神枷-01
……あれ。
ゆっくりと、ノアは目を開いた。
眩しい。
どこまでも白い光が広がっている。
空もない。
地面もない。
雲もない。
それなのに、不思議と落ちている感覚もなかった。
「……ここ、どこ?」
返事はない。
風の音も。
鳥の声も。
自分の呼吸さえ聞こえない。
世界から音だけが、きれいに消えてしまったようだった。
ノアはゆっくりと立ち上がる。
足元を見ても、白しかない。
一歩踏み出す。
確かに歩いているはずなのに、足音は響かなかった。
「リリア?」
呼んでみる。
返事はない。
「リリア!」
少しだけ大きな声を出す。
それでも、何も返ってこない。
胸の奥が急に苦しくなった。
「リリア……?」
走り出す。
どこへ向かえばいいのかも分からない。
それでも走る。
白い世界には目印が何ひとつない。
右へ行っても。
左へ行っても。
前へ進んでも。
景色は何一つ変わらない。
「リリア!」
何度も名前を呼ぶ。
返事はない。
立ち止まり、辺りを見回す。
白。
ただ白。
その時だった。
ふと、自分の手を見る。
傷がない。
さっきまで木剣を握っていた手も。
転んで擦りむいた膝も。
どこにも傷一つ残っていなかった。
「……あれ?」
ノアは自分の胸に触れる。
痛くない。
苦しくもない。
あの黒い獣は。
リリアは。
最後に見たのは――。
「……っ!」
思い出した瞬間、ノアの表情が青ざめる。
大きな爪。
振り下ろされる影。
自分はリリアを抱きしめて――。
「リリア!」
ノアはもう一度叫んだ。
今度は泣きそうな声だった。
「返事して!」
「お願いだから……!」
その小さな願いだけが、音のない世界へ溶けていく。
どれほど走ったのだろう。
時間の感覚さえ曖昧になった頃。
ふいに、ノアは足を止めた。
目の前に、誰かが立っていた。
いつから、そこにいたのか分からない。
白い衣をまとった、人影。
輪郭はぼんやりと揺らぎ、逆光のような光に包まれているせいで、顔は見えない。
男なのか。
女なのか。
大人なのか。
子どもなのか。
それすら分からない。
ただ一つだけ。
その存在が、この白い世界そのものと同じくらい静かで、そして圧倒的だった。
ノアは思わず息を呑む。
人影は何も言わない。
ただ、まっすぐノアを見つめていた。
やがて――。
音のないはずの世界で、初めて声が響く。
「少年。」
その一言だけが、不思議なほど鮮明に、ノアの胸へと届いた。




