神枷-02
「少年。」
静かな声だった。
大きくもない。
小さくもない。
男とも女ともつかない、不思議な響き。
それなのに、その一言だけは、まるで胸の奥へ直接届いたように感じた。
ノアは息を整えながら、その人影を見つめる。
「……あなたは?」
問いかけても、人影はすぐには答えなかった。
白い衣だけが、風もない世界でゆっくりと揺れている。
「名を持たぬ。」
ようやく返ってきた言葉は、それだけだった。
「え……?」
「名は、我を縛る。」
「ゆえに、名はない。」
ノアは首をかしげる。
意味が分からない。
けれど、不思議と嘘をついているようには思えなかった。
「ここは……どこなの?」
「狭間。」
「はざま……?」
「生と死の狭間。」
その言葉に、ノアの身体がぴくりと震えた。
「じゃあ……。」
喉が詰まる。
「僕……死んじゃったの?」
人影は首を横にも縦にも振らない。
「まだ。」
短い返事だった。
その一言に、ノアは大きく息を吐く。
生きている。
その事実だけで胸が少し軽くなる。
しかし次の言葉が、その希望を静かに打ち砕いた。
「だが、このままでは死ぬ。」
ノアの顔から笑みが消える。
「君も。」
一拍置いて。
「少女も。」
「……っ!」
ノアは思わず一歩踏み出した。
「リリアは!?」
「無事なの!?」
初めて、人影の視線がわずかに揺れたように見えた。
まるで、その反応を確かめるように。
「案ずるのは、自らではないか。」
「当たり前だよ!」
ノアは叫んだ。
「リリアは怪我してるんだ!」
「走れないんだ!」
「僕はいいから!」
「リリアを助けて!」
声が震える。
必死だった。
人影は静かにその叫びを聞いている。
「少年。」
再び、その穏やかな声が響く。
「お前は、自らが死ぬことを恐れぬのか。」
ノアは答えられなかった。
怖い。
死ぬのは怖い。
家族にも、もう会えない。
父にも。
母にも。
兄にも。
それでも――。
ノアはゆっくりと拳を握る。
「……怖いよ。」
正直な気持ちだった。
「すごく怖い。」
少しだけ俯く。
けれど、すぐに顔を上げた。
「でも。」
「リリアは、もっと怖いと思う。」
「だから。」
小さな拳を胸の前でぎゅっと握り締める。
「お願い。」
「リリアを助けて。」
「それだけでいい。」
白い世界に、静寂が訪れる。
人影は何も言わない。
ただ、ノアを見つめていた。
その沈黙は、ほんの数秒だったのか。
それとも永遠にも感じられるほど長かったのか。
やがて、人影は静かに口を開く。
「……そうか。」
その声には、それまでにはなかった、わずかな感情が滲んでいた。
驚き。
あるいは――。
遠い昔を思い出したような、かすかな哀しみ。
そして、人影はゆっくりと右手を差し出す。
「ならば、一つ問おう。」
白い空間が、かすかに揺らいだ。




