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転生少女と黒狼姫 〜女神に選ばれた少女と、掟破りの狼族戦士〜  作者: 白川雫


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第34話 囲いの外

 3日目の朝に、松林を抜けた。抜けたところが、谷だった。


 谷が、まるごと白かった。


 霧だ。ゆっくり、川みたいに東のほうへ流れていく。木のてっぺんだけが、そこから出ていた。


 その上を、鳥が2羽わたっていった。


 「……わあ」


 声が、勝手に出た。


 「ひろい!」


 「……くも」


 幌の中から、ルナちゃんが言った。フィーナさんが、その背中を起こして、外が見えるようにしてくれていた。


 「くもの、うえ」


 「そうだ! くものうえだ!」


 わたしは、荷台の上でちょっと跳ねた。


 「落ちたら、下まで長いですよ」


 フィーナさんだった。


 「えっ」


 「冗談です」


 ……この人、冗談言うんだ。


 「下を歩くと、なにも見えないんです。上から見ると、こうなっていたんですね」


 フィーナさんは、そう言って、谷をしばらく見ていた。


 「……たのしそう」


 ルナちゃんが言った。わたしのことなのか、フィーナさんのことなのかは、わからなかった。


 うん。こわいこともいっぱいあるのに、こういうのを見ると、やっぱりたのしい。


 谷を下りはじめてから、フィーナさんは、うしろを見るようになった。


 うしろの、北のほうだった。いちどだけじゃなかった。


 「フィーナさん、なに見てるの?」


 「……丘のほうです」


 あの丘の洞窟に、まだ23人いる。


 「迎えに来ます、と言いました。いつ、とは言いませんでした」


 「……言えなかったの?」


 「次に来たときでいい、と思ったことが、1度あります」


 「……リリーさんのとき?」


 「ええ」


 フィーナさんは、それ以上言わなかった。


 洞窟を出るとき、わたしは暗いほうへ「またくるね」と言った。馬車が走りだしてからも、丘が見えなくなる前に、届かない声でもういちど言った。


 「じゃあ、いっしょに言いにいこうよ」


 フィーナさんが、こっちを見た。


 「わたしも、またくるねって言ったもん。ふたりで言ったら、2ばい守らなきゃいけなくなるでしょ」


 「……ハルカさんは、ときどき、とんでもない数え方をしますね」


 「とんでもなくないよ!」


 「ハルカ」


 うしろの端から、シズちゃんが言った。


 「わたしも数に入れろ、と言え」


 「……じぶんで言いなよ」


 「言っている」


 前、向いてないけど。……うん。ぎりぎり、言ってることにしてあげる。


 「……ルナも」


 毛布の中から、小さい声がした。


 「フィーナ、ひとりで行かせない」


 フィーナさんの手が、ひざの上で止まった。


 「馬車も要りますよね」


 リーンちゃんだった。


 「23人は、うちの馬車がないと運べません。それに、2人のほうが早いって、わたし言いましたよね。5人なら、もっと早いです。商売の計算です」


 フィーナさんは、しばらくなにも言わなかった。


 「……5人、ですか」


 「5人!」


 わたしは、指を5本立てた。


 フィーナさんは、その指を見て、それから前を向いた。


 「……荷が、ずいぶん軽くなりそうですね」


 声が、ほんの少しだけ笑っていた。


 6年、この人はひとりで運んできた。


 その端っこを、いま、5人で持っている。


   *


 3日目の昼すぎに、囲いが見えた。


 思っていたのと、ちがった。石じゃなくて、木だった。


 太い丸太を並べて立ててある。わたしの背の2つぶんくらい。


 その手前に、井戸がひとつあった。


 囲いの、外だ。


 「止めてください」


 馬車は井戸のずっと手前で止まった。


 「ここから先は、歩きます」


 わたしは、ルナちゃんを背負い直した。雇われた4人は、下りてこなかった。


 歩きだして、いくらも行かないうちに囲いの上でなにかが動いた。


 槍だった。


 1本や2本じゃない。数えようとして、やめた。20は、ある。


 丸太のあいだからいっせいに出て、左右に開いて、道をふさいで、ぜんぶこっちを向いた。


 わたしの、髪のほうへ。


 青いんだ。この髪は、この世界でたぶんわたししか持っていない。


 「人間族の女だ」


 「青い髪だ」


 「……あの女だ!」


 声は、若かった。


 いちばん近い穂先が、ふるえていた。言い聞かされてきたことを、目の前でほんとうにしなきゃいけない顔だった。


