第十話
夏侯覇と陳寿の問いの遊びは、開始から二十日が経った。再び始まった夢解きに対し陳寿は、これが夢解きなどではなく、その皮を被った比喩なのだと勘づいていた。つまり、神が見せたものではなく、夏侯覇が陳寿に教えたいことであると、気づいたのだ。
「この数日の夢の内容をまとめれば、こうだ。山の合間の都は、剣を握り、竹の盾で守られている。城は山崩れに遭うも、天の子は黄土に根を張り、運命を受け入れる。しかし古の金の鎧を纏った白馬は、遠き地で息絶え、天の子は後を追う」
「概ねそんなところであろう。数日がかりの夢、しかと解いてくれ」
「まず、山の合間の都とは、山に囲まれた僻地であるこの成都のことだろう。剣と竹は、剣閣と綿竹。漢中から成都まで続く主要な街道を塞ぐ二つの城だ」
「ほう……見事なり」
「とぼけるな、知らない訳がないだろう」
「滅相もない……蜀の街道には詳しくありませぬぞ……」
「おちょくるなよ……! こんなものは夢解きでもなんでもない。頭で考えた謎解きではないか!」
「早う続きを聞かせよ。これは夢解きである」
「天の子は、天子。皇帝、つまり蜀漢の皇帝陛下だ」
「なぜ蜀漢の皇帝なのだ。三国には、三人の皇帝が鼎立している」
「天子が根を張る黄土は五行思想において西南を指す。そのため、北の曹魏、西南の蜀漢。東南の孫呉の三人の皇帝の中から、蜀漢の皇帝を指していると分かる。これが真の夢ならば、天はお前に、真の皇帝は蜀漢の劉氏であると教えているのだ」
「真にそうであると、なにゆえ言い切れる。他の見方を考慮せぬのはなにゆえだ。もう少し俯瞰せよ」
「運命を受け入れるというのは、地に根を張った陛下が天下統一の運命にあるという意味であろう。そうとしか思えないがな」
「それは、運命を受け入れるという言い方をするであろうか。まぁ良い、古の白金の馬とは一体なんであろうか」
「確信はないのだが……戦国の英雄司馬錯だと思っている。五行において西の色は白であり、表すものは金。……お前のためにわざわざ調べたんだぞ、面倒な夢を見やがる」
「司馬錯……知らぬなぁ。どんな英雄なのだ、教えてみろ」
司馬錯は、始皇帝の登場以前に活躍した秦の将軍で、蛮族が支配するこの巴蜀に文明をもたらした、初の侵略者であり、英雄である。彼は豊かな成都周辺の盆地と、そこに至るまでの険しさから、巴蜀を「天然の要害」や「天府」と呼び、かの地を秦の領土とした。
つまり、この成都を後の蜀漢の都たらしめるほど発展させたのは、この司馬錯の存在あってこそであった。
「やはり司馬という名は、軍に関わるの定めか。教示に感謝申し上げる、文官よ」
「珍しいな夏侯覇。礼を言うなど」
夏侯覇は陳寿の問いには答えず、ただひたすら「司馬はやはり軍に関る定めか」と、その名を口にし続けていた。
「おい夏侯覇よ、たしか諸葛丞相による北伐を幾度となく防いだ男が魏にも居たな。名は司馬懿。司馬は本当に、軍に関わるのかもしれないな。もしかしたら司馬錯の子孫かもしれないなぁ」
「然にあらず」
「は?」
「司馬懿の先祖は南方に縁を持たぬ。私は司馬懿については詳しいのだ……奴は有能な男であった。実に有能な……されど英雄でも、侵略者でもなかった」
司馬懿という男に対し、なにやら思いを抱いているように見受けられた。陳寿は、夏侯覇にとって司馬懿とはどんな男なのか、問いかけたくなった。だが直接な問いは、死に直結するため厳禁だ。またそれと同様に、夏侯覇につまらないと感じさせてはならない。
「人との出会いは、ふたつに別れる。忘れられないほど劇的なものか、いつか忘れてしまうほど普遍的なものかだ。まぁ普通のことをいっているな……一つ目の問いだ。司馬懿と出会ったのはいつだ」
「あれはいつであっただろうか、まだ私が若く、この足で戦場を駆けめぐっていた頃の話だ。もはや二十年は昔であろう」
「二つ目、司馬懿はお前のように、妙な遊びを仕掛けてくるような変人か」
「遊びはしかけぬが、変人に相違ない。今思えば奴は、人を騙すのが得意な男であった」
「三つ目、人を騙すとはなんだ」
「奴は武王曹操様から出仕を求められた際、怪我をして足が動かなくなったと嘘をついて、出仕を断ろうとした。されど魏から真偽を確かめる使者が司馬懿のもとへ訪れ、その足に針を刺した。司馬懿は痛がる素振りすら見せず、使者はまんまと騙されたのだ」
「なぜ司馬懿は出仕を断ったんだ?」
「名士というのは、出仕の誘いをまずは断るものだ。求められる人材は、何度断っても求められるという道理に則っている。そして、その問いは四つ目だ」
「わかっている。司馬懿のことは、張郃やお前同様にこの蜀漢にも伝わっている。北伐を幾度となく妨害し、諸葛丞相は司馬懿の守りを崩すべく、女物の衣を送りつけるような真似もしたという」
「それは私も知っている。軍内では諸葛亮を侮蔑する声が上がり、匹夫諸葛亮を撃退するべく、撃って出ようと皆が口を揃えていった。司馬懿はその意見を採用も却下もせず、女物の衣を着て諸葛亮と対陣する川の畔に出向いた。却下をすれば味方に侮られ、出撃すれば諸葛亮の思う壷。女装して出向くことで、諸葛亮を逆に、挑発してみせたのだ。こんな卑劣な真似をしなくてはならないほど、追い詰められた匹夫めと」
「丞相の奇策をものともしない司馬懿とは恐ろしい男だと、俺は感じている。五つ目の問いだ。司馬懿は存命か」
その問いに、夏侯覇は一瞬だけ口ごもった。ほんの一瞬のその違和感を、陳寿は見逃さなかった。
「司馬懿は生きている。八十ほどの老齢だがな」
「そうか、長生きだな。六つ目、司馬懿のために功績を立てたことはあるか」
「司馬懿のためにも、立てたことはあるだろう。司馬懿は魏の人であったし、彼の者が中央で取り立てられた後は各地を転々とし、私と同じ西方に赴任してきた際は、私より位が高く、間接的には彼に従う立場であった」
「間接的にというのはどういう意味だ。今日はこれでおしまいだな」
「魏は大きく、各地方の軍事権は時として、中央に住む高官よりも立場が上になる。司馬懿はあくまで、中央で出世した男だ。諸葛亮を抑えるために西方に派遣されたといえ、もともと西方にある秩序が彼の下に帰属した訳ではない。あくまで司馬懿は曹真大将軍に協力するよそ者であった」
夏侯覇は、司馬懿を魏の人ではなく、魏の人だった、と語った。点と点を線で繋げすぎかもしれない。だが、司馬懿について明日も問うべきだろうと、陳寿は思った。




