第40話 手を重ねて
ガロウさんは、その日の夕方には、もう里へ帰っていった。
「ルナが待っている」
それだけ言って、門の外へ歩きだした。
「父上」
シズちゃんが、うしろから呼んだ。
ガロウさんが、足を止めた。ふりかえらなかった。
「……行ってまいります」
「ああ」
ガロウさんは、背中を向けたまま、片手だけ上げた。
それから、少しだけ首をこっちへまわした。
「ハルカ。書を返しに来い」
「うん! ぜったい!」
大きな背中が、夕日の道を、だんだん小さくなっていった。
シズちゃんは、その背中が見えなくなるまで、門の前に立っていた。
わたしは、となりに立って、いっしょに見ていた。
「止めたかった、って」
シズちゃんが、ぽつりと言った。
「……はじめて聞いたの」
「うん」
「父上、わたしの前ではぜったい言わないのに」
黒い耳が、ほんの少しだけ前を向いていた。
「シズちゃんの前じゃないところで言ったから、言えたのかもね」
「……ずるい」
そう言ったシズちゃんの口の端は、ちょっとだけ持ち上がっていた。
*
次の日、リーンちゃんは朝からいそがしかった。
「新しい村には、お店がひとつだけじゃ足りないんです。鍋も直せなきゃいけないし、服も縫えなきゃいけないし、泊まるところも要ります。だから、うちのお得意さまで信じられる人にだけ、声をかけて回ります」
「信じられる人、だけ?」
「白狼族の里が守ってくれる村ですよ。だれでも入れたら、ガロウさまに顔向けできません。商人は、信用がいちばんなんです」
リーンちゃんは、帳面を胸に抱えて、くるっとまわった。
「それと、ハルカちゃん。いちばん先に行くのは、仕立て屋さんです」
わたしは、自分の上着を見下ろした。
里の女の人に借りた、大人の上着。袖を2回折っても、まだ長い。下に着ている服は袖がなくて、背中に穴があって、すそがぎざぎざだ。
「……はい」
仕立て屋さんは、通りを2本入ったところにあった。
戸をあけたとたん、奥から女の人がすっ飛んできた。
「リーンちゃん! 帰ってたのね! お父さんは? 起きられるようになった? あら、お友だち? まあ、まあまあまあ!」
ひと息だった。
リーンちゃんと同じくらい、ひと息だった。
「おばさん、こちらハルカちゃんです。服を1着、急ぎでお願いしたくて」
「どれどれ」
おばさんは、わたしの上着をぱっとめくった。
下の服を見た。
しばらく、見ていた。
「……どうしたら、こうなるの」
「木に5回ぶつかりました」
「5回」
おばさんは、上着をそっともどした。それから、目がきらっと光った。
「よし。わかった。木にぶつかっても、ひっかからない服ね。動きやすくて、軽くて、すそが邪魔にならない服。まかせて!」
そこからは、あっというまだった。
布を当てられて、ひもで測られて、ぐるぐるまわされて。わたしは、ずっと「はい」と「えっ」しか言えなかった。
夕方には、もうできあがっていた。
着てみた。
軽い。腕が、肩から先まで自由に動く。足も、ひざを上げても、どこにもひっかからない。
「わあ、動きやすい!」
その場で、ぴょんと跳ねた。
着地して、下を見た。
……あれ?
