↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
降将  作者: 乘越唯響(のりごえ いおん)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
29/45

第二八話

 延熙十五年(西暦252年)


 漢中(かんちゅう)に駐屯する廖化(りょうか)は、時おり送られてくる成都の陳祗(ちんし)からの密書に目をやり、今成都は夏侯覇(かこうは)によって脅かされていることを察知した。検閲されては困るため、返書を送ることはなかった。だが、こうしてたびたび密書が送られてくることこそ、陳祗(ちんし)が今も助けを求める状態、つまり、夏侯覇(かこうは)の魔の手が喉元まで迫っている訳ではないことが察せられる。

 廖化(りょうか)は、夏侯覇(かこうは)を成都から離すことが、何より最善の一手であると考えていた。というのも彼は奇しくも陳寿(ちんじゅ)と同じく、魏(ぎ)の降将である騎都尉郭循(かくじゅん)による迅速な鎮圧と、その後の夏侯覇(かこうは)の車騎将軍への大抜擢には関連があると考えていたからであり、未だに夏侯覇(かこうは)が漢中(かんちゅう)まで上ってこないことにも苛立ちと違和感を抱いていたのだ。

 姜維(きょうい)の幕舎を訪ねた廖化(りょうか)は、酒を飲む友がここにはいないことを寂しく思っているであろう姜維(きょうい)に魏(ぎ)の酒を渡した。

「何人かの将兵が、北伐の後も降伏してきています。将軍の故郷の味も、ここにあるのではないですか」

「天水の酒か。味も覚えていない。家族と囲った食卓の味も、聴いた音楽さえもな。私は蜀漢(しょくかん)の為戦場を駆け回る日々で、過去のことは何もかもを忘れてしまったのだ」

「ならば魏(ぎ)を滅ぼし、これから奪う隴西(ろうせい)の酒を、故郷の味となさってください」

 姜維(きょうい)は側近を呼び、肴と器を持ってこさせた。

「元倹(げんけん)よ、そなたの好意に感謝し、頂こう」

「共に頂きまする」

 二人は酒を呷り、まだ冷える漢中(かんちゅう)の中で、体が温まるまで何度も酒を器へ注いでは、呷った。

 すると姜維(きょうい)は突然、浅い溜め息をついた。そしておもむろに廖化(りょうか)を指さした。

「元倹(げんけん)よ、話があるなら早く申さぬか。さしずめ夏侯覇(かこうは)、あるいは尚書令(しょうしょれい)陳祗(ちんし)のことであろう」

「ご明察にございます」

「そなたが密書を得ていることは知っておる。あれは密書を装って、あえて私の目に触れるように受け取っているな。妙な演技をしよって」

「そこまでしなくては……将軍の注意を引けぬのではと思い、一計を案じたのです」

「まんまとこの私は罠にハマった訳だ。申せ、そなたはいかなる様にしたいのだ」

「夏侯覇(かこうは)をなんとしてでも成都から離したいのです。その為には、間もなく開戦すると思わせる必要があります。我らは偵察の数を増やして、攻撃を仕掛けようとしているのだと装うのです。そうすれば、敵は少数で威力偵察を行い、我らを揺さぶりまする。我らはその事実でもって、北伐開始が不可逆的であることを示し、夏侯覇(かこうは)めをこの前線まで引っ張り出すのです」

「よく考えたな」

「宜しいですかな」

「敵が総攻撃に出てきたら、我らはそれに抗うことが難しい。夏侯覇(かこうは)の為に、漢中(かんちゅう)全域を失う危険な策を用いるのか。夏侯覇(かこうは)は本当に、成都に置いていてはならぬほどの男なのか」

「我らは宮中に味方がおりませぬ。陳祗(ちんし)殿のお命が奪われることになれば、もはや宮中は夏侯覇(かこうは)の手に落ちます。奴を漢中(かんちゅう)まで引きづり出し、陳祗(ちんし)殿に、黄皓(こうこう)や闇に潜むその一派を抑えてもらうのです!」

「録尚書事(ろくしょうしょじ)はどう動くであろうか。我々が尚書令(しょうしょれい)を味方に付けたところで、結局は録尚書事(ろくしょうしょじ)が北伐に制限をかけ、状況は好転も悪化もせぬであろうぞ。危険を犯す割には、見返りが少ないとは思わぬか」

「陳祗(ちんし)殿を見殺しになさるのですか!」

「落ち着け元倹(げんけん)よ。そなたは、夏侯覇(かこうは)の車騎将軍任命と、郭循(かくじゅん)による成都の騒動鎮圧に関係があると考えておるようだが、そこに確証はない。陛下が勅にて述べられた任命理由には、夏侯覇(かこうは)の騒動鎮圧の功が含まれていたが……それは表向きのもので、本当の目的は、魏(ぎ)の政情不安を煽るためであったやもしれぬぞ。理由など、なんでも良かったということだ。夏侯覇(かこうは)の陰謀など、全てはそなたの思い過ごしということも有り得るではないか」

「しかし、もしもということがありまするぞ。もし仮に陳祗(ちんし)殿が殺されたならば、録尚書事(ろくしょうしょじ)殿は恐れをなして政界を退くやも。あるいは……失脚。そうして万が一にも夏侯覇(かこうは)が政界を掌握してしまったならば、我々は賊を除く為、蜀漢(しょくかん)の都まで兵を進めなくてはならなくなりまするぞ。あるいは夏侯覇(かこうは)は我々の謀反をでっちあげ、それを理由に録尚書事(ろくしょうしょじ)が我々の兵権を更に制限したならば、それを好機と見た魏(ぎ)が一気に我らを攻めてくることも……ありえまするぞ……!」

 姜維(きょうい)は逡巡した。廖化(りょうか)のいう通り夏侯覇(かこうは)が兵を用いずに政界を掌握することになれば、謀反の嫌疑をかけられ、成都への帰還命令が下される恐れがある。それがもし、北伐の好機であったなら──。

 かつて諸葛(しょかつ)丞相(じょうしょう)も、大権を有して北伐に臨んだ折り、足を引っ張りたかった臣下が謀反をでっちあげ、釈明の為に成都へ戻って好機を逃したことがあった。夏侯覇(かこうは)がそれを再現し、妨害を行う可能性は十分にあった。

 夏侯覇(かこうは)の望みはなにか。本当に蜀漢(しょくかん)の為に戦うなど、考えられない。姜維(きょうい)は夏侯覇(かこうは)のことを高潔な人物であると考えていた。彼を純粋な敵とは思っていないが、同時に、蜀漢(しょくかん)の臣下として生きる覚悟を決めた味方であるとも思ってはいなかった。

 比較的、立場が弱い陳祗(ちんし)が利用された後に殺されるという流れを前提とした話をしているが、もし直接的に費禕(ひい)が暗殺され、その隙を狙って、陛下の信任を一手に担う男が政権を事実上の掌握をしてしまうことさえ有り得る。

 そうそれはつまり、夏侯覇(かこうは)を後ろ盾にした黄皓(こうこう)によってである。

「なんにせよ、夏侯覇(かこうは)を漢中(かんちゅう)へ引っ張り出す他ないか」

「ならば、先程の我が献策を……」

「それはならぬ。危険は犯さぬ」

「ならば、どのようになさるのですか?」

「よいか元倹(げんけん)、敵を巻き込まずとも、危機を演じることはできようぞ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。