第42話 割れた水晶と、ひとつの約束
次の日の朝、フィーナさんはわたしたちをヴェルデの町のまんなかにある、大きな建物の前に連れてきた。
「点の使いかたは、そのあと。まずは、冒険者の登録よ」
「とうろく?」
「冒険者ギルドはね、女神様が開いたものなの。女神様に誓いを立てると、冒険者に要るものが、ちゃんと使えるようになるのよ」
女神様。
となりで、シズちゃんの背すじが、ほんの少しだけのびた。
わたしは、シズちゃんの手をぎゅっとにぎった。シズちゃんも、にぎり返してくれた。
扉をあけたとたん、声と笑い声が、どっと顔にぶつかってきた。
「ひろい!」
天井が高い。大きな剣を背負った人や、弓を持った人が、あっちこっちでしゃべっている。
奥のカウンターに、丸い水晶がのっていた。わたしの頭くらいの大きさで、中で青い光が、水みたいにゆらゆら揺れていた。
「きれい……! あれ、なに? さわっていいの?」
「あとでね」
「わたしも、はじめて入りました!」
リーンちゃんも、帳面を抱えたまま、目をきらきらさせていた。
受付のお姉さんが、紙を3枚くれた。
「お名前を、こちらに」
わたしは、筆を持ったまま固まった。
「……リーンちゃん」
「はい、まかせてください!」
リーンちゃんが、わたしの紙に、さらさらと書いてくれた。書いてもらった字は、やっぱり読めなかった。
「それでは、誓いの言葉を」
お姉さんが、うしろの壁の板を手で示した。字が、ぎっしり並んでいた。
ぜんぶ、読めない。
「……リーンちゃん」
「はい、わたしが先に読みますから、あとについて言ってください」
「ちかいます!」
「ちがいます! まだです!」
うしろで、フィーナさんが、こめかみを押さえた。シズちゃんの口の端が、ちょっとだけ持ち上がった。
リーンちゃんの声のあとについて、わたしは一生けんめい言った。意味は、半分くらいしかわからなかった。でも、女神様に向かって言うんだと思ったら、自然と声がまっすぐになった。
最初に、リーンちゃんが水晶に手をのせた。
中の青い光が、ふっと消えた。かわりに、まっしろな光が、ぱあっとはじけた。
まぶしい。目をあけていられないくらい。
その白の中を緑の光が、何本も何本もまっすぐ外へ走りぬけていった。
「し、白と緑……! 2色、しかも光属性です! とても珍しいです!!」
お姉さんの声が、ひっくり返った。まわりの冒険者たちが、ざわざわとこっちを見た。
「えっ」
リーンちゃんは、自分の手のひらと水晶を、何度も見くらべた。
「わ、わたし、なんにもないと思ってました……!」
「光った色が、その方の色です。こんなにきれいな白は、はじめて見ました」
「はいっ!」
リーンちゃんは、ほっぺをまっかにして、帳面になにか書きこんだ。字が、ちょっとはねていた。
次に、シズちゃん。
水晶の中で、光がくるくる色を変えた。赤、青、緑、金色。
にじいろだった。
その虹のはしから、黒が、じわじわとにじんできた。赤も、青も、緑も、つぎつぎ黒に飲まれていく。
水晶が、まっくろに塗りつぶされた。
ぱりん。
お姉さんは、口をあけたまま固まった。さっきまでのざわざわが、すうっと引いていった。
「に、虹色なんて……わたし、見たことはありません」
お姉さんの声が、ふるえていた。
「でも、言い伝えでは……ぜんぶの属性を使える方が千年にひとりくらい現れる、と」
「……しょ、少々、お待ちください」
お姉さんは、ふらふらと奥へ歩いていった。
「シズちゃん、すごい! にじいろ! にじいろだよ!」
「……そうか」
シズちゃんは、割れた水晶を、ちらっと見ただけだった。尻尾も、ぴくりともしなかった。
わたしは、くるっとうしろをふり返った。
「ねえ、フィーナさんは何色だったの?」
「わたしは、とっくに登録してあるのよ」
「そっか。すごく前のことだもんね。覚えてたらでいいよ」
フィーナさんの笑顔が、ぴたっと止まった。
「……すごく、は、よけいよ」
「じゃあ、ちょっと前?」
「ないしょ。ほら、あなたの番」
シズちゃんが、こっそり下を向いた。肩が、ちょっとだけふるえていた。
お姉さんが、新しい水晶を抱えてもどってきた。
「最後は、ハルカさん」
「はーい!」
わたしは、両手で、水晶をぺたっとはさんだ。
つめたかった。
光が、くるくる色を変えた。赤、青、緑、金色。
「にじいろ! シズちゃんと、おそろい!」
「千年にひとり……が、ふたり……?」
お姉さんが、かすれた声でつぶやいた。
その虹のまんなかから、白が、ぶわっとあふれだした。赤も、青も、緑も、つぎつぎ白に飲まれていく。
まぶしい。リーンちゃんのときより、ずっと。目をあけていられない。
水晶が、まっしろに塗りつぶされた。
ぱりんっ!
