神枷-03
白い世界が、静かに揺らぐ。
差し出された右手は、近いようで遠い。
届きそうなのに、決して届かない距離にあった。
人影はゆっくりと口を開く。
「少年。」
ノアはまっすぐ顔を上げた。
「お前は、何を願う。」
その問いは、とても静かだった。
けれど、胸の奥まで見透かされるような重みがあった。
ノアは迷わなかった。
「リリアを助けて。」
即座に答える。
人影は何も言わない。
ただ、静かに続けた。
「それだけか。」
「うん。」
「己の命は。」
「いい。」
また即答だった。
「家族には、もう会えぬかもしれぬ。」
ノアの瞳が揺れる。
父の顔が浮かぶ。
母の笑顔が浮かぶ。
兄と剣を振った朝。
皆で囲んだ夕食。
温かな家。
胸の奥が締めつけられる。
「……会いたい。」
小さな声が漏れた。
「父さんにも。」
「母さんにも。」
「兄さんにも。」
「本当は、帰りたい。」
その言葉を聞いても、人影は何も言わない。
ただ待っている。
ノアは唇を噛んだ。
目に涙が浮かぶ。
それでも。
「でも。」
涙をぬぐい、まっすぐ前を向く。
「リリアは、もっと帰りたいと思う。」
「お父さんと、お母さんが待ってる。」
「だから。」
「お願い。」
「リリアを助けて。」
白い世界が、わずかに震えた。
人影は静かに目を閉じる。
「己より、他者を選ぶか。」
「うん。」
「悔いはないか。」
ノアは少しだけ考えた。
悔いはある。
生きたい。
もっと剣を振りたい。
父に褒めてもらいたい。
母のご飯も食べたい。
兄と競争もしたい。
まだ、やりたいことはたくさんある。
それでも。
「悔いは、ある。」
正直に答える。
「でも。」
「リリアが泣く方が、もっと嫌だ。」
その一言に、人影は初めて沈黙した。
長い、長い沈黙。
やがて、小さく息を吐くように言う。
「……変わらぬな。」
「え?」
ノアは首をかしげる。
だが、人影はその問いには答えない。
代わりに、静かに問いを重ねた。
「もし、その願いを叶える代わりに。」
「お前が生涯、誰にも認められぬ人生を歩むとしても。」
「それでも願うか。」
ノアは意味がよく分からなかった。
六歳の少年に、「生涯」という言葉の重みは想像できない。
それでも。
願いだけは変わらない。
ノアはゆっくりとうなずいた。
「うん。」
「みんながリリアを笑顔にしてくれるなら。」
「僕が笑われてもいい。」
その瞬間。
白い世界に、初めて風が吹いた。
何もなかった空間に、小さな光の粒が舞い始める。
人影は、その光を静かに見つめながら呟いた。
「……ならば。」
「お前には、資格がある。」




