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転生少女と黒狼姫 〜女神に選ばれた少女と、掟破りの狼族戦士〜  作者: 白川雫


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38/43

第38話 朝帰り

 見上げると、木のあいだの空が、少しだけ白くなりかけていた。


 ……あ。


 朝だ。


 朝までに帰って、なんにもなかった顔で毛布にもどる。完ぺきな計画。


 その計画の、いちばん大事なところを、わたしは忘れていた。


 囲いが、どっちかわからない。


 「どうしよう、どうしよう、どうしよう!」


 わたしは、近くのいちばん高い木に飛びついた。幹をけって、枝をつかんで、また幹をけって。忍者みたいに、てっぺんまで一気にのぼった。


 森の上に、顔が出た。


 わあ。


 森が、海みたいだった。


 どこまでも緑がつづいて、そのはしっこのほうが、白い朝の光でうっすら金色になっている。木のてっぺんから、もやがゆっくり立ちのぼっていた。


 その海の中に、ぽつんと、細い煙が1本上がっていた。


 宴の火の、残りの煙だ。


 「あった!」


 あそこが、里だ。


 遠い。めちゃくちゃに走ったせいで、思っていたよりずっと遠くまで来ていた。


 でも、わたしなら。いまのわたしなら。


 わたしは、木のてっぺんから、となりの木のてっぺんへ跳んだ。


 枝が、ぐんとしなって、わたしを前へ押しだした。次の木。また次の木。


 屋根の上を走る、の、木の上版だ。


 「忍者だ! わたし、いま、忍者だ!」


 途中で、枝が折れた。わたしは葉っぱの中を、ばさばさばさっと落ちていった。


 落ちた先に、針毛猪がいた。


 「ごめん!」


 あやまりながら投げた。


==========

 LV UP!

 ハルカ LV24 → LV25

==========


 また木にのぼって、また跳んだ。また落ちた。こんどは、針毛猪が2匹いて、いっぺんに突っこんできた。ひょいっとよけたら、2匹は牙どうしをがちんとぶつけて、いっしょに転がった。


==========

 LV UP!

 ハルカ LV25 → LV26

 LV UP!

 ハルカ LV26 → LV27

==========


 もう、どの四角をいつ見たのかもわからなかった。走りながら跳びながら、ぽーんぽーんと音だけが追いかけてきた。


==========

 LV UP!

 ハルカ LV27 → LV28

 LV UP!

 ハルカ LV28 → LV29

==========


 煙が、近くなってきた。木と木のあいだから、囲いの丸太が見えた。


 そのとき、最後の茂みからもう1匹、針毛猪が飛びだしてきた。


 わたしは、止まらなかった。止まれなかった。


 猪の牙をつかんで、走るいきおいのまま、ぐるんとまわった。わたしと猪がいっしょに1回転して、猪だけが茂みのむこうへ飛んでいった。


 ぽーん。


==========

 LV UP!

