第39話 旅の許し
リーンちゃんのお店は、通りの角にあった。
戸をあけると、においがいっぺんに来た。天井から、干した草の束がいくつもぶらさがっている。棚には、つぼやびんや紙の包みが、ぎっしり並んでいた。
「ただいま、お父さん!」
奥の机に、男の人が座っていた。
やせていた。でも、背すじはまっすぐだった。机のわきに、杖が1本立てかけてあった。
「リーン。おかえり、早かったな」
お父さんは、帳面から顔を上げて、にっこり笑った。
それから、リーンちゃんのうしろを見た。
戸口いっぱいに、ガロウさんがいた。頭が、戸の上の板につかえそうだった。
お父さんの手から、筆がころんと落ちた。
立ち上がろうとして、杖をつかみそこねた。杖が、からんと床に倒れた。
「お、お父さん!」
リーンちゃんが飛んでいく前に、お父さんは机に手をついて、自分で立っていた。
立って、深く頭を下げた。
「……ようこそ、おいでくださいました。薬草のことでしたら、なんなりと」
声は、ちょっとだけふるえていた。でも、ちゃんと商人の声だった。
わたしは、リーンちゃんの横顔を見た。
あ。リーンちゃんが門のところでやったのと、おんなじだ。
「白狼族の統領、ガロウだ」
「ガ……白狼族の、統領さま」
お父さんの頭が、もっと深く下がった。
顔を上げたとき、お父さんの目が、わたしのところで止まった。
「……青い髪」
お父さんが、つぶやいた。
「では、あなたがハルカさんですか。娘から、何度も聞いております」
「は、はい! ハルカです!」
「私の薬代を、ぜんぶ出してくださったそうですね。街道で倒れていたとき、額に手をあててくださったとも」
お父さんは、杖もつかずに、机の横まで出てきた。
「命の恩人に、まだ礼のひとつも申し上げておりませんでした。ほんとうに、ありがとうございました」
また、頭が下がった。
「いえいえいえ! こちらこそ!」
わたしも、あわてて頭を下げようとした。
その肩を、リーンちゃんががしっとつかんだ。
「ハルカちゃんは下げないでください!」
「えっ、なんで!?」
「宴のとき言ったでしょう! 父はハルカちゃんに頭を下げられたら、娘くらい丸ごと差し出しちゃうんです! それじゃ説得にならないんです! わたしは、ちゃんと説得したいんです!」
お父さんが、目をぱちぱちさせた。
「……説得?」
奥の部屋の、大きな机をみんなでかこんだ。
ガロウさんは、椅子に座らなかった。椅子のほうが小さすぎた。床にあぐらをかいて、それでも机と同じくらいの高さだった。
ガロウさんが、話を短く言った。
里の外に、33人の村を作ること。守りは、白狼族がやること。里の薬草と毛皮を、人の街へ運ぶ店が要ること。その店を、この家に持ってほしいこと。
それから、リーンちゃんが話した。
長かった。
白狼族の薬草が、いままでどこにも出回っていなかったこと。だから、この店だけが扱えること。行商をやめても、お店の中だけで、いまよりずっと稼げること。帳簿は、お父さんひとりでもつけられること。
指を折りながら、ひと息で話した。宴の夜から、たぶん何回も頭の中で言っていたんだと思う。
お父さんは、ひとつもさえぎらなかった。うなずきながら、最後まで聞いていた。
聞きおわって、言った。
「いい話だ」
「でしょう!」
「商人なら、だれでも飛びつく。白狼族と取引できる店なんて、この国のどこにもないからな」
リーンちゃんが、机の下でこぶしをにぎった。わたしも、にぎった。
「だから、断る」
「……え?」
リーンちゃんのこぶしが、ほどけた。
「お父さん、いま、なんて」
「うますぎる話には、気をつけろ。おまえに最初に教えたことだ」
お父さんの声は、静かだった。
「白狼族は、これまで人とかかわってこなかった。それが急に取引をしたいと言う。しかも相手は、大きな商人ではない。行商しかしてこなかった、うちのような小さな店だ」
お父さんは、ガロウさんのほうへ頭を下げた。
「失礼を申し上げているのは、承知しております。ですが、私は商人です。わけのわからない話には、乗れません」
