第38話 朝帰り
見上げると、木のあいだの空が、少しだけ白くなりかけていた。
……あ。
朝だ。
朝までに帰って、なんにもなかった顔で毛布にもどる。完ぺきな計画。
その計画の、いちばん大事なところを、わたしは忘れていた。
囲いが、どっちかわからない。
「どうしよう、どうしよう、どうしよう!」
わたしは、近くのいちばん高い木に飛びついた。幹をけって、枝をつかんで、また幹をけって。忍者みたいに、てっぺんまで一気にのぼった。
森の上に、顔が出た。
わあ。
森が、海みたいだった。
どこまでも緑がつづいて、そのはしっこのほうが、白い朝の光でうっすら金色になっている。木のてっぺんから、もやがゆっくり立ちのぼっていた。
その海の中に、ぽつんと、細い煙が1本上がっていた。
宴の火の、残りの煙だ。
「あった!」
あそこが、里だ。
遠い。めちゃくちゃに走ったせいで、思っていたよりずっと遠くまで来ていた。
でも、わたしなら。いまのわたしなら。
わたしは、木のてっぺんから、となりの木のてっぺんへ跳んだ。
枝が、ぐんとしなって、わたしを前へ押しだした。次の木。また次の木。
屋根の上を走る、の、木の上版だ。
「忍者だ! わたし、いま、忍者だ!」
途中で、枝が折れた。わたしは葉っぱの中を、ばさばさばさっと落ちていった。
落ちた先に、針毛猪がいた。
「ごめん!」
あやまりながら投げた。
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LV UP!
ハルカ LV24 → LV25
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また木にのぼって、また跳んだ。また落ちた。こんどは、針毛猪が2匹いて、いっぺんに突っこんできた。ひょいっとよけたら、2匹は牙どうしをがちんとぶつけて、いっしょに転がった。
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LV UP!
ハルカ LV25 → LV26
LV UP!
ハルカ LV26 → LV27
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もう、どの四角をいつ見たのかもわからなかった。走りながら跳びながら、ぽーんぽーんと音だけが追いかけてきた。
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LV UP!
ハルカ LV27 → LV28
LV UP!
ハルカ LV28 → LV29
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煙が、近くなってきた。木と木のあいだから、囲いの丸太が見えた。
そのとき、最後の茂みからもう1匹、針毛猪が飛びだしてきた。
わたしは、止まらなかった。止まれなかった。
猪の牙をつかんで、走るいきおいのまま、ぐるんとまわった。わたしと猪がいっしょに1回転して、猪だけが茂みのむこうへ飛んでいった。
ぽーん。
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LV UP!
ハルカ LV29 → LV30
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わたしは、足でブレーキをかけた。土が、ずざざざっと長くえぐれた。
光の四角の中で、30という数字が、朝の光にきらきら光っていた。
「さんじゅう……」
あと18、だったのに。
ひと晩で、ぜんぶ。
「30だああああっ!!」
両手を上げて、その場でぴょんぴょん跳ねた。跳ねすぎて、また木の枝に頭をぶつけた。
ぶつけたまま、わたしは笑った。
これで、忍者になれる。屋根の上を走れる。
そして、なにより。
シズちゃんと、おんなじ数だ。
*
囲いは、こんどは跳ばなかった。