 ハルカ LV29 → LV30

==========


 わたしは、足でブレーキをかけた。土が、ずざざざっと長くえぐれた。


 光の四角の中で、30という数字が、朝の光にきらきら光っていた。


 「さんじゅう……」


 あと18、だったのに。


 ひと晩で、ぜんぶ。


 「30だああああっ!!」


 両手を上げて、その場でぴょんぴょん跳ねた。跳ねすぎて、また木の枝に頭をぶつけた。


 ぶつけたまま、わたしは笑った。


 これで、忍者になれる。屋根の上を走れる。


 そして、なにより。


 シズちゃんと、おんなじ数だ。


   *


 囲いは、こんどは跳ばなかった。


 丸太に指をかけて、ちゃんとのぼった。てっぺんから顔だけ出して、内側をのぞいた。


 まだ、だれも起きていない。火のあとから、細い煙が1本のぼっているだけだった。


 よし。


 音を立てないように、すとんと内側へ降りた。


 降りた目の前に、足があった。


 見たことのある足だった。


 ゆっくり、顔を上げた。


 シズちゃんが立っていた。


 刀を、腰にさしていた。外套は、夜つゆでしっとり濡れていた。


 そのうしろに、フィーナさんとリーンちゃんもいた。リーンちゃんは、ランプを持ったままだった。もう朝なのに、火がついたままだった。


 「お、おはよう、シズちゃん! はやいね!」


 「……どこへ行っていた」


 低い声だった。


 ガロウさんの前で話すときの、あのきりっとした声だった。宴のあいだは、ずっとやわらかかったのに。


 「えっと……森。ちょっとだけ」


 「ひと晩は、ちょっとではない」


 「……はい」


 リーンちゃんが、ランプを持ったまま、わたしの頭のてっぺんから足の先までを見た。それから、口があいた。


 「ハルカちゃん、服! 袖がないです! 両方ともです! 背中に穴があいてますし、すそなんか、のこぎりの歯みたいにぎざぎざじゃないですか!」


 「あ、これはね、木にぶつかって……」


 「木に!?」


 「でも、けがはしてないよ! ほら、ぜんぜん!」


 わたしは、その場でくるっと1回まわってみせた。袖のない腕も、穴のあいた背中も、どこにも傷はない。ぜんぶ、すぐに治ったから。


 「見切りで、ぜんぶ見えたし! ちょっとぶつけても、すぐ治るし! だから、だいじょうぶ……」


 「そういう話をしているのではない!」


 シズちゃんが、どなった。


 わたしは、まわりかけた形のまま止まった。


 シズちゃんのこんな声、はじめて聞いた。


 「起きたら、いなかった」


 シズちゃんの手が、刀の柄をにぎっていた。指の先が、白くなっていた。


 「においを追った。囲いの外で、森の奥で、何度も見失った。においが、森じゅうで輪をかいていた。追っても追っても、同じところへ戻ってきた」


 ……それ、たぶん、わたしがめちゃくちゃに走ったせいだ。


 「木が、何本も倒れていた。熊のにおいがした」


 シズちゃんの声が、そこで少しだけ揺れた。


 「……血のにおいが、しないか。ずっと、それだけ」


 黒い耳が、ぺたんとうしろへ倒れた。


 シズちゃんが、一歩、こっちへ来た。


 もう一歩来て、わたしの頭の上に、なにかがのった。


 シズちゃんのあごだった。


 背の高いシズちゃんが、わたしを両腕で抱えこんでいた。袖のなくなった腕に、濡れた外套がつめたかった。


 「……心配したんだから」


 声が、やわらかくなっていた。


 きりっとした声じゃなかった。宴のときの、ほんとうのシズちゃんの声だった。


 胸の奥が、ぎゅっとなった。


 熊の角が目の前にあったときより、ずっと、ぎゅっとなった。


 わたしがたのしくて笑っていたあいだ、シズちゃんは、ひと晩じゅう森を走っていたんだ。わたしの血のにおいを、さがしながら。


 「……ごめんなさい」


 ちゃんと、声に出して言った。


 「ひとりで、勝手に行かないで」


 「うん。もう、行かない」


 「……ほんとうに?」


 「ほんとう! 次は、シズちゃんもいっしょ! 半分こにする!」


 「……半分こ」


 シズちゃんの耳が、ぴくっと動いた。あごが、わたしの頭の上で、少しだけ重くなった。


 フィーナさんが、長いため息をついた。


 「それで、ハルカさん。ひと晩、森でなにをしていたの」


 「あっ、そうだ!」


 わたしは、シズちゃんの腕の中から顔を出した。


 「見て見て! レベル、30になった!」


 しん、とした。


 リーンちゃんのランプの火が、ゆらっと揺れた。


 「……え? ありえないんだけど」


 声は、うしろからだった。


 戸の前で槍を持っていた、あの若い人だった。いつのまにか、こっちを見ていた。言ってから、自分の口をばっと押さえた。


 「す、すみません! また言っちゃいました!」


 「……30?」


 フィーナさんが、ゆっくり言った。


 「12から? ひと晩で?」


 「うん! ひとりならひとりじめって、フィーナさんが教えてくれたから!」


