内は反司馬(しば)一族の気運がにわかに高まっており、司馬(しば)一族の権勢をさらに強める為に動いていた。

 司馬昭(しばしょう)は蜀漢(しょくかん)軍がこれまでにないほどの大規模な攻勢に出ていることに恐れをなし、援軍を率いて自ら前線へ出るべきか迷っていた。


 司馬昭が援軍を出し渋るあいだ、遂に張嶷(ちょうぎょく)は襄武(じょうぶ)県を直接包囲し、その攻撃によって、城を守る討蜀護軍除質(じょしつ)は城を出て奇襲をかけるほど追い詰められた。

 除質(じょしつ)は夏侯覇(かこうは)の後を継ぎ、討蜀護軍の位に着いた猛将であったが、死を恐れぬ老将張嶷(ちょうぎょく)の攻撃に耐えきれず討死。そしてこの激戦によって張嶷(ちょうぎょく)もまた闘志を燃やし尽くして陣没した。


 狄道(てきどう)、襄武(じょうぶ)を含む全ての城を攻略した姜維(きょうい)であったが、彼はここで総撤退を決断した。

 攻略に時間をかけすぎたことにより兵糧が尽きたのだある。またかってないほどの大軍を動員した戦いであり、周辺地域の屯田も間に合わず、このまま魏(ぎ)の援軍が到着すれば一瞬にして軍が殲滅される恐れがあったのである。

 丞相でさえ成し遂げられなかった魏(ぎ)の深部への侵略という偉業は、蜀漢(しょくかん)が巴蜀(はしょく)という僻地に足場を置き、痩せこけた漢中(かんちゅう)に駐屯しながらも兵を満足に動かせず、その以北に地盤を築けなかったことが敗因となり、水泡に帰した。

 姜維は一人涙した。

「更に数年早く、こたびの勝利を得られていれば……例え敗れても漢中(かんちゅう)に退く必要はなく、敵に備えて武具兵糧を蓄え、長安を狙えたと申すに……! やんぬるかな!」


 姜維(きょうい)は諦めていなかった。得た城の住民を漢中(かんちゅう)や巴蜀(はしょく)へ移住させ、未来の兵士と納税者を増やすことで、国力の増強を成し遂げた。

 武威を示した姜維(きょうい)は成都に凱旋すると、更なる北伐を主張。主に皇帝陛下や陳祗(ちんし)がそれを後押しして、姜維(きょうい)は再び北伐の為に漢中(かんちゅう)へ出立した。

 中には当然、費禕(ひい)のように出兵による損害を苦慮して北伐を中止すべきという意見もあったが、先の大勝利の勢いもあり、その意見は決して主流の意見とはならなかった。しかし、そういった反対意見を述べた軍の重鎮である張翼(ちょうよく)を北伐から外すほどの人材の余裕はなく、姜維(きょうい)は夏侯覇(かこう)、廖化(りょうか)、張翼(ちょうよく)を率いて北伐を再開した。

 出撃する頃にはいずれの戦場にも郭淮(かくわい)の旗は見られなかった。それもそのはず、この時すでに郭淮(かくわい)は病没しており、それを察した夏侯覇(かこうは)はいうにいわれぬ複雑な気持ちとなった。しかしそれが戦果に影響するほど、彼は弱い男ではなかった。

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