丸太に指をかけて、ちゃんとのぼった。てっぺんから顔だけ出して、内側をのぞいた。
まだ、だれも起きていない。火のあとから、細い煙が1本のぼっているだけだった。
よし。
音を立てないように、すとんと内側へ降りた。
降りた目の前に、足があった。
見たことのある足だった。
ゆっくり、顔を上げた。
シズちゃんが立っていた。
刀を、腰にさしていた。外套は、夜つゆでしっとり濡れていた。
そのうしろに、フィーナさんとリーンちゃんもいた。リーンちゃんは、ランプを持ったままだった。もう朝なのに、火がついたままだった。
「お、おはよう、シズちゃん! はやいね!」
「……どこへ行っていた」
低い声だった。
ガロウさんの前で話すときの、あのきりっとした声だった。宴のあいだは、ずっとやわらかかったのに。
「えっと……森。ちょっとだけ」
「ひと晩は、ちょっとではない」
「……はい」
リーンちゃんが、ランプを持ったまま、わたしの頭のてっぺんから足の先までを見た。それから、口があいた。
「ハルカちゃん、服! 袖がないです! 両方ともです! 背中に穴があいてますし、すそなんか、のこぎりの歯みたいにぎざぎざじゃないですか!」
「あ、これはね、木にぶつかって……」
「木に!?」
「でも、けがはしてないよ! ほら、ぜんぜん!」
わたしは、その場でくるっと1回まわってみせた。袖のない腕も、穴のあいた背中も、どこにも傷はない。ぜんぶ、すぐに治ったから。
「見切りで、ぜんぶ見えたし! ちょっとぶつけても、すぐ治るし! だから、だいじょうぶ……」
「そういう話をしているのではない!」
シズちゃんが、どなった。
わたしは、まわりかけた形のまま止まった。
シズちゃんのこんな声、はじめて聞いた。
「起きたら、いなかった」
シズちゃんの手が、刀の柄をにぎっていた。指の先が、白くなっていた。
「においを追った。囲いの外で、森の奥で、何度も見失った。においが、森じゅうで輪をかいていた。追っても追っても、同じところへ戻ってきた」
……それ、たぶん、わたしがめちゃくちゃに走ったせいだ。
「木が、何本も倒れていた。熊のにおいがした」
シズちゃんの声が、そこで少しだけ揺れた。
「……血のにおいが、しないか。ずっと、それだけ」
黒い耳が、ぺたんとうしろへ倒れた。
シズちゃんが、一歩、こっちへ来た。
もう一歩来て、わたしの頭の上に、なにかがのった。
シズちゃんのあごだった。
背の高いシズちゃんが、わたしを両腕で抱えこんでいた。袖のなくなった腕に、濡れた外套がつめたかった。
「……心配したんだから」
声が、やわらかくなっていた。
きりっとした声じゃなかった。宴のときの、ほんとうのシズちゃんの声だった。
胸の奥が、ぎゅっとなった。
熊の角が目の前にあったときより、ずっと、ぎゅっとなった。
わたしがたのしくて笑っていたあいだ、シズちゃんは、ひと晩じゅう森を走っていたんだ。わたしの血のにおいを、さがしながら。
「……ごめんなさい」
ちゃんと、声に出して言った。
「ひとりで、勝手に行かないで」
「うん。もう、行かない」
「……ほんとうに?」
「ほんとう! 次は、シズちゃんもいっしょ! 半分こにする!」
「……半分こ」
シズちゃんの耳が、ぴくっと動いた。あごが、わたしの頭の上で、少しだけ重くなった。
フィーナさんが、長いため息をついた。
「それで、ハルカさん。ひと晩、森でなにをしていたの」
「あっ、そうだ!」
わたしは、シズちゃんの腕の中から顔を出した。
「見て見て! レベル、30になった!」
しん、とした。
リーンちゃんのランプの火が、ゆらっと揺れた。
「……え? ありえないんだけど」
声は、うしろからだった。
戸の前で槍を持っていた、あの若い人だった。いつのまにか、こっちを見ていた。言ってから、自分の口をばっと押さえた。
「す、すみません! また言っちゃいました!」
「……30?」
フィーナさんが、ゆっくり言った。
「12から? ひと晩で?」
「うん! ひとりならひとりじめって、フィーナさんが教えてくれたから!」
