第37話 ちょっとだけの腕試し
ちょっとだけ。
ほんとうに、ちょっとだけのつもりだった。
宴の火がぜんぶ小さくなって、里じゅうが寝息になったころ、わたしはそうっと毛布から抜けだした。
となりで、シズちゃんが丸くなって眠っていた。刀の書を、胸に抱えたままだった。
黒い耳が、ぺたんとたれている。寝ているときは、耳がたれる。ルナちゃんが前にそう言っていた。
ほんとうだった。
……すぐ帰ってくるからね。
声には出さないで、口の形だけで言った。
囲いの戸の前には、槍を持った人が立っている。だから、戸は使わない。
わたしは、囲いの丸太を見上げた。わたしの背の、2倍くらいある。
忍者なら、こういうのはのぼらない。跳ぶ。
ひざを曲げて、地面をけった。
ふわっ。
……あれ?
丸太のてっぺんが、足のずっと下にあった。里の屋根が、おもちゃみたいに小さく見えた。
跳びすぎた。
「わ、わ、わっ」
手足をばたばたさせながら、わたしは囲いのむこう側へ落ちていった。
草の上をごろごろ転がって、木の根っこにおでこをぶつけて、やっと止まった。
「……いったぁ」
でも、痛いのは一瞬だった。胸の奥がほんのりあったかくなって、そのあったかさが、おでこのほうへとろとろ流れていく。ゆっくり10を数えるあいだに、こぶはもうなくなっていた。
わたしは、草の上で大の字になったまま、夜空を見上げた。
星が、こぼれそうなくらいあった。
「……いまの、すごくなかった?」
だれも答えなかった。
答えなくていい。今夜は、ひとりなんだから。
ひとりなら、ひとりじめ。
フィーナさんが、そう言った。
わたしは、がばっと起き上がった。
*
森の中は、まっくらだった。
でも、見えた。木の幹も、根っこも、ぶらさがったつるも。月の光がほんの少し落ちているだけなのに、昼間みたいにはっきり見えた。
走ってみた。
びゅん、と耳のそばで風が鳴った。
木が、どんどんうしろへ飛んでいく。足の裏が地面をけるたびに、体がぐんぐん前へ出る。
わあ。
わあ、わあ、わあ!
はやい。わたし、はやい。
「あはははっ!」
声が、勝手に出た。止まらなかった。
足の裏が、ずっとむずむずしていたんだ。宴のあいだも、そのずっと前からも。それが、いま、ぜんぶ地面に出ていく。
前に、大きな木があった。
よけよう、と思った。
思ったときには、もう木が目の前だった。
どーん!
顔から、まっすぐぶつかった。
幹にはりついたまま、わたしはずるずるとすべり落ちた。根っこの上に、ぺたんとおしりがついた。
「……はやすぎる」
体は、すぐにあったかくなって、どこも痛くなくなった。
でも、左の肩のところが、すうすうした。見ると、左の袖が幹の皮にひっかかって、肩からちぎれかけていた。
……あ。わたし、服これしか持ってない。
まあいっか。あとで、考えよう。
わたしは立ち上がって、こんどは少しだけゆっくり走りだした。少しだけ、のつもりだった。
*
がさっ。
右の茂みが、大きく揺れた。
わたしは足を止めた。止まりきれなくて、3歩ぶん土をすべった。
茂みの中から、赤い目がふたつ、こっちを見ていた。
出てきたのは、猪だった。牙が、下から上へ太く曲がっている。背中の毛が、ぜんぶ針みたいにとがって、月の光でちかちか光っていた。
知ってる。
「針毛猪だ!」
シズちゃんが、前に教えてくれた名前だ。あのときシズちゃんは、すれちがいざまに、刀で1回切っただけで終わらせた。
わたしには、刀がない。
あるのは、この手と、この足だけだ。
猪が、前足で土をかいた。1回、2回。
来る。
どっ、と地面が鳴った。猪がまっすぐ突っこんできた。
目の奥で、線が見えた。猪が通るところが、光る線になって、わたしの胸のまんなかへのびている。
これが、見切り。
わたしは、その線の横へ、ひょいっと半歩ずれた。
猪が、わたしのすぐ横をすっ飛んでいった。風で、前髪がぶわっとあおられた。
猪は、むこうの木の手前でぐるんとふりかえった。
背中の針が、ぶわっと逆立った。
あ、これ。知ってる。
前に、熊と戦った日の朝。この針が飛んできて、線が数えきれなくなった。網みたいになって、すきまがどこにもなかった。
あのときは、シズちゃんがいた。
いまは、いない。
ぱしゅしゅしゅっ!
