第二六話
夏侯覇は政の表舞台にて地盤を作るため、陳祗との接触を行った。そしてそれと同時に、尚書令呂乂のような費禕の側近とも接触した。
夏侯覇は呂乂の人柄を、陳祗や黄皓から聞き及んでおり、敢えて無骨な武人を演じてみせた。呂乂からは個人的な好感を得られたが、それでも呂乂は気概を持った男であった。この先いかなる術を用いて説き伏せようとも、彼が魏人を心の底から信用し、今後夏侯覇が国政を預かるような重鎮となった際に仲間と見なすことはないであろうと思われる。そのくらい、呂乂は純度の高い愛国の心を持つ臣下であったのだ。
「先日、将軍が張嶷将軍の許を尋ね、友情を育もうとするも、性急すぎると咎められたとお聞き致しました。この呂乂、与太話は好みませぬ故端的に申し上げまするが、私は将軍と友になれると思います。それ故、将軍がこの蜀漢や陛下を蔑ろになさらぬことを、心から願っておりまする」
「何を申されるか尚書令。私は蜀漢の将軍であるぞ。国や陛下を蔑ろにするなど、あるはずもない」
「それは安心致しました」
呂乂は警戒心を常に持ち続けていた。文官にしておくには惜しいほどの気骨と胆力があったが、その鋭く尖った目から敵意は感じられなかった。
夏侯覇がこの蜀漢で純粋に楽しいと思えたのは、この呂乂と話す時であった。その為、彼が二年後に病没した際は、嘆き悲しんだ。人に好かれ辛い人間であった呂乂であったため、その親族は夏侯覇からの贈り物を受け取るなどして好意を見せたが、その死には夏侯覇による暗殺の噂もあり、両者がその後も懇を通じることはなかった。
延熙十四年(西暦251年)
呂乂の死後、尚書令の後任に就いたのは陳祗であった。表向きの理由は、侍中として長く陛下に忠義を尽くしたことに対する評価であったが、宮中ではもっぱら、黄皓の進言を陛下が容れたためだという噂が広まっていた。
真実はどうあれ、陳祗は表舞台での活動を始めた。組織の長の首がすげ代わったところで、尚書省という知識の城が、途端に崩れさることはない。ましてや陳祗は自らの躍進を望む男ではあるが、疑いようのないほどの忠臣である為、国に仕える文官達を統べることは難しくはなかった。
そんな彼にも、悩みはあった。それは、世間では黄皓という後ろ盾があって初めて尚書令という高位に就くことができたのだと、誤解されていることにあった。
彼をその地位に登らしめたのは黄皓ではない。夏侯覇であった。
「人々は気づいておらぬのか……何故、黄皓が後ろ盾になり得るのだ。黒幕に気づかねば……蜀漢は真に、滅びるぞ……!」
黄皓の後ろ盾となった夏侯覇は、間接的に陛下にさえ働きかけることができる。陳祗を昇格させると共に、彼の確かな能力なら、彼を推挙した黄皓の功績を認めさせることで、陛下は夏侯覇の存在に気づかないまま黄皓を更に信任するようになる。二人の共謀は見事に成ったのである。
二人の目下の目的は費禕の排除である。幾度となく人を近づけ、その懐に飛び込ませようと試みるも、肝心なところで費禕の警戒心は強く、誰の目にも触れない場所で暗殺の機会を得ることはできなかった。
費禕が居る限りは、余所者である二人が費禕と対等かそれ以上の位に昇ることは有り得ないのだ。
同年 成都
陳寿はこの年、観閣令史へと昇進した。未だ犯人前の若者である陳寿が真っ先に昇進したことに、とやかくいうことはなかった。それだけ彼が魏の重鎮であった夏侯覇と相対していた百日間のことは周知の事実であり、陳寿はただ恐縮するばかりであった。
この役職は文書や記録を編纂する下級官吏であり、彼は以前にも増して各地の記録や歴史資料等を閲覧する機会が増えた。同僚であった李密らが編纂した記録に目を通し、不備がないかを確認する。その作業を繰り返し行う中で、今までは気づかなかった記録の分かりやすい方法や、師匠譙周が教育者として口酸っぱく教えてきた忍耐の重要性について学んだ。点と点を線で繋がず、点と点の間を埋める別の点を想像し、それを探しながら、目を皿にして文字を読み込む。その繰り返しで陳寿は、少しづつ自らの能力が高まっていくのを自覚しながら、地道な努力を怠らなかった。