フィーナさんが、こめかみに指をあてた。
「……教えたわね。教えたけど、行きなさいとは言ってないのよ」
「えへへ」
「ほめてないのよ」
「ひと晩で18って、どういう計算ですか!? うちの帳簿だって、ひと晩でそんなに増えたことないですよ!」
リーンちゃんが、ランプをぶんぶん振った。火が消えそうになって、あわてて止めた。
シズちゃんの腕が、わたしからはなれた。
見上げると、シズちゃんがわたしをじっと見下ろしていた。
「……30」
「うん、30!」
「わたしと、同じ数だ」
「そう! シズちゃんと、おそろい!」
シズちゃんは、なにも言わなかった。
黒い尻尾が、うしろで1回だけ、ぱたんと揺れた。揺れてから、ぴたっと止まった。
「……追いつかれた」
「えへへー」
「でも、まだわたしのほうが強い」
声が、きりっとした声にもどっていた。
「えー! じゃあ、勝負しよう、勝負!」
「しないの」
フィーナさんが、わたしとシズちゃんのあいだに手を入れた。
「急に上がった力は、すぐには体になじまないものよ。それで、木にぶつかったんでしょう」
「なんでわかるの!?」
「髪に、木の皮がついているもの。それも、あちこちに」
わたしは、頭に手をやった。ぱらぱらと、茶色いかけらが落ちてきた。
「……3回ぶつかった」
「4回」
「あと、根っこに1回と、枝に1回」
「5回ね」
フィーナさんの目が、少しだけ細くなった。それから、口の端がほんのちょっとだけ持ち上がった。
「ほんとうに、あなたは……」
その先は、言わなかった。
「……熊か」
低い声がした。
ふりかえると、ガロウさんが立っていた。いつからいたのか、ぜんぜんわからなかった。
ガロウさんは、袖のない腕とぎざぎざのすそを見て、それから鼻を少しだけ動かした。
「森角熊! 投げた!」
「……投げたか」
戸のまわりに集まりはじめていた里の人たちが、ざわっとした。
「森角熊を?」
「ひとりで?」
「この里でも、5人でかかる相手だぞ」
ガロウさんの左目が、細くなった。
しばらく、わたしを見ていた。
「……そうか」
それだけだった。でも、宴のときの「そうか」とは、ちょっとだけちがう「そうか」だった。
「その服で、人の街へ行くつもりか」
「人の街?」
「商人の娘の、父のところへ行くのだろう」
ガロウさんは、リーンちゃんのほうを見た。リーンちゃんの背すじが、ぴんとのびた。
「俺も行く」
また、しんとした。
こんどは、里の人たちまでいっしょにしんとした。
「父上が、ですか」
シズちゃんだった。父上の前の、きりっとした声だった。
「商いの話だ。話を持ちかけた頭が出向くのが、筋だ」
ガロウさんは、それだけ言って、少しだけ間をあけた。
「……それに」
続きを待ったけれど、続きは来なかった。ガロウさんは、もう囲いの外のほうを見ていた。
「と、統領さまが、うちに……!?」
リーンちゃんの声が、ひっくり返った。
「父が、腰を抜かします! やっと起きられるようになったばかりなのに、また寝こんじゃいます!」
「寝こむのか」
「たとえです!」
わたしは、思わずふきだした。
毛布のかたまりが、里の女の人の腕の中でもぞもぞ動いた。顔が出てきた。ルナちゃんだった。
ルナちゃんは、半分だけあいた目で、わたしを上から下まで見た。
「……はるか、ふく、ない」
「ある! ちょっとはある!」
「……ちょっと」
ルナちゃんの言うことは、いつもほんとうだ。
*
発ったのは、その日のお昼だった。
リーンちゃんの馬車が1台。御者台にリーンちゃん、荷台にわたしとシズちゃんとフィーナさん。そのとなりを、ガロウさんが歩いた。
馬車に乗ればいいのに、と言ったら、「歩くほうが速い」と言われた。ほんとうに速かった。馬のほうが、ときどき小走りになっていた。
わたしは、里の女の人が貸してくれた上着をはおっていた。白狼族の大人の上着だから、袖が手の先より長くて、すそはひざの下まであった。
「ハルカ、袖を折って」
「こう?」
「ちがう。こう」
