第22話 奥の部屋
その音は、ひとつだった。
でも、長かった。
*
わたしがふつうに3つ息をするあいだ、その音は、まだ続いていた。
吸っているのか、吐いているのか、分からなかった。
*
風だと思おうとした。
風なら、草が鳴る。
草は、鳴っていなかった。
*
地面が、震えた。
足の裏から来て、ひざまで上がって、そこで止まった。
*
わたしは、振り返った。
*
草に隠れたあの穴から、白いものが出てきていた。
*
はじめに、前の脚が出た。
黒い爪が土に深く入って、ぐ、と土が盛り上がった。
草の根が、ぷつ、ぷつ、と切れた。
*
次に、頭が出た。
わたしは、動けなくなった。
*
毛が、なかった。
皮膚は乾いて白くて、細かくひび割れていた。
目は、真ん中まで白かった。
耳が、頭より大きかった。
*
昨日、村の下で見た2つと、おなじだった。
*
あれは、動かなかった。
*
これは、動いていた。
*
まだ、出きっていなかった。
肩が出て、そのあとに胴が、まだ続いた。
わたしは、どこで終わるのかを、待ってしまった。
*
終わりは、ずっと先だった。
*
立ち上がったとき、肩の高さが、わたしの頭を越えていた。
影が斜面を横切って、わたしの足元まで届いた。
昼なのに、そこだけ、夕方みたいだった。
*
匂いが、風に乗って来た。
乾いた石灰と、古い土の匂い。
昨日、あの部屋では、なんの匂いもしなかった。
*
これは、した。
息を止めても、口のなかに残った。
*
前の脚の付け根に、すり切れた跡があった。
左も、右も。おなじ高さで、おなじ幅だった。
昨日の2つと、おなじところだった。
*
でも、ずっと古い跡だった。
*
白いものは、これで3つめだった。
*
はじめの2つは、床に倒れていた。
*
これは、立っていた。
*
シズちゃんが、わたしの前に出た。刀は、もう抜いていた。
「うしろへ」
*
白いものが、頭を上げた。
目は白いのに、顔がまっすぐこちらを向いていた。
鼻先が、ぴたり、と止まった。
*
そして、走った。
*
地面が鳴った。
*
どどど、と。
*
足の裏が、そのたびに下から叩かれた。
斜面には、まだ村の人たちがいた。
ミアさんも、年寄りも、いちばんうしろにトトも。
みんな、まだ坂の途中だった。
*
白いものは、その横を走り抜けた。
*
触れも、しなかった。
顔も、向けなかった。
*
ミアさんのすぐ横を、腕を伸ばせば届くところを、通った。
ミアさんの毛布のはしが、風で、ばたばたと鳴った。
*
それだけだった。
*
わたしはトトのところへ走って、その体を斜面の下へ突き飛ばした。
「はしって! ふりかえらないで!」
*
突き飛ばした、その瞬間。
背中に、風が来た。
押される風じゃなかった。吸われるみたいな風だった。
*
わたしは横に転がった。
転がった、そこに黒い爪が刺さった。
どす、と鈍い音がして、草ごと土がえぐれた。
えぐれた土が、わたしの頬に飛んだ。
*
……わたしを、見てる。
*
思ってから、なんで、と思った。
村の人たちは、まだ坂の途中だった。本気で追ったら、たぶん追いつける。
*
追わなかった。
*
なんで。
*
その先が、なかった。
*
シズちゃんが、横から入った。
草の上を滑るみたいに低く入って、そのまま跳んだ。
刃が、白い首の横に落ちた。
*
音が、ちがった。
*
こつ、と。
*
乾いた木を叩いたような、鈍い音だった。
白いものが、首を振った。
*
それだけだった。
それだけで、シズちゃんの体が浮いて、草の上を2回転がった。
*
わたしは、息が止まった。
*
シズちゃんが押し負けるのを、わたしは、はじめて見た。
*
街道の熊のときも、この人は先に立っていた。腕が来て、受けて、押し返した。
村の下の暗がりで白いものが跳んできたときも、刀はもう間にあっていた。
いつも、先に立っていた。
いつも、押し返していた。
*
わたしは、それを当たり前だと思ったことすら、なかった。
*
シズちゃんが立ち上がった。立ち上がるのが、いつもより半分遅かった。
立って、口のはしを手の甲でぬぐった。
手の甲に、赤いものが細く残った。
黒い耳が、べったりとうしろに寝ていた。
*
伏せているんじゃなかった。
*
張りついていた。
*
白いものが、また走った。
斜面の人たちへは、行かなかった。
シズちゃんへも、行かなかった。
*
わたしへ、来た。
*
わたしは横に跳んだ。跳んだ先に、もう白い頭があった。
*
……はやい。
あの体で、なんで。
*
わたしは腕を上げて、その頭を受けた。
*
受けた、と思った。
思ったときには、もう足が地面から離れていた。