ガロウさんは、なにも言わなかった。
「それに、リーン」
お父さんが、リーンちゃんを見た。
「おまえは、その店を私に任せて、自分は旅に出るつもりだろう」
リーンちゃんの肩が、ぴくっとはねた。
「……なんで、わかるんですか」
「顔に書いてある。おまえは、ほしい物があるとき、そうやって左の髪の先をいじる」
リーンちゃんの指が、栗色の髪の先からぱっとはなれた。
「旅は、だめだ」
「お父さん」
「私は、街道で倒れていた。おまえも見ただろう。あれが旅だ。冒険者なら、もっと危ないところへ行く」
お父さんの手が、机の上でぎゅっと組まれた。
「おまえまで、ああなってほしくない」
部屋の中が、しんとした。
リーンちゃんが、口を開いた。
「で、でも、みんな強いんです! ハルカちゃんはレベル30で、シズさんも30です! 先生は冒険者の大先輩です! だから、わたしひとりくらい守ってもらえて……」
言いながら、リーンちゃんの声がどんどん小さくなっていった。
自分で言って、自分で気づいたんだと思う。
守ってもらえる。それは、リーンちゃんがいちばん言いたくないことだった。
「守ってもらうために、行くのか」
お父さんの声は、やさしかった。やさしいけれど、ひとつも引かなかった。
「ちが……ちがいます。ええと、そうじゃなくて、ええと」
リーンちゃんの口が、空回りしはじめた。
これは、まずい。
なにか、なにか言わなきゃ。
「リーンちゃんがいないと、わたしたち、ごはん食べないよ!」
わたしは、机に両手をついて立ち上がっていた。
「シズちゃんは、食べられればなんでもいいって言うし! フィーナさんなんか、ずっといっしょにいたルナちゃんが、食べてるところいっかいも見てないって!」
「……食べているわ」
フィーナさんが、小さい声で言った。
お父さんの口の端が、ぴくっと動いた。
ちょっとだけ、笑った。
でも、すぐにもとの顔にもどった。
「ハルカさん。娘を、飯炊きとして連れていかれるのですか」
「ち、ちがう! そういうことじゃなくて……」
……あ。わたし、もっと悪くしちゃった。
リーンちゃんが、うつむいた。
「ええと、だから……ええと、わたしは……」
「リーン」
シズちゃんだった。
「息を、しろ」
短かった。
リーンちゃんが、はっと顔を上げた。
すうっと、息を吸った。ゆっくり、吐いた。
それから、いつもの早口をやめた。
「……お父さん。うちの帳面に、名前が2つあるの、知ってますよね」
声が、ちがった。
ふざけてもいないし、あわててもいなかった。わたしは、リーンちゃんのこんな声を、はじめて聞いた。
「うちのお得意さまだった、冒険者さんたちです。人がぽつぽつ消える村に入って、帰ってきませんでした」
お父さんの手が、机の上で止まった。
「線を、引こうとしたんです。帰ってこない人の名前には、線を引くものだって、お父さんに教わったから。でも、引けませんでした。途中まで引いて、やめました」
リーンちゃんは、まっすぐお父さんを見ていた。
「北の丘で、23人を運び出しました。あの人たちは、教団に連れていかれた人たちでした。帳面の2人も、たぶん同じところへ行ったんです」
「先生は、教団のいちばん上の人を探しに行きます。そこまで行けば、あの2人がどうなったのかも、わかるかもしれません」
「わたし、あの線を自分で引くか、消すかしたいんです」
お父さんは、なにも言わなかった。
「わたしは、戦えません」
リーンちゃんは、それを笑わないで言った。
「でも、門番さんの槍は、さっきわたしがおろしました。宴の火のそばで、白狼族の人たちとも話しました。北の丘には、馬車を3台出しました。わたしにできることは、ちゃんとあるんです」
「守ってもらうために行くんじゃありません。わたしが、みんなを守れるところで、守るために行くんです」
部屋の中で、干した草の束が、かさりと鳴った。
お父さんは、長いあいだ、リーンちゃんの顔を見ていた。
わたしは、息をするのを忘れていた。
「……おまえの言うことは、わかった」
お父さんが、やっと言った。
「わかった。だが、怖いものは、怖い」