 わたしのことを、この里は半月さがしていた。ルナちゃんをさらった人間の女として。


 この人たちのせいじゃない。そう聞かされただけだ。


 わたしは、動かなかった。前へも、うしろへも。


 逃げなかったんじゃない。逃げたら、背中の子がゆれる。それだけだ。


 「うごかないでね、ルナちゃん」


 「……はるか」


 「へいき。わたし、レベル12だから」


 ……うん。ぜんぜん、へいきな声じゃなかった。


 横で、リーンちゃんがまた早口になりはじめた。


 「あの、こういうときは、先に名乗るんです。名前と、どこから来たかと、用件と。父が、そう言っていました」


 「ええと、リーンです。ヴェルデから来ました。薬草を売っている家の娘で、荷は食べものと、布と、それだけで」


 「手も、ほら、空けています。だから、その、たぶん、こうしていれば、いきなりということには、ならないはずで、ええと」


 「……リーン。息を、しろ」


 シズちゃんが言った。


 「……すみません」


 「知っている」


   *


 シズちゃんが、わたしの半歩ぶん前に出た。それだけで、槍の穂先がいっせいにそっちへ動いた。


 「シズだ」


 里の空気が、変わった。


 「ガロウ・ザンの娘のシズだ」


 槍が、止まった。


 止まって、下がらなかった。


 囲いのむこうで、ざわざわと音が広がっていった。


 「……シズ様だ」


 「里を出た、シズ様だ」


 わたしは、そのときはじめてわかった。


 シズちゃんは、この里を捨てて出たんだ。掟をやぶって、半月歩いてきたんだ。


 そのシズちゃんが、いま自分から囲いの前に立って、まっさきに自分の名前を言った。


 囲いの内で、だれかが走りだした。


 「統領を呼べ!」


 足音が、遠くなっていく。


 そのあいだ、シズちゃんは動かなかった。


 こっちを向いたままの槍のまん前で、まばたきもしないで立っていた。


 立っているだけなのに、いちばん大変なことをしているのが、横にいるとわかった。


 丸太のあいだに白い髪が見えた。ひとりじゃなかった。3人、4人と、走ってくる。


 囲いのところで、止まった。内側から出てはこなかった。


 丸太のあいだに、戸がひとつある。だれも、そこに手をかけなかった。


 統領が来るまでは、開けられないんだと思った。


 かわりに、丸太のすきまから、手だけが何本も出てきた。


 「ルナ」


 「ルナ」


 「……ルナ!」


 わたしは、しゃがんだ。


 ルナちゃんが背中から下りて、そのまま地面に座った。歩けないから、そこまでだった。


 手は、届かなかった。


 届かないまま、ずっと、そこにあった。


   *


 地面が、鳴った。


 ドン、と。


 わたしは、その音を知っていた。


 囲いのむこうの人垣が、割れた。あの戸が、内側から開いた。


 出てきた。


 大きい。ほかの戦士より、頭ひとつぶん大きい。灰色の長い髪。右目に古い傷がひとすじあって、いまも閉じたままだ。


 ガロウさん。


 白狼族の、統領。


 あの朝、この人はわたしを殺すつもりだった。


 ガロウさんは、敷居の内側に立った。そこから先へは、出てこなかった。


 わたしは、身をかたくした。こんどこそ、わたしのほうを見る。そう思った。


 ちがった。


 その左目はわたしを通りこして、シズちゃんのところで止まった。


 長かった。ずいぶん、長かった。


 上から下まで、ゆっくり見た。


 こけた頬を見た。まめのつぶれた手を見た。それから、うしろへ落ちきったままの黒い耳を見た。


 この人も、たぶん見ただけでわかったんだと思う。


 なにも、言わなかった。


 名前も、呼ばなかった。


 抱きしめもしなかった。


 里の人が囲いの内から何十人も見ていた。その前で、里を出たことも、掟のことも、ひとことも。


 かわりに、その人は自分の羽織に手をかけた。


 肩から外して、敷居のむこうへ手を伸ばした。


 シズちゃんの肩に、かけた。


 シズちゃんは、動かなかった。


 肩を、ほんの少しだけうしろへ引いた。


 羽織がすべって、地面に落ちた。


 囲いの内から、息をのむ音がした。


 わたしは、なにも言えなかった。


 シズちゃんは、この里を捨てて出た人だ。もらっちゃいけないと思ってるんだ。


 ガロウさんは、なにも言わなかった。


 敷居をまたがずに、腰を折って、それを拾った。


 土を、はらった。


 もういちど、かけた。


 こんどは、落ちなかった。


 シズちゃんの手が、その裾を少しだけ握っていた。


 黒い耳が、音もなく伏せた。