水晶が、こなごなにはじけた。
……あれ?
かけらは、下に落ちなかった。わたしの手のまわりで、きらきら浮かんだまま止まっていた。
その中に、なにかが、ちかちか光りだした。
字だった。
小さな字が、かけらからかけらへ、ぐるぐるまわりながら浮かんでは消えていく。
「お姉さん、これ、なんて書いてあるの?」
お姉さんは、答えなかった。
かけらに顔を近づけてじっと見て、それから、ゆっくり首を横に振った。
「……読めません」
「えっ」
「こんな字、わたし、見たことがありません」
まわりのおしゃべりが、ひとつずつ止まっていった。
フィーナさんが、わたしのすぐうしろまで来ていた。いつ来たのか、わからなかった。
シズちゃんの耳が、ぴんと立っていた。
わたしは、両手を前に出したまま、みんなの顔を見まわした。
「……わたし、なにか、こわしちゃった?」
だれも、答えてくれなかった。
しんとしたギルドの中で、かけらだけが、ちかちか光っていた。
わたしは、両手をどうしていいかわからなかった。
下ろしたら、かけらもいっしょに落ちてしまう気がした。上げたままだと、ずっとこのままの気がした。
「……ハルカさん。手を、ゆっくり下ろして」
フィーナさんの声だった。耳のすぐうしろで、とても小さく。
言われたとおりにした。
かけらが、手といっしょに、すうっと下りてきた。カウンターの上に、ころん、ころんと落ちていく。落ちたものから順番に、字の光が消えていった。
最後のひとつが落ちたとき、ギルドじゅうが、いっぺんにしゃべりだした。
「おい、いまの見たか」
「水晶が、また割れたぞ」
「ひと朝で2つだ。そんなこと、あるのか」
「虹がどうとか、言ってなかったか」
「千年がどうとか……」
声が、波みたいにこっちへ寄せてきた。
椅子をがたがた鳴らして立ち上がる人がいた。カウンターのほうへ、首をのばしてくる人がいた。
わたしは、シズちゃんの袖をつかんだ。
シズちゃんが、わたしの前に半歩出た。立った耳が、ぐるっとまわりのほうを向いていた。
背中が、ひやっとした。
なにがまずいのかは、わからない。でも、まずいことだけは、なんとなくわかった。
そのとき、フィーナさんが、ぱんっと手をたたいた。
大きな音だった。ざわざわが、いっしゅんで止まった。
「あらあら」
フィーナさんは、いつもよりずっとのんびりした声で言った。
「この水晶、ずいぶん古いのね。ほら、ここ。もとから、ひびが入っていたんじゃないかしら」
フィーナさんは、かけらをひとつ指でつまんで、みんなに見えるように持ち上げた。
ひびなんて、わたしには見えなかった。かけらなんだから、ぜんぶひびみたいなものだ。
「さっきの子のときに、ひびが広がったのね。そこへこの子が、両手で力いっぱいはさんだから。この子、力だけはあるのよ」
「力だけって!」
「ハルカさん、しーっ」
前のほうで、大きな剣を背負ったおじさんが、ぶはっと笑った。
「なんだ、ひびかよ」
「虹に見えたのは、ひびで光が割れたんだな。よくある、よくある」
「驚かせやがって」
笑い声が、あっちこっちで起きた。立ち上がっていた人が、また椅子に座った。首をのばしていた人が、お酒のほうへもどっていった。
……すごい。
フィーナさんは、ひと言で、みんなの「なんだ」をつくってしまった。
でも、受付のお姉さんだけは、笑っていなかった。両手を胸の前でにぎって、かけらのほうを、まだじっと見ていた。
奥の扉が、ぎいっとあいた。
出てきたのは、白いひげのおじいさんだった。
背は、わたしと同じくらいしかない。なのに、おじいさんが歩くと、まわりの冒険者たちがすっと道をあけた。
ギルドの、えらい人だ。だれにも教えてもらっていないけれど、それはわかった。
