↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生少女と黒狼姫 〜女神に選ばれた少女と、掟破りの狼族戦士〜  作者: 白川雫


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
29/43

第29話 受け取らない

 「……ただいま」


 声は、細かった。


 息の半分も乗っていない声だった。


 それでも、わたしの耳は、その4文字をぜんぶ拾った。


   *


 天井から、パラ、と粉が落ちた。


 もう崩れる音ではなかった。落ちるものが、落ちきったあとの音だ。


 割れ目から、外の風が入ってきていた。ゴウ、と低く鳴って、部屋の灯りをいっせいに寝かせて、また起こした。


 冷たかった。


 冷たいのが、ありがたかった。


   *


 ルナの目が、ゆっくりと動いた。


 わたしの顔から、ハルカの顔へ。


 それから、もう少し遠くへ。


 そこで、止まった。


   *


 少し離れたところに、あの女がいた。


 顔をおおっていた手は、もう下りている。ひざは、ついたままだ。この人はこの部屋に入ってから、いちども立っていない。


 ルナと目が合って、その肩が、はねた。


   *


 「……フィーナ」


 ルナが言った。


 あの女は、なにも返さなかった。


 口が動いた。声にならなかった。


   *


 ルナの手が、動いた。


 わたしが握っているほうではない。反対の手だ。


 持ち上がって、途中で落ちて、それから、また持ち上がった。


 あの女のほうへ、伸びていた。


   *


 届く距離ではなかった。


 あの女は、動かなかった。


   *


 「……フィーナ」


 ルナが、もういちど呼んだ。


 「……こっち」


   *


 ひざが、床をこすった。


 ずる、と短く鳴って、それだけだった。


 1歩ぶんだ。


 1歩ぶん進むのに、この人はずいぶん長いこと迷っていた。


   *


 わたしは、なにも言わなかった。


 言う言葉がなかったのではない。半月ぶん、頭のなかに積んである。


 いま出す場所ではないと、体のほうが先に分かっていた。


   *


 あの女の手が、ルナの手に触れた。


 触れて、すぐ引きかけて、ルナのほうが握った。


 握るというほどの力ではなかった。指が3本、上に乗っただけだ。


 それで、あの女の指が止まった。


   *


 「やくそく」


 ルナが言った。


 「まもれなくて」


 息を、いちどためた。


 「……ごめんなさい」


   *


 わたしは、目を伏せた。


 この子は、いま謝った。


 自分をさらった相手に、約束を守れなかったと謝った。


   *


 この子は、そういう子だ。


 転んだのが自分の足のせいでも、まず、ぶつかった相手に謝る。


 わたしは何度もやめさせようとした。やめなかった。


   *


 あの女の顔が、崩れた。


 この部屋で、2度目だった。


 声は出さない。この人は、こういうときに音を立てない。


   *


 「……いいのよ」


 やっと出たのが、それだった。


 「いいの、ルナ」


   *


 「おこってない?」


 「おこってないわ」


 「……ほんとう?」


 「ほんとうよ」


   *


 平らな声だった。


 この部屋でずっと聞いてきた、あの平らさだった。


 わたしはこの平らさを、何度も殴った。殴っても当たらなかった。


   *


 いま、はじめて分かった。


 この人は、平らにしないと、話せないのだ。


   *


 「……よかった」


 ルナが言って、目を閉じた。


 閉じたきり、しばらく開かなかった。


   *


 「……ねてるだけだよ」


 ハルカが小さい声で言った。


 「たぶん、ねてるだけ」


 「……ああ」


   *


 部屋が、静かになった。


 白い体が、床に横たわっている。もう息をしていない。灯りの届かないところに、大きな影だけが残っていた。


 わたしは、そちらを見ないようにしていた。


 見れば、この手が3度入れたところが見える。


   *


 ぱき、と灯りの油が鳴った。


   *


 ハルカが、立ち上がった。


 立ち上がって、2歩あるいて、そこで止まった。


 止まってから、あの女のほうへ向き直った。


   *


 「フィーナさん」


 あの女が、顔を上げた。


