書物の向こう側-04
セシルは椅子へ腰を下ろし、ノアが描いた図をもう一度見つめた。
「ノア君。」
「はい。」
「少し、私と話をしてみないか。」
「もちろんです。」
ノアは嬉しそうに頷いた。
魔法について話せる相手がいる。
それだけで胸が躍った。
セシルは机の上に一冊の研究書を開く。
「では質問だ。」
「複合魔法で最も難しい点は何だと思う?」
ノアは少しだけ考え、答えた。
「魔法そのものじゃなくて……。」
「異なる術式同士を、どう共存させるかだと思います。」
セシルは静かに頷く。
「続けて。」
「例えば火属性と風属性なら、お互いを強め合えます。」
「でも水属性と雷属性では、術式の構成次第で魔力の流れが乱れます。」
「だから一つひとつの魔法を強くするより、全体のバランスを考える方が難しいです。」
「……その通りだ。」
セシルは思わず笑みを浮かべた。
「ではもう一つ。」
「古代魔法陣が現代で使われなくなった理由は?」
ノアは迷わなかった。
「術式が複雑だから、という理由もあります。」
「でも一番は、魔力量を前提に作られているからです。」
「古代の魔導士ほどの魔力を持つ人は、今ではほとんどいません。」
「だから現代では、多少効率が落ちても扱いやすい術式へ変わっていったんだと思います。」
セシルは思わず腕を組んだ。
どの答えも教科書を暗記したものではない。
自分の言葉で考え、自分の言葉で説明している。
研究者が最も求める思考だった。
「……見事だ。」
セシルは率直に言った。
「一年生でここまで考えられる学生には、私は会ったことがない。」
ノアは照れくさそうに笑う。
「父と本を読む時間が好きだったんです。」
「分からないことがあると、一緒に考えてくれて。」
「なるほど。」
セシルは納得したように頷く。
「良い師を持ったんだな。」
「はい。」
ノアは誇らしげに笑った。
「父は、僕の一番尊敬する人です。」
その笑顔には迷いがなかった。
セシルは静かに目を細める。
――ガレス・アークライト。
王国でも名の知られた剣士。
その人物が、息子には「考えること」を教えていたのか。
だからこの少年は、答えを覚えるのではなく、答えへ至る道筋を探す。
知識を積み重ね、自分で結びつける。
その姿勢こそが、何よりの才能だった。
ふと、ノアが申し訳なさそうに口を開く。
「すみません。」
「先生のお時間を取ってしまいました。」
セシルは小さく笑って首を横に振る。
「いや。」
「今日は私にとっても、とても有意義な時間だった。」
そう言って本を閉じる。
「ノア君。」
「はい。」
「これからも、分からないことがあれば遠慮なく図書館へ来なさい。」
「私で答えられることなら、力になろう。」
ノアの表情がぱっと明るくなる。
「本当ですか!」
「ああ。」
「その代わり――」
セシルは穏やかに微笑んだ。
「私にも、君の考えを聞かせてほしい。」
ノアは少し驚いたあと、嬉しそうに笑った。
「はい!」
その返事は、図書館では少しだけ大きすぎた。
受付の司書が「しーっ」と口元へ指を当てる。
「あっ……。」
ノアは慌てて頭を下げる。
「す、すみません……。」
その様子を見て、セシルは思わず吹き出した。
「ふふっ。」
図書館の静けさの中に、小さな笑い声が優しく響いた。
その日、王立ルミナス学園の図書館に、一人の教師と一人の少年の、新しい師弟にも似た縁が静かに生まれた。