「たけ、短すぎない?」
すそが、ひざの、ずっと上にあった。
「流行りよ」
おばさんが、すぐに言った。
「ほんとに?」
「ほんとうよ。街の若い子は、みんなこれ」
わたしは、店の窓から通りを見た。通りを歩いている女の人は、みんな足首まであるすそだった。
「……みんな、長いけど」
「これから流行るのよ」
「これから」
「……わたしの趣味よ」
「趣味って言った!」
「ハルカちゃん」
リーンちゃんが、わたしの肩にぽんと手を置いた。
「よく考えてください。すそが長いと、どうなりますか」
「……木にひっかかる」
「そうです。ひっかかったら、どうなりますか」
「……びりってなる」
「びりってなったら、また仕立て屋さんに来ることになります。そのたびにお金がかかります。だから、短いのは、商売の計算なんです」
「……そっか」
「そうです」
「そっか……?」
なんだか、うまく丸めこまれた気がした。
でも、すそが短いと、たしかに足がよく動いた。もう1回跳んでみたら、さっきよりもっと高く跳べた気がした。
……まあいっか。忍者って、たぶん、すそが短い。
おばさんの目が、こんどはシズちゃんのほうへ向いた。
「それで、そちらの黒い髪のお姉さんは? 背が高くて、すらっとしてて、いいわねえ。そのお姉さんにも、なにか1着……」
「いらん」
シズちゃんは、ひと言だけ言った。
おばさんが、ぴたっと止まった。それから、すっと一歩下がった。
すごい。リーンちゃんと同じくらいひと息で話す人を、ひと言で止めた。
「それにおばさん、シズちゃんのほうが年下だよ!」
「えっ」
「わたしが15で、シズちゃんは13!」
おばさんは、わたしとシズちゃんを、何回も見くらべた。
シズちゃんは、わたしより頭ひとつぶん背が高い。顔つきも、ずっと大人っぽい。
「……あなたのほうが、年下だと思ってたわ」
「えー!」
うしろで、フィーナさんが口を押さえて、肩をふるわせていた。
「フィーナさん、笑ってる!」
「笑ってないわ。少しだけよ」
帰りぎわ、リーンちゃんが、新しい村のことをおばさんに話した。
白狼族の里のそばにできる村。お店がいくつも要ること。信じられる人にしか声をかけていないこと。
おばさんは、最後まで聞いて、ぱんと手をたたいた。
「行くわ。支店を出す。弟子をひとり連れていく」
「いいんですか!? まだ、家も1軒も建ってないんですよ!?」
「いいのよ。白狼族の毛皮でしょう。一度、さわってみたかったのよねえ」
おばさんの目が、また、きらっと光った。
……この人、ぜったい、白狼族の人のすそも短くする。
*
その夜、リーンちゃんのおうちで、晩ごはんを食べた。
リーンちゃんが作ってくれた。干し肉と、根っこと、薬草をひとつまみ入れたスープ。それから、焼いたばかりのパン。
湯気が、机の上でふわふわ揺れていた。
「いただきます!」
わたしは、スープをひと口飲んだ。
あったかいのが、のどからおなかの底まで、まっすぐ下りていった。
「おいしい……!」
「でしょう! 旅の鍋は、こうするものなんです!」
お父さんは、もう奥で休んでいた。「若い人だけで話しなさい」と言って、杖をついて部屋へもどっていった。
フィーナさんが、スプーンを口へ運んだ。
わたしは、それをじっと見ていた。
フィーナさんが、もうひと口飲んだ。
「……食べた」
「食べるわよ」
「フィーナさんが、食べた! ルナちゃんに教えてあげなきゃ!」
「ふつうのことでしょう」
フィーナさんは、とがった耳の先を少しだけ赤くして、またスプーンを動かした。
シズちゃんは、なにも言わないで、パンを3つ食べた。4つめに手をのばしたところで、わたしと目が合った。
手が、止まった。
「……食べればいいって、言っただけ」
「なんにも言ってないよ!」
お皿が、ぜんぶ空っぽになったころ。
リーンちゃんが、椅子から立ち上がった。
「では、あらためまして!」
こほん、と咳ばらいした。