 フィーナさんが、こめかみに指をあてた。


 「……教えたわね。教えたけど、行きなさいとは言ってないのよ」


 「えへへ」


 「ほめてないのよ」


 「ひと晩で18って、どういう計算ですか!? うちの帳簿だって、ひと晩でそんなに増えたことないですよ!」


 リーンちゃんが、ランプをぶんぶん振った。火が消えそうになって、あわてて止めた。


 シズちゃんの腕が、わたしからはなれた。


 見上げると、シズちゃんがわたしをじっと見下ろしていた。


 「……30」


 「うん、30!」


 「わたしと、同じ数だ」


 「そう! シズちゃんと、おそろい!」


 シズちゃんは、なにも言わなかった。


 黒い尻尾が、うしろで1回だけ、ぱたんと揺れた。揺れてから、ぴたっと止まった。


 「……追いつかれた」


 「えへへー」


 「でも、まだわたしのほうが強い」


 声が、きりっとした声にもどっていた。


 「えー! じゃあ、勝負しよう、勝負!」


 「しないの」


 フィーナさんが、わたしとシズちゃんのあいだに手を入れた。


 「急に上がった力は、すぐには体になじまないものよ。それで、木にぶつかったんでしょう」


 「なんでわかるの!?」


 「髪に、木の皮がついているもの。それも、あちこちに」


 わたしは、頭に手をやった。ぱらぱらと、茶色いかけらが落ちてきた。


 「……3回ぶつかった」


 「4回」


 「あと、根っこに1回と、枝に1回」


 「5回ね」


 フィーナさんの目が、少しだけ細くなった。それから、口の端がほんのちょっとだけ持ち上がった。


 「ほんとうに、あなたは……」


 その先は、言わなかった。



 「……熊か」


 低い声がした。


 ふりかえると、ガロウさんが立っていた。いつからいたのか、ぜんぜんわからなかった。


 ガロウさんは、袖のない腕とぎざぎざのすそを見て、それから鼻を少しだけ動かした。


 「森角熊! 投げた!」


 「……投げたか」


 戸のまわりに集まりはじめていた里の人たちが、ざわっとした。


 「森角熊を?」


 「ひとりで?」


 「この里でも、5人でかかる相手だぞ」


 ガロウさんの左目が、細くなった。


 しばらく、わたしを見ていた。


 「……そうか」


 それだけだった。でも、宴のときの「そうか」とは、ちょっとだけちがう「そうか」だった。


 「その服で、人の街へ行くつもりか」


 「人の街?」


 「商人の娘の、父のところへ行くのだろう」


 ガロウさんは、リーンちゃんのほうを見た。リーンちゃんの背すじが、ぴんとのびた。


 「俺も行く」


 また、しんとした。


 こんどは、里の人たちまでいっしょにしんとした。


 「父上が、ですか」


 シズちゃんだった。父上の前の、きりっとした声だった。


 「商いの話だ。話を持ちかけた頭が出向くのが、筋だ」


 ガロウさんは、それだけ言って、少しだけ間をあけた。


 「……それに」


 続きを待ったけれど、続きは来なかった。ガロウさんは、もう囲いの外のほうを見ていた。


 「と、統領さまが、うちに……!?」


 リーンちゃんの声が、ひっくり返った。


 「父が、腰を抜かします! やっと起きられるようになったばかりなのに、また寝こんじゃいます!」


 「寝こむのか」


 「たとえです!」


 わたしは、思わずふきだした。


 毛布のかたまりが、里の女の人の腕の中でもぞもぞ動いた。顔が出てきた。ルナちゃんだった。


 ルナちゃんは、半分だけあいた目で、わたしを上から下まで見た。


 「……はるか、ふく、ない」


 「ある! ちょっとはある!」


 「……ちょっと」


 ルナちゃんの言うことは、いつもほんとうだ。


   *


 発ったのは、その日のお昼だった。


 リーンちゃんの馬車が1台。御者台にリーンちゃん、荷台にわたしとシズちゃんとフィーナさん。そのとなりを、ガロウさんが歩いた。


 馬車に乗ればいいのに、と言ったら、「歩くほうが速い」と言われた。ほんとうに速かった。馬のほうが、ときどき小走りになっていた。


 わたしは、里の女の人が貸してくれた上着をはおっていた。白狼族の大人の上着だから、袖が手の先より長くて、すそはひざの下まであった。


 「ハルカ、袖を折って」


 「こう?」


 「ちがう。こう」


 シズちゃんが、わたしの袖を2回折ってくれた。折りながら、ちょっとだけ口の端が上がっていた。


 「シズちゃん、いま笑った?」


 「笑ってないもん」


 「笑った!」


 「袖が長すぎるから」


 「やっぱり笑ってる!」


 御者台のリーンちゃんは、さっきからずっと、ひとりでぶつぶつ言っていた。


 「まず、ガロウさまのお話がどれだけいい話かを話します。それから、お店を村に移したときの、もうけの見こみを話します。白狼族の薬草と毛皮は、いま街ではどこにも出回っていないので、うちだけが扱えるってことは……」


