届かない剣-04
黒い獣が、ゆっくりと一歩踏み出す。
――ズン。
地面が揺れる。
ノアは小さく息を吐いた。
怖い。
逃げたい。
それでも、父の教えを思い出す。
『足を止めるな。』
『怖い時ほど、よく見ろ。』
ノアは木剣を構えた。
父と兄と何度も繰り返した構え。
毎朝、五百回。
夕方、五百回。
雨の日も。
風の日も。
熱を出した日でさえ、父に止められるまで振り続けた。
誰にも褒められなくても。
強くなりたくて。
誰かを守れるようになりたくて。
今日まで、一日も欠かしたことはない。
「ノア……。」
後ろでリリアが泣いている。
その声が、震える足を支えてくれた。
「大丈夫。」
もう一度だけそう言って、ノアは地面を蹴る。
父が教えてくれた最初の一歩。
相手の懐へ飛び込むための踏み込み。
小さな身体が、一気に距離を詰める。
「はあっ!」
気合いとともに木剣を振り下ろす。
狙うのは前足。
父が教えてくれた。
大きな相手ほど、足を狙えと。
木剣は、狙いどおり黒い脚へ届いた。
――カンッ!!
乾いた音が森に響く。
「え……?」
手応えが、ない。
まるで岩を叩いたようだった。
黒い外殻には傷一つ付いていない。
逆に衝撃が腕へ返り、ノアは思わずよろめいた。
だが、止まらない。
右へ回り込み、もう一度。
今度は関節を狙う。
――カンッ!
駄目だ。
なら首元。
――カンッ!
腹。
――カンッ!
肩。
――カンッ!
何度振っても。
何度狙っても。
何一つ通らない。
黒い獣は、反撃すらしなかった。
ただ静かに、その小さな剣を受け止めている。
ノアの呼吸だけが荒くなっていく。
「はぁ……っ。」
腕が重い。
足が震える。
それでも木剣を握る手だけは離さない。
最後にもう一歩だけ踏み込んだ。
「うあああぁぁっ!」
渾身の力で振り抜く。
――バキィッ!!
嫌な音が響いた。
折れた。
木剣が、根元から真っ二つに。
勢いのままバランスを崩したノアは、地面を転がる。
肩を打ち、土にまみれながらも、すぐに起き上がろうとする。
しかし、その前に黒い影が覆いかぶさった。
見上げる。
黒い獣が、すぐ目の前にいた。
その巨大な前足が、ゆっくりと持ち上がる。
初めてだった。
獣が攻撃する構えを見せたのは。
ノアは折れた木剣をぎゅっと握り締める。
息が苦しい。
腕も足も動かない。
それでも、立ち上がる。
立ち上がらなければ。
守れない。
その想いだけが、幼い身体をもう一度動かしていた。




