↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
降将  作者: 乘越唯響(のりごえ いおん)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
22/46

第二一話

 夏侯覇(かこうは)の過去を、直接的過ぎず、退屈させない問いによって探っていく陳寿(ちんじゅ)であったが、残された時間が少ないことから、その過去は彼の一生ではなく、ある時期からの過去に絞られた。

 数年前の北伐から、夏侯覇(かこうは)が降伏するまでのあいだに魏(ぎ)でなにが起こったのか、その詳細を探るのだ。恐らくだが、それが皇帝陛下がお望みあそばされる働きであり、蜀漢(しょくかん)の臣として尽くすべき忠義の行動であると、陳寿(ちんじゅ)は信じた。



 正始十年(西暦248年)(一年前)


 姜維による北伐を退けた後、夏侯覇(かこうは)は将兵からの賞賛に感謝した。その中でも、誰よりもその活躍を賞賛したのは、征西将軍(せいせいしょうぐん)夏侯玄(かこうげん)であった。

「仲権(ちゅうけん)、こたびの戦における活躍、見事であった。そなたがおらねば、我が軍の損害は甚大なものであっただろう。亡きお父上も、黄泉の国でお喜びであろうぞ。我ら夏侯(かこう)一族は、この時勢にあっても揺らぐことはない!」

 夏侯玄(かこうげん)は髭を撫でながら笑った。そんな夏侯玄(かこうげん)とは裏腹に、夏侯覇(かこうは)は、ある言葉が引っかかってしまった。

「太初(たいしょ)よ、この時勢にあっても……とはいかなる意味だ?」

「そうか、戦狂いのそなたの耳に、中央のことは届いてはおらぬか」

「何かあったのか、洛陽(らくよう)で」

「司馬懿(しばい)を覚えておるか、あの老いぼれじゃ」

「無論、覚えておるぞ」

「倅の司馬師が今、朝廷で権勢を奮っているのだ」

「なんと……司馬一族に司馬懿(しばい)ほどの傑物はなく、司馬懿(しばい)めが耄碌(もうろく)し隠居した今、脅威にはなり得ないと考えていたのだが……」

「諸葛亮(しょかつりょう)との戦を戦い抜いた先帝が薨られた後、司馬懿(しばい)は幼き陛下の傅役(もりやく)となった。我ら宗室は曹真(そうしん)大将軍を急病で亡くし、その後を継いだ曹爽(そうそう)殿は我らと歳も変わらぬ中堅。未だ戦における功もなく、司馬懿(しばい)の対抗馬にはなりえなかったのだ。次第に司馬懿(しばい)は……我ら魏(ぎ)の宗室に不満を抱く漢(かん)の忠臣気取りの名士を取り込んだのだ」

「されど……司馬懿(しばい)が隠居し政に関わらぬ今、名士らもまた、身の振り方を考えるのではないのか。何故だ。何故、戦功もない司馬師(しばし)なんぞが権勢を奮えるのだ!」

 不条理に怒り心頭の夏侯覇(かこうは)は、周囲の椅子を蹴飛ばした。怒りはまだ収まらなかったが、夏侯玄(かこうげん)の目を見た時、自分よりも更に、心の中で怒りの炎が燃えたぎっていることに気づいた。

「よいか……司馬師(しばし)、司馬(しば)子元(しげん)は、我が妹夏侯徽(かこうき)を妻とする男だ。つまり彼もまた宗室に近い立場にある。そしてなにより、曹爽(そうそう)殿とは異なり、自らも司馬懿(しばい)と共に出兵して手柄を立て、戦場で学んだ実績があるのだ。名士たる司馬懿(しばい)の地盤を引き継いだ今、もはや司馬師(しばし)は無視できぬほどの存在となってしまったのだ」

 表向きは、幼き皇帝曹芳(そうほう)を共に輔弼(ほひつ)する曹爽(そうそう)と司馬懿(しばい)であるが、水面下では数年前より骨肉の争いが繰り広げられていた。司馬懿(しばい)は魏(ぎ)で三代の皇帝に仕え、魏(ぎ)の国土防衛に奔走した男であり、多大なる功績からその手に権力を集中させた。しかしこの時期、司馬懿(しばい)は既に齢六九を超えており、痴呆となり隠居生活を送っていた。薬を飲もうにもこぼし、訪れた皇帝の勅使の言葉を何度も聞き返すというのは、魏(ぎ)の誰もが知るところであった。

