神枷-05
白い鎖が、ゆっくりとノアの周囲を巡る。
触れてはいない。
それなのに、その冷たさだけが伝わってきた。
人影は静かにノアを見つめる。
「少年。」
「契約とは、奪われるものではない。」
「自ら選ぶものだ。」
ノアは黙って頷く。
「ゆえに。」
「最後に一度だけ問う。」
白い世界が静まり返る。
時間すら止まったようだった。
「今なら。」
「引き返せる。」
その言葉に、ノアは目を瞬かせた。
「契約を結ばずとも、お前はお前のまま終わる。」
「苦しみはない。」
「永き孤独もない。」
「誰にも蔑まれることもない。」
「この先に待つ未来を、お前はまだ知らぬ。」
「だからこそ。」
「今なら、選び直せる。」
人影は、それ以上何も言わなかった。
急かさない。
促さない。
ただ、ノアが答えを出すのを待っている。
ノアはゆっくりと俯いた。
怖くないわけじゃない。
家へ帰りたい。
父に会いたい。
母の作る温かいスープが飲みたい。
兄と剣の勝負もしたい。
まだ、やりたいことがたくさんある。
胸が締めつけられる。
涙がこぼれそうになる。
でも。
脳裏に浮かんだのは、泣き顔だった。
森で出会った、小さな女の子。
迷子になって震えていたリリア。
花冠を頭に乗せて笑ったリリア。
「また遊ぼうね」と、小指を絡めて約束したリリア。
あの笑顔だけは、失いたくなかった。
ノアは涙をこらえながら顔を上げる。
「……帰りたい。」
人影は静かに聞いている。
「本当は。」
「すごく帰りたい。」
少しだけ笑う。
泣き笑いのような、ぎこちない笑顔だった。
「でも。」
「約束したんだ。」
「また遊ぼうって。」
「約束は、守らないと。」
小さな拳を胸の前で握る。
「だから。」
「僕は、これを選ぶ。」
その瞬間だった。
白い鎖が、一斉に光を放つ。
無数の光がノアの周囲を巡り、ゆっくりと胸の前へ集まっていく。
やがて、それらは一本の細い光となり、ノアの左手首へ吸い込まれた。
じんわりと熱い。
痛みはない。
けれど、何かが身体の奥深くへ刻まれていく感覚だけがあった。
淡い光が消える。
そこには、小さな紋様が浮かんでいた。
鎖にも見え、翼にも見える、不思議な印。
人影は静かに告げる。
「契約は成った。」
その声には、初めてわずかな温かさが宿っていた。
「今日より、お前は神枷の担い手。」
「守るために弱くあり。」
「守る時だけ、枷は解かれる。」
ノアは自分の手首を見つめる。
まだ何も変わったようには感じない。
ただ一つ。
胸の奥に、不思議な温もりだけが残っていた。
人影はゆっくりと背を向ける。
「少年。」
最後に一度だけ呼びかける。
「その優しさを。」
「どうか最後まで、失うな。」
その言葉とともに、白い世界に一本の大きな亀裂が走った。
パリン――。
ガラスが割れるような音が響き、世界そのものが砕け始める。
眩い光がノアを包み込み、視界は再び真っ白に染まっていった。




