旅立ちの日-05
朝食を終えたノアは、自室で旅支度を整えていた。
大きな荷物はない。
着替えが数着。
母が焼いてくれた保存の利くパン。
砥石と手入れ道具。
そして、毎日振り続けた木剣。
「忘れ物はないか?」
扉の前に立っていたのはガレスだった。
「大丈夫です。」
ノアが頷くと、ガレスは部屋へ入り、静かに一つの包みを差し出した。
深い茶色の布に丁寧に包まれた細長い品だった。
「父さん?」
「開けてみろ。」
布をほどく。
中から現れたのは、使い込まれた革の剣帯だった。
黒に近い濃い茶色。
ところどころ擦れて色が薄くなっている。
長年使われてきたことが、一目で分かった。
ノアは驚いて顔を上げる。
「これ……父さんの。」
ガレスは静かに頷く。
「私が王都にいた頃から使っていたものだ。」
ノアは思わず息を呑んだ。
幼い頃から何度も見てきた。
父が剣を腰に下げる時、いつも使っていた剣帯。
まさか自分が受け取る日が来るとは思っていなかった。
「でも、これは父さんが……。」
「私はもう新しいものを使っている。」
そう言ってみせるガレスの腰には、確かに別の剣帯が巻かれていた。
「これは役目を終えた。」
少し間を置いて、ガレスは続ける。
「……いや。」
「違うな。」
珍しく、自分の言葉を訂正する。
「お前と共に、もう一度歩かせてやってくれ。」
ノアは革にそっと触れた。
手入れが行き届いており、使い込まれているのに不思議と温もりを感じる。
まるで父の手そのものに触れているようだった。
「……ありがとうございます。」
自然と頭が下がる。
ガレスは小さく頷くだけだった。
「学園へ行けば、多くの者がお前より優れて見えるだろう。」
静かな声が部屋に響く。
「魔力も。」
「身分も。」
「才能も。」
ノアは黙って耳を傾ける。
「だが、一つだけ忘れるな。」
ガレスはノアの肩に手を置いた。
「剣は、人と比べるものではない。」
「昨日のお前より、一歩でも前へ進め。」
「それを積み重ねればいい。」
ノアは力強く頷いた。
「はい。」
その返事を聞くと、ガレスはほんのわずかに口元を緩めた。
「……行ってこい。」
その一言には、厳しさも、期待も、父親としての願いも、すべてが込められていた。
ノアは新しい剣帯を腰に巻く。
いや――父から受け継いだ剣帯を。
木剣を差すと、不思議なほどしっくりと馴染んだ。
鏡に映る自分の姿は、まだ未熟な少年だ。
それでも胸の奥には、小さな覚悟が芽生えていた。
ノアは深く一礼する。
「行ってきます。」
その声に、ガレスは静かに頷いた。
「……ああ。」
短い返事だった。
だが、その一言だけで十分だった。




