最下位の少年-06
その日の夜。
寮の中庭は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
風が木々を揺らし、葉擦れの音だけが響く。
月明かりの下、一人の少年が剣を振っていた。
ノア・アークライト。
昼間の能力測定が終わっても、その日課は変わらない。
ゆっくりと構え。
静かに踏み込み。
一振り、一振りを確かめるように剣を振る。
――カン。
木剣が訓練用の杭を打つ。
同じ場所へ。
寸分違わず。
何度も。
何度も。
額から汗が流れ落ちる。
「……やっぱり、まだ遠いな。」
ふっと息を吐く。
昼間のレオンの剣を思い出していた。
無駄のない一太刀。
鍛え抜かれた体。
そして、圧倒的な魔力。
「強かったな。」
素直な感想だった。
同時に嬉しくもあった。
自分より強いと思える相手がいる。
それは、もっと強くなれる理由になる。
ガレスが昔、笑いながら言っていた言葉が蘇る。
『上だけを見ろ。追いついたと思ったら、その先を見ろ』
「父さんなら……どう戦うんだろう。」
そう呟いた時だった。
胸の奥が、かすかに熱を帯びる。
「……?」
ノアは動きを止めた。
心臓とは違う。
もっと深い場所。
十年前、森の中で一度だけ感じたことのある感覚。
温かな熱。
それが、一瞬だけ胸を駆け抜けた。
思わず胸元へ手を当てる。
「また……?」
熱はすぐに消えた。
まるで幻だったかのように。
「疲れてるのかな。」
首を振る。
昼間の測定で気を張っていたせいかもしれない。
そう自分に言い聞かせる。
再び剣を構えようとした、その時。
背後から拍手が聞こえた。
「見事な剣だ。」
振り返る。
街灯の影から姿を現したのは、一人の老人だった。
白髪混じりの髪。
深い藍色の外套。
背筋は年齢を感じさせないほど真っすぐ伸びている。
胸元には、王立ルミナス学園の紋章。
「失礼。」
老人は穏やかに微笑む。
「少し散歩をしていたら、君の剣が見えてね。」
ノアは慌てて剣を下ろし、一礼した。
「申し訳ありません。夜に騒がしくしてしまって。」
「いや。」
老人は首を横に振る。
「静かな剣ほど、人を惹きつけるものだ。」
ゆっくりとノアの正面に立つ。
「君の名は?」
「ノア・アークライトです。」
老人の目がわずかに細くなる。
「アークライト……。」
その姓を口にした瞬間、老人の表情がほんのわずかに変わった。
だが、それは一瞬だった。
「私はこの学園で剣術を教えている、エルドという。」
ノアはもう一度頭を下げる。
「本日は能力測定だったね。」
「はい。」
「思うような結果ではなかったかな?」
ノアは少しだけ笑う。
「魔力は昔からなので。」
「でも、剣はまだまだです。」
老人は何も言わず、しばらくノアを見つめていた。
その瞳は、まるで剣先を見極めるように鋭い。
やがて、小さく頷く。
「……そうか。」
それだけ言って踵を返す。
去り際、誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた。
「ガレス、お前の息子か……。」
ノアには聞こえなかった。
老人は夜の闇へと姿を消す。
◇ ◇ ◇
学園本館、その最上階。
学園長室。
窓辺に立つ学園長は、月を見上げていた。
部屋へ入ってきたエルドが静かに一礼する。
「ご覧になりましたか。」
「ああ。」
学園長は短く答えた。
「どうだった?」
エルドは少し考え、静かに口を開く。
「魔力は確かに最低です。」
「ですが……。」
その先の言葉に、迷いはなかった。
「剣は、ガレスを思い出しました。」
学園長の目が細くなる。
「そうか。」
短い沈黙。
そして、学園長はゆっくりと微笑んだ。
「面白くなりそうだ。」
夜空には、雲ひとつない満月。
誰も知らない場所で。
少年の運命は、静かに動き始めていた。