えらい人は、カウンターの上のかけらを見た。ひとつつまんで、光にかざして、目を細めた。
それから、フィーナさんを見た。
「……ひび、ですかな」
「ひびです」
フィーナさんは、にっこり笑った。
えらい人も、にっこり笑った。
ふたりとも笑っているのに、わたしの背中は、なんだかすうすうした。
「ひびでしたら、これは、こちらの手入れの落ち度ですな」
えらい人は、かけらを、カウンターの上にそっともどした。
「古い水晶を、2つとも、そのままにしておいた。……弁償は、無用です」
まわりで、「おお」と声が上がった。リーンちゃんが、帳面を抱えたまま、ほうっと息を吐いた。
でも、フィーナさんは、首を横に振った。
「それでは、気がすみません」
「ほう」
「ひびを広げたのは、この子の『力だけ』ですもの」
「力だけって、また言った!」
「ハルカさん、しーっ」
えらい人は、ひげをなでながら、少しのあいだ黙っていた。
それから、わたしたち4人の顔をひとりずつ、ゆっくり見た。わたしのところで、ちょっとだけ長く止まった。
「……では、こういたしましょう」
えらい人は、指を1本立てた。
「いずれ、皆さんが一人前の冒険者になった暁には。こちらの依頼を、ひとつ、受けていただきたい」
「依頼を、ですか」
「ええ。水晶なら、また買えます。ですが、腕のいい冒険者は、お金では買えませんでな」
フィーナさんの目が、ほんの少しだけ細くなった。
えらい人は、にこにこしたままだった。
「……わかりました。お約束します」
「わたしも、やくそく!」
わたしは、手をぴんと上げた。
「ハルカさん。まだ、中身も聞いていないのよ」
「でも、水晶、割っちゃったもん!」
えらい人が、ほっほっと笑った。
「元気なお嬢さんですな。……楽しみにしておりますぞ」
リーンちゃんが、わたしの袖をちょんと引っぱった。
「ハルカちゃん。いま払わないかわりに、あとで払う約束……」
小さな声だった。
「それ、いちばん高くつくやつです」
「そうなの!?」
「商人の勘です」
えらい人は、受付のお姉さんのほうを向いた。
「誓いは、もうすんでおる。この方たちの紙は、わしが預かる。色の欄は、あとでわしが書いておく」
「は、はい」
お姉さんは、3枚の紙をそろえて、えらい人に渡した。
わたしの紙の上にも、かけらがひとつのっていた。お姉さんは、それをそうっと指ではらった。指が、少しだけふるえていた。
「さあ、行きましょう」
フィーナさんが、わたしの背中を押した。押しかたが、いつもより少しだけ強かった。
出口へ向かうあいだ、わたしは、ふり返りたくてしかたなかった。
だから、ふり返った。
ギルドの中は、もう、ふつうのざわざわにもどっていた。笑ってお酒を飲む人。壁の紙をながめる人。剣をみがいている人。
その中に、ひとりだけ。
いちばん奥の、柱のかげの席。
フードを深くかぶった人が、こっちを見ていた。
テーブルの上のカップには、手がついていなかった。顔は、影になって見えない。なのに、こっちを見ていることだけは、はっきりわかった。
わたしの、手を見ていた。
さっきまで、かけらが浮かんでいた手を。
「シズちゃん、あそこの……」
言いかけて、もう一度、柱のほうを見た。
だれも、いなかった。
カップだけが、テーブルの上にぽつんと残っていた。湯気が、まだ立っていた。
「……どうしたの、ハルカ」
「いま、あそこに、だれかいたよね?」
シズちゃんの耳が、柱のほうへくるっと向いた。鼻が、少しだけ動いた。
「……いた」
低い声だった。
「においが、ひとつ。いま、消えたの」
「消えたって、どこに?」
「わからない。出ていったんじゃないの。そこで、ふっと消えたの」
わたしの腕に、ぞわっと鳥肌が立った。