   *


 「あのね」


 ハルカの声だった。


 「わたし、さっき、言おうとしたことがあるの」


   *


 わたしは、顔を上げた。


 この子が言いかけて、やめたのを、わたしは覚えている。


 覚えていて、なにも聞かなかった。


   *


 「言えなかったんだ」


 ハルカは、まっすぐ立っていた。


 「シズちゃんの背中が、こわかったから」


   *


 背中を、見られていた。


   *


 「村の外で、地面の下に、かくれてた人たちがいたの」


 「7人が、順番にしゃべった」


   *


 部屋の空気が、動いた。


 わたしのほうではない。あの女のほうだ。


 息が、いちど止まったのが分かった。


   *


 「ひとりが言って、つぎの人が足して、そのつぎの人が足して」


 「7人ぶん聞いて、やっとひとつの話になった」


   *


 「みんな、あなたの話をしてた」


   *


 あの女の肩が、また、はねた。


   *


 「おばあさんは、手を合わせてた」


 「男の人は、おりを開けたのはあの人ですって言った」


   *


 ハルカの声が、少しずつ大きくなっていく。


 泣いている声ではなかった。この子は、いま泣いていない。


   *


 「男の子のおかあさんが言ったの」


 ハルカが、そこでいちど息を吸った。


 「迎えに来てくれました、って」


   *


 わたしの耳が、ぱたん、と伏せた。


 自分で伏せたのではない。


   *


 「7人いて、ひとりも」


 ハルカが言った。


 「あなたのことを、わるく言う人が、いなかった」


   *


 あの女は、なにも言わなかった。


 言えないのだと、いまなら分かる。


   *


 「これを、言いたかったの」


 ハルカが、鼻をすすった。


 「ずっと、口のなかにあった」


   *


 わたしは、床を見ていた。


 この子は、これを持ったまま、あの部屋にいたのだ。


 わたしが刀を上げているあいだも。わたしが17日ぶんを投げつけているあいだも。


 言えば、わたしの背中に刺さると分かっていたから、飲みこんでいた。


   *


 13の女が、17の女に守られていた。


   *


 わたしは、立った。


 ひざが笑った。かまわなかった。


 落ちたままの刀のところまで歩いて、拾って、鞘に収めた。


 カラン、と鳴りかけたのを、手で押さえた。


   *


 この部屋で、この音を3度鳴らした。


 3度とも、意味がちがった。


 4度目は、鳴らさないことにした。


   *


 あの女のところまで戻って、その前にひざをついた。


   *


 あの女が、はじめて動揺した顔をした。


 この人が斬られるのを待っていたときより、はっきり動いた。


   *


 「話せ」


 わたしは言った。


 「はじめから、ぜんぶだ」


   *


 「……あなたは」


 「怒っている」


 言葉をかぶせた。


 「怒っている。まだ、収まっていない。お前を見るたび、この手が柄をさがす」


   *


 息を継いだ。


   *


 「だが、わたしはお前の話をいちども聞いていない」


 「聞かずに、投げた」


   *


 「聞いても、たぶん、まだ許さない」


 わたしは言った。


 「それでも、聞く」


   *


 あの女が、わたしの顔を見た。


 この部屋に入ってから、2度目だった。


   *


 あの女は、しばらく黙っていた。


 それから、ひざの上で両手をそろえた。


 里の長老衆が、罪を数え上げられる前に、そうする形だった。


   *


 「わたしは、リリーという人を探していたの」


 最初の1行が、それだった。


   *


 わたしは、その名を聞き返さなかった。


   *


 聞き返せば、そこから長くなる。


 この人は、長い話を短くして出す人だ。短くしたものから先に、ぜんぶ受け取らなければならない。


   *


 「6年、探したわ」


 「……届いていないの」


   *


 6年を、この人はいま、2行で言った。


   *


 「その人を、教団が連れていったのよ」


   *


 教団、という言葉を、わたしはこの旅ではじめて聞いた。


 村を空にしたものに、名前があった。


   *


 「わたしは、顔を変えて、そこへ入ったわ」


 「中に入るためではないの。外へ出るためよ」


 「6年、中にいたの」