針が、いっぺんに飛んできた。
目の奥で、線がばあっと広がった。何十本も、何十本も。網になって、わたしの前をふさいでいく。
……あれ?
すきまが、あった。
網の下のほう、地面すれすれに、細いすきまが1本だけ。前は、見えなかったすきまだ。
わたしは、地面におなかをすべらせるように飛びこんだ。
頭の上を、針がひゅんひゅん抜けていった。服のすそに何本か刺さって、ぴぴっと布が裂けた。
すべって、すべって、猪の顔の真下まで来た。
猪が、びっくりした顔をした。猪にも、びっくりした顔ってあるんだ。
わたしは、曲がった牙を両手でつかんだ。
足を地面にふんばって、腰をひねった。
「よいっ……しょおっ!」
猪の体が、ふわっと浮いた。
わたしの頭の上で、大きな体が半分まわって、背中から地面に落ちた。どすん、と土が跳ねた。
猪は、足をばたばたさせて起き上がると、きゅうきゅう鳴きながら森の奥へ逃げていった。
ぽーん、と目の前に光の四角が浮かんだ。
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LV UP!
ハルカ LV12 → LV13
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「……上がった」
わたしは、光の四角を両手ではさみこむみたいにした。すかっと通り抜けた。
「上がったぁ!」
1匹で、1つ。シズちゃんといっしょのときは、これが半分こだったんだ。
ほんとうに、ひとりじめだ。
「あと17!」
声に出したら、また足の裏がむずむずした。
そのとき、うしろの茂みが、がさがさがさっと鳴った。
ふりかえると、赤い目が、ふたつずつ。ぜんぶで8つ。
さっきの猪の仲間だった。4匹ぶんの背中で、針がいっせいに逆立った。
……あ。これ、もしかして、仲間を呼びに行ってたの?
「ちょ、ちょっと待って! 4匹はずるくない!?」
待ってくれなかった。
4匹が、4方向からいっぺんに突っこんできた。
線が、4本。わたしのところで、ぜんぶ重なっている。
横には、逃げられない。うしろにも。
じゃあ、上だ。
わたしは、真上に跳んだ。
また跳びすぎた。こんどは、木の枝の高さまで来ていた。
足の下で、4匹の猪が、おたがいの顔にごつんごつんとぶつかった。
「あっ」
わたしは、目の前の枝をつかんだ。くるっと体をまわして、枝の上に立った。
下で、猪たちが目をまわしていた。2匹はそのまま横になって、残りの2匹がふらふら顔を上げた。
ここから、跳びおりて。
1匹めの背中に、両足でとんっと着地した。針の生えていない首の上だ。そこから、となりの1匹の牙をつかんで、ぐるんと投げた。投げた猪が、最後の1匹にぶつかって、2匹いっしょに転がった。
ぽーん。ぽーん。ぽーん。
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LV UP!
ハルカ LV13 → LV14
LV UP!
ハルカ LV14 → LV15
LV UP!