 指を1本ずつ折っている。


 折りすぎて、両手の指がぜんぶたたまれていた。


 「リーンちゃん、指、足りてないよ」


 「足りてないんです! 言いたいことが多すぎるんです!」


 リーンちゃんは、たたんだ両手をぱっと開いた。


 「でも、いちばん大事なのは、ひとつだけです」


 声が、少しだけ変わった。


 「わたし、絶対に父を説得します。絶対に、みんなのパーティに入ります」


 前を向いたまま、リーンちゃんは言った。


 「先生に、ギルドのこと教えてもらうんです。ハルカちゃんとシズさんのごはんを作るんです。リリーさんを迎えに行くところを、ちゃんと見るんです。宴の夜に、わたし、決めたんです」


 「……うん」


 「わたしは戦えないので、せめて、口では負けません」


 さらっと言った。笑ったまま言った。


 わたしは、その横顔を見ていた。


 わたしは戦えないので。


 リーンちゃんはそれを、いつもの早口のなかにぽんと1個だけまぜた。


 「リーンちゃん、ぜったい勝てるよ」


 「はい! 商人は、勝てる話しかしません!」


 フィーナさんが、荷台のうしろで小さく笑った。


 「……絶対、を2回も言う商人は、はじめて見たわ」


 「先生、それはほめ言葉ですか?」


 「少しだけね」


 夜を、いくつかこえた。


 道は、だんだん土から石に変わった。荷車がふえて、人がふえた。草のにおいの中に、ちがうにおいがまじりはじめた。


 干した葉っぱのにおい。煮た根っこのにおい。少しだけ、苦いにおい。


 リーンちゃんの荷台と、同じにおいだった。


 「ヴェルデです!」


 御者台で、リーンちゃんが声をはずませた。


 石の壁が、見えてきた。壁のむこうから、いくつも煙がのぼっていた。薬草の街。リーンちゃんの生まれた街だ。


 門の前に、槍を持った人たちがいた。


 槍の先が、ガロウさんを見て、ぴたっと止まった。


 門のまわりにいた人たちが、ざあっと道をあけた。荷車を引いていたおじさんが、荷をひっくりかえした。かごから、赤い実がころころ転がっていった。


 「は、白狼……!?」


 門番の人たちが、槍をかまえ直した。3人、4人、5人。どんどん集まってくる。


 ガロウさんは、止まらなかった。止まらないで、ただ歩いていた。


 だめ。このままじゃ、槍が。


 「おじさーん!」


 御者台から、リーンちゃんが手をぶんぶん振った。


 「わたしです、リーンです! 薬草屋のリーンです! この方は、うちのお客さまです!」


 いちばん前の門番の人が、目をぱちぱちさせた。


 「リーンちゃん……? お客さまって、おまえ、その方は」


 「白狼族の統領さまです! うちと、大きな取引をしに来てくださったんです! だからおじさん、槍をおろしてください。お客さまに槍を向けたら、うちの商売があがったりです!」


 リーンちゃんは、御者台から身を乗りだした。


 「それにおじさん、腰のほう、まだ痛いんでしょう。父の湿布、あとで届けますから。ね」


 門番の人の槍の先が、ゆっくりと下を向いた。


 「……リーンちゃんのとこの客なら」


 「ありがとうございます!」


 門が、あいた。


 わたしは、荷台の上で口をあけたまま、リーンちゃんの背中を見ていた。


 槍が、5本。それが、ほんの何回かのやりとりで、ぜんぶ下を向いた。


 「……リーンちゃん、すごい」


 「門番のおじさんは、腰が悪いんです。父の湿布のお得意さまなんです」


 リーンちゃんは、前を向いたまま、少しだけ得意そうに言った。


 ガロウさんが、ちらりとリーンちゃんを見た。


 なにも言わなかった。でも、その目は宴でわたしを見たときと同じくらい長かった。

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