 この時、倅の司馬師(しばし)は中護軍として皇帝の膝元である洛陽(らくよう)の軍を統括する立場にあったが、それも司馬懿(しばい)が亡くなるまでの天下であると、遠き西方にて中央の喧騒から離れて暮らす夏侯覇(かこうは)には、そう思えて仕方がなかった。

「私が……今もまだ中護軍として洛陽(らくよう)にて陛下をお守りする任に就いていられたならば……かような事態には……!」

 夏侯玄(かこうげん)は四年前に征西将軍を拝命し、西方へ赴任していた。これは度重なる蜀(しょく)からの猛烈な侵攻を止める名誉ある職務であり、現在は都督(ととく)征西将軍として郭淮(かくわい)が就任している地位である。

 夏侯玄(かこうげん)は当時、これが司馬懿(しばい)ないし司馬師(しばし)による左遷なのではないかと推察していた。

 現にこうして夏侯玄(かこうげん)が西方に赴任して以降、洛陽(らくよう)にて司馬師(しばし)は、朝廷に仕える名士を介して、各地方の名士と懇を通じるようになっている。人材登用を行う際に用いる九品官人法は、地方名士の影響力が大きいもので、端的にいってしまえばこの時司馬師(しばし)は魏(ぎ)国内の人事権の掌握に動いていると看做すことができる状態にあった。

「太初(たいしょ)よ、曹爽(そうそう)殿では、洛陽(らくよう)で起きている不穏な動きを阻止できぬのか」

「難しかろう。曹真(そうしん)殿が今もご存命であれば……」

「司馬懿(しばい)は、真の傑物であった。だが司馬師(しばし)は……ただ名家に生まれただけではないか。私もまたかつてはそのように侮られた。刺史(しし)殿にも、かつてはそのように笑われたものだ」

 刺史(しし)殿とは、雍(よう)州刺史(しし)郭淮(かくわい)である。子供の頃から郭淮(かくわい)とはよく接し、年の離れた兄のように慕ってきた。それは、父夏侯淵(かこうえん)が討死したあの日からである。

 数十年、共に戦ってきた郭淮(かくわい)も、数年前から距離が遠のいていた。

「太初(たいしょ)、刺史(しし)殿の心は、既に魏(ぎ)には在らぬのか」

「この頃、刺史(しし)は鄧艾(とうがい)と仲が良いな」

「鄧艾(とうがい)……といえば、あの屯田(とんでん)の鄧艾(とうがい)か?」

 鄧艾(とうがい)は、南安太守であるが、彼を説明する際に彼を最もよく表すのは、肩書きではなく、司馬懿(しばい)によって取立てられ彼に忠誠を誓う男であるという性質であろう。諸葛亮(しょかつりょう)の北伐を阻止した後洛陽(らくよう)へ帰還した司馬懿(しばい)の命で、数年前から兵站(へいたん)や屯田の為に西方へ派遣されていた。だがしかし、それは表向きの理由であり、これは西方に司馬懿(しばい)の影響力を残す為の策謀であった。

 郭淮(かくわい)は夏侯覇(かこうは)と異なり、政に関わる刺史(しし)である為、洛陽(らくよう)の政争に疎いはずがなく、鄧艾(とうがい)がこの西方にいるその意味を理解していた。その上で、郭淮(かくわい)は鄧艾(とうがい)と懇意になり、互いをよく知る夏侯覇(かこうは)と距離を取るようになっていた。

 ある時、軍営で郭淮(かくわい)と出会した夏侯覇(かこうは)は、挨拶を躊躇った。心の中に、もはや旧知の友として接することを拒む壁ができたことを自覚してしまった瞬間であったが、それに気づかない振りをして、笑顔を取り繕い声を掛けた。

「刺史(しし)殿! 夏侯覇(かこうは)が挨拶致します」

「仲権(ちゅうけん)……殿。刺史(しし)殿などと、なんともよそよそしいではないか……」

 口では距離を感じさせまいとする郭淮(かくわい)であったが、その声は小さく、目は泳いでいた。

 それは病のせいであると、夏侯覇(かこうは)は自らにいい聞かせた。それは今までもずっとそうしてきたことであったが、いい加減、鈍感な振りをするのも限界であると感じた。これが、二人だけで行った最後の会話であった。