ハルカ LV15 → LV16
==========
光の四角が、ならんで浮かんでいた。
「わあ……」
四角に、わたしの顔が少しうつっていた。にやにやしていた。
体が、軽い。さっきより、もっと軽い。
手のひらをにぎって、開いた。指の先まで、力が通っている感じがする。木の枝を軽くつかんだら、みしっと音がしてびっくりした。
強くなってる。
数字だけじゃない。ほんとうに、わたしの中で、なにかが太くなっている。
「シズちゃんに見せたい……」
言ってから、首をぶんぶん振った。
だめだめ。見せたら、ひとりで来たのがばれる。
朝までに帰って、なんにもなかった顔で、毛布にもどる。それで、ちょっとずつ強くなったことにする。
うん。完ぺきな計画だ。
わたしは、また走りだした。
*
それから、どれくらい走ったんだろう。
猪をもう2匹投げて、LV18になった。
木には、あと2回ぶつかった。
1回めで右の袖がなくなって、2回めで背中に穴があいた。
「……はやすぎる」
これで、3回めの「はやすぎる」だ。
体のほうが、どんどん先に行ってしまう。強くなるたびに、わたしの頭が、わたしの足に置いていかれる。
わたしは、立ち止まって、まわりを見た。
木。木。木。
どっちを見ても、同じ木だった。
……あれ?
囲いって、どっちだっけ。
来た道をふりかえった。来た道なんて、なかった。めちゃくちゃに走って、めちゃくちゃに跳んで、めちゃくちゃにぶつかってきたんだから。
「……うん。わたし、ぜんぜんダメだ」
声に出したら、少しだけ笑えた。
笑ったところで、地面が揺れた。
ずん。
足の裏に、重たいものが来た。
ずん。
もう1回。こんどは、もっと近かった。
森が、急に静かになった。虫の声も、鳥の声も、ぴたっと止まった。
この静かさを、わたしは知っていた。
前にも、こうなった。来るものより先に、来るもののぶんの空気が、こっちへ来る。
木と木のあいだから、それが出てきた。
熊だった。
わたしの背の、3倍くらいある。額から左右に、白くて鋭い角が2本のびている。月の光が、その角の先で光った。
「……森角熊」
前にも、この熊と戦った。あのときは、シズちゃんとリーンちゃんがいた。リーンちゃんの鍋が飛んできて、やっと勝てた。
あの熊は、はじめ、わたしを見下ろして目をそらした。わたしなんか、相手にしなかった。
この熊は、わたしを見た。
目を、そらさなかった。
ぐるるる、と喉が鳴った。音じゃなくて、風みたいに来た。前髪が、ふわっとうしろへあおられた。
背中が、ひやっとした。
ここには、シズちゃんがいない。鍋も、飛んでこない。
……わたし、ひとりだ。
ひとりじめは、こういうことでもあったんだ。
熊が、うしろ足で立ち上がった。
大きい。空が、半分なくなった。
右の前足が、上がった。爪が、5本。どれも、わたしの指より長い。
線が見えた。
ななめ上から、わたしの肩へ。
わたしは、左へ跳んだ。
ごうっ。
さっきまでわたしがいたところを、爪が通った。地面がえぐれて、土と草がばらばらに飛んだ。風だけで、服のすそがびりっと裂けた。
次の線。左の前足。横から。
しゃがんだ。
頭の上を、爪がうなって抜けた。うしろの若い木が、まっぷたつになって倒れた。
……当たったら、あれになる。
次。また右。また左。
わたしは跳んで、しゃがんだ。ころがって、また跳んだ。線は見える。見えるから、よけられる。
でも、近づけない。
熊の腕は長くて、わたしの腕は短い。牙をつかんで投げた猪とは、ぜんぜんちがう。こんなに大きいのは、つかむところがない。
熊が、前足を地面についた。
頭を低くした。2本の角が、こっちを向いた。
線が、1本だけ見えた。
太い。まっすぐ。わたしの胸のまんなかへ。
来る。
どどどどっ、と熊が走りだした。
わたしは、横へ跳ぼうとした。
そのとき、かかとが木の根っこにひっかかった。
あ。
体が、うしろへかたむいた。
角が、目の前にあった。
……そのとき、まわりのぜんぶが、ゆっくりになった。
熊の足が、地面からはなれるのが見えた。角の先についた土のかけらが、1つずつ落ちていくのが見えた。わたしの髪が、目の前をふわあっと流れていった。
前の熊のときも、こうなった。毛の1本1本が、順番に倒れていくのが見えた。
……また、これ。
わたしは、ゆっくりの中で、自分の手を見た。手は、ちゃんと動いた。
熊の角に、両手をのばした。
つかむところが、あった。
角をつかんで、そのまま、体を上へ引き上げた。くるっとさかさまになって、熊の頭の上を、わたしの体が越えていく。
世界が、ふっともとのはやさにもどった。
熊は、わたしがいなくなったところを、まっすぐ突き抜けた。
その先に、大きな木があった。
ごしゃっ!!