 いま目の前にある顔も、その顔だ。


   *


 「なにを、していた」


 「魂を呼ぶ術よ」


   *


 「その人の体は、どこにある」


   *


 「この建物の、いちばん下にあるわ」


   *


 わたしの鼻が、勝手に動いた。


   *


 村の道の下にあった、あの冷たい匂いのほうだ。


   *


 ちがう気がした。


   *


 人ひとりの匂いではない。あれは、そういう大きさではなかった。


   *


 聞かなかった。


 いま聞けば、この人の話が、そこで止まる。


   *


 「術は、血で動くのよ」


 あの女が言った。


   *


 わたしの背中に、なにかが走った。


   *


 雨のあとの、金物みたいな匂い。


 村の道の真ん中で、いちばん濃かったもの。


 北へ行って、いちども戻らなかったもの。


   *


 「お前の血か」


   *


 あの女が、顔を上げた。


   *


 「……分かるの」


 「匂う」


   *


 あの女は、それきり黙った。


   *


 黙ったところに、なにかが入っていた。


   *


 わたしは、それを開けなかった。


   *


 「17日前に、指示書を見たの」


   *


 「ルナ。白狼族。11歳」


 「その3つが、並んで書いてあったわ」


   *


 「わたしは、教団を出たの」


 「戻るつもりは、なかったわ」


 「その足で走ったわ」


 「……間に合わなかったの」


 「着いたときには、あの子は囲まれていたわ」


 「悲鳴が、聞こえたの」


   *


 わたしの喉が、鳴った。


 あの夜、風に乗って届いた声だ。


 あれは、この人が上げさせた声ではなかった。


   *


 「斬ってはいないわ。目を、ずらしただけよ」


 「あの人たちは、いない子のほうへ走っていったわ」


 「そのあいだに、あの子を抱えて出たの」


   *


 闇に消えていく人影を、わたしは見た。


 背に、白いものを担いでいた。


 あれが、この人だ。


   *


 わたしは、あれを見て、さらわれたと思った。


 半月、そう思ったまま歩いた。


 わたしが追いかけていた背中は、あの子を抱えて、逃げていた背中だった。


   *


 「そのあと、追われたわ」


 「鼻のいい子だったの」


 「目をずらして、脚に力を足して、まいたわ」


   *


 あれは、わたしだ。


 あの夜、わたしはあの背中を追った。


 追って、鼻の先で消えられた。


 自分がなにに負けたのかも知らずに、わたしは17日その匂いを追った。


   *


 「隠れ家で、あの子が目を覚ましたわ」


 「わたしを見て、フィーナ、と呼んだの」


   *


 わたしは、顔を上げた。


   *


 「……会ったことが、あったのか」


 「いちどもないわ」


 「リリーが、話していたのでしょうね」


   *


 あの女が、そこで少し黙った。


 「右の耳だけ、よく動く子だと聞いていたわ」


 「ほんとうに、右だけだったの」


   *


 それを言うとき、この人の声から、平らさが1枚はがれた。


   *


 「6年、そこにいたのだろう」


 「ええ」


 「リリーのために、6年だろう」


 「ええ」


   *


 「それを、捨てたのか」


   *


 「紙に、名前があったのよ」


 「リリーが、毎日呼んでいた名前だったわ」


   *


 部屋の火が、ぱち、と鳴った。


   *


 人をさらう者は、笑うか、逃げるか、言い訳をする。


 半月、わたしはそう思って歩いてきた。


   *


 目の前の人は、会ったこともない子の名前ひとつで、6年を床に置いた。


 置いたことを、痛いとも惜しいとも言わなかった。


   *


 「それから、あの子とは」


 口に出してから、答えを聞きたくないと思った。


   *


 「17日よ」


   *


 「わたしがあの子を連れ出してから、17日」


 「それだけしか、いっしょにいないわ」


   *


 わたしは、動けなかった。


   *


 17日。


   *


 わたしが数えていたのと、おなじ数だ。


 朝が来るたびに、ひとつ足していた数だ。


   *


 わたしの17日は、追いかけた日数だった。


 この人の17日は、いっしょにいられた日数だった。


   *