 正史十一年(西暦249年)(数ヶ月前)

 夏のことであった。夏侯玄(かこうげん)は突如として、洛陽(らくよう)への召還命令に従い上洛するに当たり、征西将軍を解任された。

「太初(たいしょ)! 何故(なにゆえ)そなたが雍(よう)州を……西方を離れねばならぬのだ!」

「落ち着くのだ仲権(ちゅうけん)。これはかねてより、私が望んでいたことなのだ」

「どういう意味だ?」

「このままでは、魏(ぎ)の宗室は滅びるやもしれぬ。司馬(しば)氏の専横、目に余るものがある。曹(そう)氏の曹爽(そうそう)大将軍、そして夏侯(かこう)氏の私で、専横極めし司馬一族を、蹴落とすのだ!」

「しかし太初(たいしょ)よ、今や洛陽(らくよう)に味方はおるのか。行けば……ありもせぬ罪で捕らえられ、殺されるのではあるまいか……!」

 懸念は当然のものであったが、既に夏侯玄(かこうげん)の覚悟は決まっていた。

「虎穴に入らずんば虎子を得ず、と申すであろう。魏(ぎ)を宗室の手に取り返すには、もはやこれしかないのだ。刺し違えようとも、司馬師(しばし)を……! 我が義弟を……!」

 この年、夏侯玄(かこうげん)の妹にして司馬師(しばし)の妻であった夏侯徽(かこうき)は謎の死を遂げていた。これは司馬師(しばし)による謀殺であると考え、夏侯玄(かこうげん)は一族の為に義弟を誅殺する覚悟であった。

「太初(たいしょ)よ……! 太初(たいしょ)よ……!」

 共に逃げよう。その一言を口にすることはできなかった。覚悟を決めた男のその決意を踏みにじるのは、何人(なんぴと)にも赦されぬことである。


 夏侯玄(かこうげん)が去った後、都督(ととく)征西将軍の地位に昇った郭淮(かくわい)によって、軍内に夏侯覇(かこうは)の居場所はなくなりつつあった。

 不穏な気配が、夏侯覇(かこうは)の周囲を漂っていた。

 そして遂に、訪れたのである。夏侯覇に届けられた書状には、洛陽(らくよう)で起きた惨状が記されていた。

 それを目にした時、夏侯覇(かこうは)は絶句し、言葉がでなかった。

 大将軍曹爽(そうそう)、太常(たいじょう)夏侯玄(かこうげん)を筆頭に、魏(ぎ)宗室は三族誅殺。つまり、一族郎党が罪人として斬首の刑に処されたのである。皆殺しの憂き目を逃れたのは、皇帝曹芳(そうほう)や夏侯覇(かこうは)など、数える程であった。

「連座……なんの罪だ。なんの罪だというのだ……!」

 書状には、曹爽(そうそう)や夏侯玄(かこうげん)による皇位簒奪を目論んだ謀反を察知した太傅(たいふ)司馬懿(しばい)により両名が捕らえられたことが記されていた。

 司馬師(しばし)は洛陽(らくよう)にて三千もの私兵を密かに集めていた。魏(ぎ)帝曹芳(そうほう)と共に大将軍曹爽(そうそう)が、洛陽(らくよう)の精兵を引き連れ先帝が眠る高平陵へ参った隙を突いた、僅か数刻の出来事であった。

 司馬懿(しばい)の痴呆は演技であり、宗室排除の時を、虎視眈々と狙い続けていたのである。

 しばらく呆然とした後、夏侯覇(かこうは)の胸中には苦い気持ちが広がった。面子など捨てて、あの時、夏侯玄(かこうげん)へ一言「共に逃げよう」と告げられたなら──。


 夏侯覇(かこうは)は魏(ぎ)を事実上簒奪した司馬一族に対する復讐を誓った。宗室の再興、曹(そう)氏と夏侯(かこう)氏が再び天下に繁栄を願い、蜀(しょく)への降伏を決行したのは、それから間もなくのことであった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。