2本の角が、幹に深く刺さった。木がぐらぐら揺れて、葉っぱがざあっと降ってきた。
熊が、首を振った。抜けない。もう1回振った。それでも抜けない。
……わたしと、同じことしてる。
「はやすぎると、そうなるよね!」
わたしは、熊の背中に着地した。
熊が、うおおっと吠えて、体ごと大きくゆすった。わたしはふり落とされないように、毛を両手でつかんだ。
抜けた。
角が、木からめりめりと抜けた。熊が、うしろ足で立ち上がった。わたしは背中にしがみついたまま、空の高さまで持ち上げられた。
熊が、自分の背中ごと、わたしを木にたたきつけようとした。
線が見えた。
わたしは、毛から手をはなした。
熊の背中が、わたしのいなくなった幹にぶつかった。どーん、と森じゅうが鳴った。
わたしは空中で体をまわして、熊の前に落ちていった。
熊の前足が、ちょうど地面につくところだった。
その足首を、つかんだ。
ひっぱった。
さっきまで、ぜんぜん動かせる気がしなかった。でも、いまの熊は木にぶつかったばかりで、足が1本しか地面についていなかった。
「よい……しょおおおっ!!」
熊の大きな体が、かたむいた。
かたむいて、かたむいて、そのままごろんと横に倒れた。
ずうううん。
地面が、さっきの足音よりずっと大きく揺れた。
熊は、しばらく倒れたままだった。それから、ゆっくり起き上がって、わたしをじっと見た。
わたしも、じっと見返した。
目は、そらさなかった。
熊のほうが、先に目をそらした。
前とちがって、こんどは、相手にしなかったんじゃなかった。のそのそと、森の奥へ帰っていった。うしろ姿の角に、木の皮がまだくっついていた。
ぽーん。
ぽーん、ぽーん、ぽーん。
ぽーん、ぽーん。
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LV UP!
ハルカ LV18 → LV19
LV UP!
ハルカ LV19 → LV20
LV UP!
ハルカ LV20 → LV21
LV UP!
ハルカ LV21 → LV22
LV UP!
ハルカ LV22 → LV23
LV UP!
ハルカ LV23 → LV24
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光の四角が、ぽんぽん出てきて、わたしのまわりをぐるっとかこんだ。
まるで、光の囲いだった。
「……やった」
ひざが、かくんと折れた。わたしは、その場にしりもちをついた。
「やったああああ!!」
森じゅうに、わたしの声がひびいた。どこかで、鳥がばさばさっと飛び立った。
たのしい。
たのしい、たのしい、たのしい!
こわかった。ほんとうに、こわかった。角が目の前にあったとき、背中がまっ白になった。
なのにいまは、胸のまんなかがぽかぽかで、笑いが止まらない。
自分の足で走って、自分の手でつかんで、自分の力で投げた。
それが、こんなに、うれしい。
なんでだろう。
わかんないけど、うれしい。
わたしは、ぼろぼろの袖のない腕で、涙が出るくらい笑った。