お父さんの声が、はじめて少しだけ揺れた。
「娘を送り出す親は、みんなそう言う。おまえにも、いつかわかる」
そのとき、床のほうから、低い声がした。
「……わかる」
ガロウさんだった。
あぐらをかいたまま、お父さんを見上げていた。
「俺の娘も、旅に出る」
シズちゃんの耳が、ぴくっと立った。
「止めなかった。宴の火の前で、そうか、とだけ言った」
ガロウさんは、そこで少しだけ黙った。
「……止めたかった」
シズちゃんの黒い尻尾が、うしろで、ぴたっと止まった。
わたしは、シズちゃんの顔を見られなかった。見たら、たぶん、わたしのほうが泣いてしまう。
「だが、あの火の前で、娘はもう前を向いていた。止めて、止まる顔ではなかった」
ガロウさんの目が、リーンちゃんのほうへ一度だけ動いて、すぐお父さんにもどった。
「おまえの娘も、いま同じ顔をしている」
お父さんは、答えなかった。
「それから、さっきのおまえの問いに答える」
ガロウさんは、ゆっくり言った。
「なぜ、この家なのか、と」
「……はい」
「白狼族は、これまで人と取引をしてこなかった。人を、信じなかったからだ」
部屋の中が、また静かになった。
「俺も、信じなかった。青い髪の人間の娘を見つけたら槍を向けろと、里の者に言ったのは、俺だ」
ガロウさんは、わたしを見なかった。お父さんだけを見ていた。
「だが、信じられる人間ができた」
「頼まれもしないのに、馬車を3台出して北の丘まで来た娘がいる。俺の里の者と、同じ火で同じ肉を食った娘がいる。さっきは、門の槍をひとりでおろさせた」
リーンちゃんの肩が、小さくふるえた。
「白狼族と取引をしたい商人なら、ほかにいくらでもいる。おまえの娘も、そう言った。だが、俺は金で相手を選ぶつもりはない」
ガロウさんは、あぐらのまま、頭を下げた。
深くはなかった。でも、ちゃんと下げた。
「やっとできた、信じられる人間だ。大事にしたい。……だから、間に入る役は、この家に譲りたい」
お父さんは、動かなかった。
ずいぶん長いあいだ、動かなかった。
それから、ゆっくり、机の上の帳面を閉じた。
「……白狼族の統領さまに、そこまで言われて、断る商人はおりません」
お父さんは、ガロウさんに向かって、深く頭を下げた。
「お店の件、謹んでお受けいたします。村の場所も、運ぶ道も、これから決めてまいりましょう」
リーンちゃんが、息をのんだ。
お父さんは、顔を上げて、リーンちゃんのほうを向いた。
「リーン」
「……はい」
「行ってきなさい」
リーンちゃんの目が、まんまるになった。
「ただし、ひとつだけ約束しなさい。旅のあいだも、帳簿はつけること。どこでなにをいくらで買って、だれに会ったか。ぜんぶだ」
お父さんは、閉じた帳面をとんと指でたたいた。
「帰ってきたら、私が読む。ひとつ残らず、読む」
「……っ」
リーンちゃんの顔が、くしゃっとなった。
「……はい! ぜんぶ、書きます! ぜんぶです! お父さんが読みきれないくらい、書いてきます!」
「読みきれる量にしなさい」
お父さんが、笑った。こんどは、ちゃんと笑った。
「やったあああ!!」
わたしは、机をまわりこんで、リーンちゃんに飛びついた。
「わっ、ハルカちゃん、重いです!」
「重くていいの! リーンちゃん、勝ったね! ぜったい勝てるって言ったでしょ!」
「勝ちました……勝ちましたよう……」
リーンちゃんは、わたしの肩に顔をうずめて、ぐずぐず言った。泣いていた。でも、笑っていた。
フィーナさんが、お父さんに向かって、静かに頭を下げた。
「お嬢さんを、お預かりします。必ず、お返しいたします」
「……どうか、よろしくお願いします。先生」
お父さんが言った。
フィーナさんの耳の先が、ほんのちょっとだけ赤くなった。
わたしは、リーンちゃんの肩ごしに、シズちゃんを見た。
シズちゃんは、ガロウさんを見ていた。
ガロウさんは、もう立ち上がって、戸のほうを向いていた。こっちを見なかった。
シズちゃんは、なにも言わなかった。
でも、黒い尻尾が、ゆっくりと2回揺れた。