シズちゃんが、わたしの袖を2回折ってくれた。折りながら、ちょっとだけ口の端が上がっていた。
「シズちゃん、いま笑った?」
「笑ってないもん」
「笑った!」
「袖が長すぎるから」
「やっぱり笑ってる!」
御者台のリーンちゃんは、さっきからずっと、ひとりでぶつぶつ言っていた。
「まず、ガロウさまのお話がどれだけいい話かを話します。それから、お店を村に移したときの、もうけの見こみを話します。白狼族の薬草と毛皮は、いま街ではどこにも出回っていないので、うちだけが扱えるってことは……」
指を1本ずつ折っている。
折りすぎて、両手の指がぜんぶたたまれていた。
「リーンちゃん、指、足りてないよ」
「足りてないんです! 言いたいことが多すぎるんです!」
リーンちゃんは、たたんだ両手をぱっと開いた。
「でも、いちばん大事なのは、ひとつだけです」
声が、少しだけ変わった。
「わたし、絶対に父を説得します。絶対に、みんなのパーティに入ります」
前を向いたまま、リーンちゃんは言った。
「先生に、ギルドのこと教えてもらうんです。ハルカちゃんとシズさんのごはんを作るんです。リリーさんを迎えに行くところを、ちゃんと見るんです。宴の夜に、わたし、決めたんです」
「……うん」
「わたしは戦えないので、せめて、口では負けません」
さらっと言った。笑ったまま言った。
わたしは、その横顔を見ていた。
わたしは戦えないので。
リーンちゃんはそれを、いつもの早口のなかにぽんと1個だけまぜた。
「リーンちゃん、ぜったい勝てるよ」
「はい! 商人は、勝てる話しかしません!」
フィーナさんが、荷台のうしろで小さく笑った。
「……絶対、を2回も言う商人は、はじめて見たわ」
「先生、それはほめ言葉ですか?」
「少しだけね」
夜を、いくつかこえた。
道は、だんだん土から石に変わった。荷車がふえて、人がふえた。草のにおいの中に、ちがうにおいがまじりはじめた。
干した葉っぱのにおい。煮た根っこのにおい。少しだけ、苦いにおい。
リーンちゃんの荷台と、同じにおいだった。
「ヴェルデです!」
御者台で、リーンちゃんが声をはずませた。
石の壁が、見えてきた。壁のむこうから、いくつも煙がのぼっていた。薬草の街。リーンちゃんの生まれた街だ。
門の前に、槍を持った人たちがいた。
槍の先が、ガロウさんを見て、ぴたっと止まった。
門のまわりにいた人たちが、ざあっと道をあけた。荷車を引いていたおじさんが、荷をひっくりかえした。かごから、赤い実がころころ転がっていった。
「は、白狼……!?」
門番の人たちが、槍をかまえ直した。3人、4人、5人。どんどん集まってくる。
ガロウさんは、止まらなかった。止まらないで、ただ歩いていた。
だめ。このままじゃ、槍が。
「おじさーん!」
御者台から、リーンちゃんが手をぶんぶん振った。
「わたしです、リーンです! 薬草屋のリーンです! この方は、うちのお客さまです!」
いちばん前の門番の人が、目をぱちぱちさせた。
「リーンちゃん……? お客さまって、おまえ、その方は」
「白狼族の統領さまです! うちと、大きな取引をしに来てくださったんです! だからおじさん、槍をおろしてください。お客さまに槍を向けたら、うちの商売があがったりです!」
リーンちゃんは、御者台から身を乗りだした。
「それにおじさん、腰のほう、まだ痛いんでしょう。父の湿布、あとで届けますから。ね」
門番の人の槍の先が、ゆっくりと下を向いた。
「……リーンちゃんのとこの客なら」
「ありがとうございます!」
門が、あいた。
わたしは、荷台の上で口をあけたまま、リーンちゃんの背中を見ていた。
槍が、5本。それが、ほんの何回かのやりとりで、ぜんぶ下を向いた。
「……リーンちゃん、すごい」
「門番のおじさんは、腰が悪いんです。父の湿布のお得意さまなんです」
リーンちゃんは、前を向いたまま、少しだけ得意そうに言った。
ガロウさんが、ちらりとリーンちゃんを見た。
なにも言わなかった。でも、その目は宴でわたしを見たときと同じくらい長かった。




