書物の向こう側-02
図書館の奥。
窓際の閲覧席で、ノアは静かにページをめくっていた。
紙へ書き込まれた古い術式。
現代ではあまり使われなくなった魔法陣。
それらを一つひとつ確かめるように読み進めていく。
その表情は、まるで未知の世界を旅する探検家のようだった。
――コン、コン。
静かな足音が書架の間に響く。
「失礼。」
落ち着いた声が聞こえた。
ノアが顔を上げると、一人の男性が立っていた。
三十代後半ほどの年齢。
深い紺色のローブをまとい、胸元には王立ルミナス学園の教師章が輝いている。
穏やかな眼差しの奥には、知性を感じさせる鋭さがあった。
「隣、よろしいかな?」
「あ、はい。」
ノアは慌てて本を寄せる。
男性は軽く会釈すると席へ腰を下ろした。
机の上には、何冊もの分厚い研究書が積まれる。
その背表紙を見て、ノアは思わず目を丸くした。
『高等魔法理論』
『古代術式研究録』
『王国魔導学会論文集』
どれも専門家しか読まないような本ばかりだ。
「先生……ですか?」
ノアが尋ねると、男性は微笑んだ。
「ああ。」
「私はセシル・アストレア。」
「この学園で魔法理論を教えている。」
「ノア・アークライトです。」
ノアも立ち上がり、一礼する。
「アークライト……。」
セシルはその名に聞き覚えがあった。
能力測定で魔力量が最低だった一年生。
しかし実戦授業では、クラウスが何度も話題にしていた少年でもある。
「そうか、君が。」
セシルは穏やかに頷いた。
そして、ノアの手元へ視線を向ける。
「その本を読んでいるのか。」
「はい。」
ノアは素直に頷く。
「古い理論がたくさん載っていて、すごく面白いです。」
セシルは思わず研究書を見直した。
『複合魔法陣構築論 第一版』
王国でも数十年前に出版された古い研究書。
内容は決して入門向けではなく、魔法理論を専門に学ぶ上級生でも苦戦する一冊だ。
「難しくはないか?」
「難しいです。」
ノアは笑って答えた。
「でも、分からないところは前のページへ戻って読み直すと、少しずつ繋がっていくので。」
その答えに、セシルは少しだけ驚く。
普通なら「難しくて分からない」で終わる。
この少年は違う。
理解するまで読み返すことを当たり前だと思っている。
「勉強熱心なんだな。」
「父から教わりました。」
ノアは本をそっと撫でる。
「分からないことは、分かるまで向き合えって。」
「だから、本も同じです。」
その言葉に、セシルは静かに微笑んだ。
「いい教えだ。」
そう言って、自分も資料を開く。
しばらくの間、図書館にはページをめくる音だけが流れていた。
互いに言葉はない。
それでも、不思議と居心地の悪さは感じなかった。
やがて。
ノアが小さく首を傾げる。
「……あれ?」
ほんの小さな独り言。
しかし、その一言がセシルの耳に届いた。
ノアの視線は、開かれた研究書のある一節へ釘付けになっていた。