 顔は、上げなかった。


   *


 それから、その左目が地面に座っている子のほうへ動いた。


 やせた腕。動かない足。服の上に残っている赤い線。


 1本じゃない。3本、ある。


 ガロウさんの手が、いちど握られた。開いたときには、もうなんでもない手に戻っていた。


 「ルナを、連れて帰りました」


 シズちゃんが言った。


 「連れていったのは、この子ではありません」


 声は、低かった。震えてもいなかった。


 ……この子、って、わたしのことだ。


 あの人たちは「人間族の女だ」と言った。シズちゃんは、そう言わなかった。


 「教団という者たちです」


 「その者たちが何者かは、わたしも詳しくは知りません」


 「知っているのは、名と、あの丘のことだけです」


 ガロウさんは、なにも言わなかった。


 「この2人が、助けてくれました」


 シズちゃんが、わたしのほうへ手を向けた。それから、うしろに立っているフィーナさんのほうへ。


 手は、まっすぐだった。


 顔だけが、そっちを向かなかった。


 わたしは、身がまえていた。


 うそだと言われると思った。証拠を出せと言われると思った。


 ひとつも、言われなかった。


 ガロウさんは、シズちゃんを見ていた。


 それから、地面に座っている子をもういちど見た。


 ……そっか。


 連れて帰ってきた人が、そう言ってるんだ。


 この人には、それしかないんだ。


   *


 「あの丘の地下に、まだ23人います」


 シズちゃんが言った。


 「手を貸してください」


 囲いの内が、静かになった。シズちゃんが名前を言ったときの、あのざわざわが、もうどこにもなかった。


 「……北の丘か」


 だれかが言った。


 「あの丘に、里の者を入れるのか」


 だれも、答えなかった。


 わたしは、そこではじめて気がついた。


 あそこは、この人たちにとっても行きたくない場所なんだ。


 シズちゃんは、そこへ行ってくれと頼んでいる。


 声は、さっきからぜんぜん変わらなかった。


 うしろで、リーンちゃんの声がした。


 「馬車が、3台あります。乗せられます。……でも、下ろすのは、うちの人数だと」


 ガロウさんの左目が、いちど細くなった。


 「……人数は」


 「23人です」


 「……27人、いました」


 フィーナさんだった。


 それだけ言って、黙った。


 ガロウさんは、聞き返さなかった。


 わたしは、指を折りかけた。23と、27。


 折りかけて、やめた。手をうしろにまわした。


 「下ろせ」


 ガロウさんが言った。


 1語だった。


 槍が、いっせいに下りた。音をそろえて。


 だれも、なにも言わなかった。


   *


 ガロウさんが、囲いの内をふり返った。


 「聞け」


 低い声だった。井戸のところまで届いた。


 「この者は、ルナを連れ帰った」


 「追ったのは、俺の誤りだ」


 囲いの内が、しんとした。


 それから、ガロウさんはこっちを向いた。


 「ハルカ、と言ったな」


 「……うん」


 「すまなかった」


 頭が、下がった。深くはなかった。でも、下がった。


 囲いの内で、何十人ぶんの息が止まった。


 里の人たちは、わたしのほうを見なかった。見ないようにしている顔だった。


 ……うん。あやまってほしいわけじゃ、なかった。


 なかったけど。


 この人は、わたしのためだけに言ったんじゃない。半月この髪をさがしていた人たちの前で、言ったんだ。


 「……もう、いいよ」


 言った、そのときだった。


 「……よくありません」


 シズちゃんだった。さっきより、ずっと低い声だった。


 シズちゃんが、ガロウさんのほうへ体を向けた。顔も、向けた。


 この人は、人の顔を見られない。馬車の上では、フィーナさんに一言も言えなかった。


 その人が、いま、見ている。


 「父上」


 「ハルカと、レスフィーナがいなければ、ルナは助かりませんでした」


 「ハルカは、会ったばかりのルナを背負って歩きました」


 「自分の食べる物を、ルナに渡していました」


 「その背に、里は槍を向けました」


 「20本、数えました」


 一語ずつだった。置いていくみたいな言い方だった。


 「あと少し遅ければ、ハルカは死んでいました」


 「わたしの、友です」


 「あってはならぬことです」


 羽織の裾を、シズちゃんの手が握っていた。


 ガロウさんは、言い返さなかった。


 それから、その左目が動いて、わたしのところで止まった。