 おなじ数が、2人のあいだで、逆を向いていた。


   *


 「ごめんなさい、と言うつもりはないわ」


 顔は、上げていた。


   *


 「言って、済むことじゃないもの」


   *


 わたしは、うなずかなかった。


 うなずけば、それを認めたことになる。


   *


 だが、この人が謝らない理由がいま、わたしには分かった。


 謝れるほど軽くないから、謝らない。


   *


 わたしと、おなじだ。


   *


 わたしは、立った。


 立って、2歩さがって、それから、もういちどその前に立った。


   *


 「ひとつ、言い忘れていた」


   *


 「村の外で、7人に会った」


 「あそこで、わたしは頭を下げた」


   *


 あの女が、まばたきをした。


   *


 「そのとき、こう言った」


   *


 喉が、いちど狭くなった。


 通した。


   *


 「その人に、礼を、言いたい」


   *


 「……礼を言う」


 わたしは言った。


 「あの人たちを、逃がしたそうだな」


   *


 あの女の顔から、なにかが引いた。


   *


 崩れたのではない。逆だ。


 いままで出ていたものが、いっぺんに引っこんだ。


   *


 ひゅう、と割れ目が鳴った。


   *


 「……その礼は、受け取れないわ」


   *


 「なぜだ」


   *


 答えは、来なかった。


   *


 「なぜだ、と聞いている」


   *


 あの女は、床を見た。


   *


 この部屋で、この人はいちども言い訳をしなかった。聞けば、必ず答えた。


 6年のことも、17日のことも、自分の血のことも、ぜんぶその口から出した。


   *


 いま、はじめて、出てこない。


   *


 「……ごめんなさい」


   *


 その6文字だけが、来た。


   *


 わたしは、目を見開いた。


   *


 さっき、この人は言った。ごめんなさいと言うつもりはない、と。


   *


 言わないと言った言葉が、礼のところで出てきた。


   *


 順番が、逆だ。


   *


 「お前は」


 声が、うまく出なかった。


   *


 「わたしが怒鳴っているあいだ、いちども謝らなかった」


   *


 「刀を向けても、謝らなかった」


   *


 「礼を言われて、謝るのか」


   *


 あの女は、答えなかった。


   *


 ひざの上の手が、握られていた。


 指の関節が、白くなるほど。


   *


 わたしは、そこに立っていた。


   *


 半月、わたしはこの人を分かりやすくしようとしてきた。


 悪人だと決めれば、簡単だった。


   *


 今日、話を聞いた。


 聞けば、分かると思っていた。


   *


 分からなくなった。


   *


 この人には、まだ、こちらに見せていない面がある。


   *


 見せていないのではない。


   *


 見られたくないのだ。


   *


 「受け取れ」


 わたしは言った。


   *


 「わたしが、言いたかっただけだ」


   *


 あの女は、頭を下げた。


 ひざについた手のあいだに、額がついた。


   *


 それでも、なぜ受け取れないのかは、言わなかった。


   *


 「言っておく」


 わたしは言った。


 「わたしは、まだお前を許していない」


   *


 「ええ」


   *


 2度目だった。


 この部屋で、おなじことを2度言った。


   *


 1度目は、そのあとに「許せる気もしない」と続けた。


   *


 いまは、続けなかった。


   *


 続けられなかった、と言うほうが近い。


   *


 わたしは、左の胸の奥に手を当てた。


   *


 あの夜からずっとそこにあったものが、まだ薄いままだった。


   *


 消えてはいない。


 消えてはいないが、次があるとは、わたしはまだ思えなかった。


   *


 あれは、いちどきりだったかもしれない。


   *


 言わなかった。


   *


 この人も、言わなかった。


   *


 灯りの油が、こつ、と鳴って、火がひとつ細くなった。


   *


 黙っている者が、2人になった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。