旅立ちの日-03
森を抜ける小川のほとりで、ガレスは足を止めた。
朝日を受けた水面が、穏やかにきらめいている。
「ノア。」
「はい。」
ノアも立ち止まり、父の方へ向き直る。
ガレスは一本の枝を拾い、小川へ静かに投げ入れた。
ぽちゃん、と小さな音が響く。
「最後に確認しておく。」
「魔力を巡らせてみろ。」
ノアは素直に頷いた。
「はい。」
目を閉じ、ゆっくりと息を吸う。
身体の内側へ意識を向ける。
血の流れ。
鼓動。
呼吸。
そのさらに奥。
人が生まれながらに持つ魔力の源へ。
――巡れ。
静かに念じる。
胸の奥に、小さな温もりが灯る。
けれど、それだけだった。
灯火は風に揺れるろうそくのようにか細く、すぐに静まってしまう。
ノアはゆっくりと目を開けた。
「……やっぱり、これだけです。」
苦笑いを浮かべる。
十年間。
毎日のように試してきた。
結果は、一度も変わらなかった。
ガレスは何も言わず、ノアの肩へ手を置く。
その手は大きく、温かい。
「焦るな。」
短い言葉。
だが、そこには揺るぎない想いが込められていた。
「魔力は剣を助ける。」
「だが、剣そのものではない。」
ノアは少し困ったように笑う。
「父さんは、いつもそれですね。」
「何度聞いたか分かりません。」
「なら、あと百回聞け。」
真顔で返され、ノアは思わず吹き出した。
「百回ですか?」
「足りなければ千回だ。」
「それじゃ木剣を振る回数より増えちゃいますよ。」
親子で小さく笑う。
笑い声は、小川のせせらぎに溶けていった。
ふと、ガレスは水面へ目を向ける。
ノアに気づかれないよう、小さく息をつく。
――変わらないか。
六歳の春。
あの日以来、ノアの魔力はまるで成長を止めたようだった。
王都の医師にも診てもらった。
魔術師にも相談した。
原因は分からない。
誰もが「体質でしょう」と首を傾げるだけだった。
それでもガレスは、一度たりとも剣をやめろとは言わなかった。
魔力がなくても、剣は振れる。
強くなれる。
そう信じていたからだ。
「父さん。」
「ん?」
「学園でも、毎日朝稽古していいですか?」
その問いに、ガレスは思わず目を丸くする。
そして静かに笑った。
「誰に許可を取っている。」
「やりたければやれ。」
「……はい!」
その返事は、幼い頃と変わらない。
ガレスは頷き、歩き出す。
「一つだけ覚えておけ。」
ノアも隣へ並ぶ。
「学園には、お前より魔力のある者が大勢いる。」
「お前より派手な魔法を使う者もいる。」
「だが。」
ガレスは一度立ち止まり、真っ直ぐ息子を見る。
「剣まで他人と比べる必要はない。」
「昨日のお前より、今日のお前が強ければ、それでいい。」
ノアは一瞬だけ目を見開いた。
その言葉を胸の奥で噛みしめる。
「……はい。」
力強く頷く。
その笑顔を見て、ガレスもまた静かに頷いた。
二人は再び歩き始める。
朝日を背に受けながら、親子の足音がゆっくりと村へ向かって響いていた。