 はじめてだった。この人は、囲いから出てきてから、いちどもわたしを見ていない。


 「ハルカ」


 「は、はい」


 「……娘の友を、殺しかけた」


 「二度はない」


 「改めて、詫びと礼を言う機会をくれ」


 「……頼む」


 頭は、もう下げなかった。かわりに、目をそらさなかった。


 「囲いの内へ入ってくれ。おまえも、連れの2人もだ」


 囲いの内が、ざわりと揺れた。


 「……よその者を、内へ?」


 だれかが、小さい声で言った。


 よその者は内に入れない里なんだって、フィーナさんが言っていた。


 ガロウさんは、ふり返らなかった。


 「俺が決めたことだ」


 それだけで、ざわざわが消えた。


 「……わたし、入っていいの?」


 「いい」


 「わ、わたしもですか!?」


 うしろで、リーンちゃんが声を裏返した。


 「馬車を貸してくれる者を、外に立たせておくわけにはいかん」


 「あ……ありがとうございます!」


 リーンちゃんは頭を下げて、下げた勢いで、ちょっとよろけた。


 フィーナさんは、なにも言わなかった。うしろに立ったまま、少しだけ目を伏せていた。


 ガロウさんの左目が、そっちへ動いた。


 動いて、少しのあいだ止まった。


 なにか言うのかと思った。言わなかった。


 シズちゃんの目が、すっと下りた。言うことを言い終わったら、また見られなくなったんだ。


 わたしは、その袖を引いた。


 「シズちゃん」


 「もう、いいよ」


 こんどは、ガロウさんにじゃなくて、シズちゃんに言った。


 うれしいのとは、ちがうものが先に来た。


 わたしのために、この人は帰ってきたばかりの里で父親にああ言ったんだ。


 黒い耳が、ゆっくりうしろへ伏せた。


 半月あまり、わたしはこの里から追われていた。


 それが、いま、終わった。


 終わったんだけど。


 わたしは、しゃがんでルナちゃんの顔を下からのぞきこんだ。


 「ルナちゃん」


 「……なに」


 「おうちに、着いたよ」


 ルナちゃんが、まばたきをした。


 それから、囲いのほうを見た。たくさんの手のほうを。


 右の耳だけがぴくりと動いた。左は、寝たままだった。


 口の端が、ほんの少し持ち上がった。持ち上げるのにまだ力がいるみたいだった。


 わたしは、鼻の頭をこすった。


 ……こっちだ。


 うれしいのは、ぜったい、こっちのほうだ。


   *


 戸が、大きく開いた。


 里の女の人たちが出てきて、ルナちゃんを内へ運んでいった。


 シズちゃんも、呼ばれた。


 リーンちゃんが、そのあとを追いかけていった。


 「薬草のことなら、わたしにもわかりますから!」


 わたしも、行こうとした。


 一歩めで、足が止まった。


 うしろの足音が、戸とはちがうほうへ行った。


 フィーナさんだった。ひとりで、井戸のほうへ歩いていく。


 わたしは、戸に背中を向けて、そっちへ行った。


 フィーナさんは、井戸のところで止まった。


 井戸の縁に手を置いて、すぐ離した。


 「フィーナさん」


 「……ええ」


 「入らないの?」


 「……ここで、けっこうです」


 それ、馬車の夜にも聞いた。


 「じゃあわたし、のどかわいたから、ここにいる」


 「そうですか」


 桶が縁のところに置いてあった。持ってみたら、ずいぶん軽かった。


 わたしは、水を汲んだ。


 縄が思ったよりずっと長かった。桶が水に当たる音は、ずいぶんしてから聞こえた。


 汲みあげるあいだ、フィーナさんは囲いのほうを見ていた。


 この人は、6年前もここに立っていた。その先へは、いちども入っていない。


 いまは、入っていいと言われたのに。それでも、ここに立っている。


 ……あ。


 いま、わたし、この人とおんなじところに立ってるんだ。


 なんだか、うれしくなった。


 うれしがるところじゃ、ないんだけど。


   *


 うしろで、またざわめきが起きた。


 さっきのとは、ちがう種類のざわめきだった。


 振り返った。


 ガロウさんが、囲いの外へ歩いて出てきていた。


 里の人たちが内側から見ていた。だれも、ついてこなかった。ついてこないというより、足が動かない顔だった。


 意味はわからなかったけど、これはめったにないことなんだろうな、とは思った。


 ガロウさんは、井戸のところまで来て足を止めた。


 フィーナさんの、正面だった。


 それから、名前を呼んだ。


 「……レスフィーナか」


 わたしは、桶を持ったまま動けなくなった。

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