「父の許しも、もらいました。帳簿をつける約束も、しました。これで、わたしも正式にみなさんの仲間です!」
リーンちゃんは、机のまんなかに、右手を出した。手のひらを、下に向けて。
「商人は大事な約束のとき、こうやって手を重ねるんです」
「やる!」
わたしは、すぐにその上に手をのせた。
フィーナさんが、少しだけ笑って、その上に手をのせた。白くて、細くて、まだちょっとだけつめたい手だった。
シズちゃんの手は、机の上で止まっていた。
出しかけて、止まっている。
あ、この形、知ってる。フィーナさんの2歩手前で止まっていたときと、同じだ。
わたしは、空いている左手で、シズちゃんの手首をつかんだ。
そのまま、いちばん上にのせた。
「はい、4人!」
「……ハルカ」
「なに?」
「……ううん。なんでもない」
シズちゃんの手のひらが、いちばん上に、そっと重なった。つかんでいた手首が、あったかかった。
ハルカ。シズちゃん。フィーナさん。リーンちゃん。
4人の手が、ひとつに重なっていた。
「パーティ、結成だね!」
「はい!」
「ええ」
「……うん」
3つの返事が、ばらばらの形で、でもいっぺんに来た。
それがなんだかおかしくて、わたしは笑った。リーンちゃんも笑った。フィーナさんも、少しだけ笑った。
シズちゃんだけが、笑わなかった。
手を、どけなかった。いちばん上にのせたまま、じっと、重なった手を見ていた。
*
「……みんなに、話しておきたいことがある」
シズちゃんが言った。
きりっとした声だった。ガロウさんの前で話すときの、あの声だった。
リーンちゃんの笑い声が、すっと止まった。フィーナさんの目が、シズちゃんのほうへ動いた。
だれも、手をどけなかった。
シズちゃんは、重なった手から目を上げた。フィーナさんを見て、リーンちゃんを見て、最後にわたしを見た。
「ハルカは、この世界の人間ではない」
そこで、シズちゃんは口を閉じた。
それ以上、なにも言わなかった。
ランプの火が、じじっと小さく鳴った。
「……え?」
リーンちゃんだった。
わたしと、シズちゃんと、それからまたわたしを見た。
「この世界の、って……遠くの国の生まれとかじゃなくて、ですか? 山のむこうとか、海のむこうとか……」
シズちゃんは、首を横に振った。
リーンちゃんの口が、開いたまま止まった。
フィーナさんは、なにも言わなかった。
ただ、重ねていた手を、そっと引いた。引いた手で、机のはしをにぎった。その指が、少しだけ白くなっていた。
わたしは、シズちゃんの袖をつかんでいた。
いつつかんだのか、自分でもわからなかった。
「シズちゃん、それ……ふたりだけの、ひみつ」
まだ、ほとんど歩けなかったころ。沢の音がしていた朝。シズちゃんがくれた、はじめての約束だ。
シズちゃんが、わたしのほうを向いた。
黒い耳が、少しだけ下がった。
「うん。だから、今日でおしまいにしたいの」
声が、やわらかくなっていた。
「なんで?」
「パーティを組んだから」
シズちゃんは、重なったままの手を見た。
「命を預けあう人たちに、黙ったまま背中を任せるのは、ちがうと思ったの」
それから、わたしを見た。
「それにね。ハルカがひとりで森へ行ったとき、わたし、すごく怒ったでしょ」
「……うん。すっごく怒ってた」
「でも、わたしも同じだったの。ずっと、ひとりで抱えてた。だれにも頼らないで、自分でなんとかしようとしてた」
シズちゃんは、少しだけ息を吸った。
「ハルカは、もうこの世界に、ちゃんと自分の足で立ってる。だから、話していいって思えたの」
そして、言った。
「ハルカにも、まだ話してないことがあるの」
つかんでいた袖が、指の中で、ぴんとはった。
「……わたしにも?」
「うん」
シズちゃんは、うなずいた。
うなずいて、まっすぐわたしを見たまま、言った。
「ハルカは、別の世界で生まれたの。生まれたときから病気で、寝台のうえから、歩くこともできなかった」
ひと息だけ、止まった。
「……そのまま、10歳で、亡くなったの」