陳寿は空いた時間に、成都で起こった事件について記された資料を閲覧し、とある事件の真相を探ろうとしていた。
夏侯覇との百日間の中で、連続して消えた成都守備兵たちである。その不審死について語る者はもはやいない。陛下はその直後に発生した騒動の鎮圧と纏め、討死した兵の家族へ恩賞を与えることで処理しており、その真相はもはや闇の中に消え去ろうとしていた。
竹簡の紐を解き、記された内容をくまなく読み込んでは、気になる点を覚えた。
「夏侯覇……お前が車騎将軍になるなんて、不自然すぎるだろ。外戚だからって、姜維将軍を上回る格の将軍号なんて、普通じゃない。きっとこの不審死は……百日目の騒動に関係しているんだろう。俺が暴いて……お前を無位無官の降将に引きづり戻してやる……!」
殺された兵について調べても、その人柄や家族について記されたものはなかった。陳寿は仮説を立て、それを立証する為に、故人の人柄について知る必要があると考え、遂に行動に移した。
彼は一軒一軒、広い成都の中を歩き回り、そこで故人数名分の家や、部隊の友人を訪ねてまわった。その甲斐あって、彼は仮説を立証した。
「殺された者は皆……やはり極度の魏人嫌いであったか。ということはつまり……百日目に騒動が起きる前に暴発した者たちが……夏侯覇の手の者に殺された……ということか」
まさに憤激の極み、義憤に堪えなかった。今後この者たちの無念が、歴史の大河の流れから救い出されることはないのだ。忘れ去られ、なかったことにされるのだ。
「手を下したのは誰だ……それを暴いてやる。お前の駒を減らしてやるぞ……夏侯覇!」
陳寿は取り憑かれたようであった。
李密はたまに呑みに誘ったが、陳寿がそれに応じることはなかった。その形振り構わず関心事に取り組む姿勢を見て李密は、陳寿と師匠を重ねた。
陳寿は李密ら同年代の弟子の中では白眉とされ、特別な期待を寄せられていた。李密には、その扱いが不思議でならなかった。羨んだり、憎んだことはない。だが、何故師匠がそこまで陳寿を高く評価するのかが、まるで分からなかったのだ。
だがこうして見れば、やがて分かってくる。その類い稀な集中力を作り出す、日頃の飄々とした姿は、愚かな訳ではなく、その興味関心の熱を一点に注ぐことができる故の呑気さであったのだ。
師匠は唯一、それを見抜いていたのだ。
李密は兄弟子羅憲と酒を酌み交わした。羅憲は軍に転属し、成都守備兵に組み込まれていた。
「羽林に転属とは、やはり令則の兄貴は他とは違う」
「そう褒めるな令伯。俺は照れると酒の味が分からなくなる」
「どうせ安酒だ、分からなくても良いだろうよ」
「羽林となった以上、俺は皇帝陛下のために死ぬ為に生きるんだ。一昨年前の騒動のようなことがあれば、相手が誰だあれ、宮殿を枕に討死する。お前と呑める酒は、不味い安酒だろうと、大事に呑みたい」
皇帝の為に生きて、皇帝の為に死ぬ。忠義とは、親や師匠への孝行よりも上回るものなのだろうか。儒学者でありながら、変哲な師匠からそれを学んだ李密には、その基本の姿勢にさえ懐疑的になってしまうような、なんでも疑う癖がついていた。
それからほどなくして、話題はもっぱら陳寿ひとつとなった。
「承祚と最近、酒は呑んだか?」
「いいや。その様子だとお前もだな、令伯」
「ご明察。最近、狂ったように、あちらこちらへ出かけているようだ」
「お前に似てきたな」
「そうかな?」
「そうだろう。お前は昔から疑り深く、その頭で理解できないことについては、それがなぜなのか探求し尽くさなくては気が済まない男だった。だから、知識は豊富になり、考えることが得意となった。そうだろう?」
「それと陳寿のどこが似てるんだよ」
「陳寿は、十数年かけて溜め込んだ知識と、その考える頭で、ようやく考えたいことが見つかったのだ。今までその熱量を費やすべき場所がなかった分、今はただ突っ走りたいってことなのさ。だから、その内、熱でも出して倒れるだろうよ」
「目が覚めたら、また看病してやるしかないなぁ」