草の斜面を背中で滑って、止まった。
口のなかに、草の味がした。
*
肩が、熱くなった。
見たら、赤い線が1本、服の上ににじんでいた。
じわ、と、その線が太くなった。
*
「ハルカ!」
*
シズちゃんが石を拾って、離れた岩に投げた。
かん、と音が鳴った。
村の下では、それで白いものは振り向いた。音のほうへ、まっすぐ行った。
*
これは、振り向かなかった。
耳が、ぴくりとも動かなかった。
*
あの、頭より大きい耳が。
*
「……こいつ」
*
シズちゃんの声が、低くなった。
「わたしたちだけを、見てる」
*
わたしは草の上に手をついて、起き上がろうとした。
起き上がる途中で、腕が止まった。
*
……かてない、かも。
*
その言葉が、ひとりで出てきた。
わたしが呼んだんじゃなかった。
街道の熊のときも、村の下の暗がりのときも、この言葉は来なかった。
*
こわいとは、思った。
でも、こわいと、かてないはちがった。
*
いま出てきたのは、うしろのほうだった。
シズちゃんが立っている。刀を持って、わたしのほうは見ないで、あれを見ている。
そのシズちゃんの耳が、うしろに寝ている。
*
わたしはそれを見て、はじめて、その言葉に会った。
*
わたしは、立ち上がった。
肩が熱かった。
でも、足は動いた。
*
……逃げたら、追いかけてくる。
*
これは、そういうものだった。
斜面の下には、まだ村の人たちがいた。
ミアさんの背中と、年寄りの背中と、いちばん最後にトトの背中が。
*
まだ、あんなに近い。
だから、逃げちゃいけなかった。
わたしは、前に出た。
*
白いものの首が、いちど下がった。
さっきも、その前も、おなじだった。
白いものが来た。地面が鳴って、影がわたしの上に来た。
わたしは避けなかった。
避けないで、その首に飛びついた。両腕を回して、抱きこんだ。
*
乾いた皮膚が、掌にざらざらと引っかかった。紙やすりみたいだった。
押しつけた頬にも、おなじものが当たった。
*
冷たかった。
*
こんなに走っているのに、冷たかった。
*
体が、振られた。
*
右に。
*
左に。
*
右に。
*
上に。
*
空が来て、草が来て、また空が来た。どっちが上なのか分からなくなった。
歯が、かちかち鳴った。舌をかみそうになって、口を閉じるのをやめた。
腕が、肩から抜けそうだった。
肩の赤い線のところが引っぱられて、開いた。
熱いものが腕を伝って、ひじのところまで下りてきた。
*
それでも、離さなかった。
指を、自分の手首に引っかけた。手と手を、鍵みたいに組んだ。
組んだら、少しだけ楽になった。
*
楽になったぶん、腕がもっと痛かった。
*
白いものが、地面に体を打ちつけた。わたしごと。
背中が草に叩きつけられて、息がぜんぶ出た。
出たまま、吸えなかった。
*
それでも、手は外れなかった。
*
また、持ち上げられた。こんどは、横に振られた。
わたしの足が、どこかの岩に当たった。
当たったのは分かったのに、痛いのは、あとから来た。
*
……離したら。
*
そこまで来て、頭が止まった。
止まったのに、続きが出てきた。
*
……離したら、シズちゃんが、行く。
*
わたしがここを離したら、これは、次にシズちゃんのところへ行く。
シズちゃんは、逃げない。
わたしが下がれば下がるだけ、あの人は前に出る。
ずっと、そうだった。
*
だから、離さなかった。
*
もういちど、振られた。こんどは、いちばん高く上がった。
上がったところで、わたしは息を吸った。
*
吸えた。
*
「シズちゃん!」
*
声が揺れて、途中で切れた。
「いま!」
*
黒い影が、下から入った。草の上を、低く。
刃が、白い喉の下へ潜り込んだ。
*
こんどは、音がちがった。
*
こつ、じゃなかった。
*
ず、と。
*
深く、入った。
白いものが、はじめて声を出した。
ほえたんじゃなかった。息を吸い損なったような、短い音だった。
*
ひ、と。
*
それだけだった。
*
その音が、わたしの抱いている首のなかから直接、腕に伝わってきた。
*
わたしの腕が外れた。わたしは草の上に落ちて、転がって、顔を上げた。
腕が、震えていた。自分の腕なのに、止め方が分からなかった。
*
白いものは、立っていた。頭を低くして、荒い息をしていた。
喉の下から、黒っぽいものが糸みたいに垂れていた。
*
血の色じゃなかった。
シズちゃんが刀を構え直した。わたしも構えた。
構えた腕が、勝手に震えた。
*
でも、来なかった。
白いものは、体の向きをゆっくり変えた。
そして、丘の斜面の穴のほうへ走った。
*
「逃げた」
「……ちがう」
*
シズちゃんが、その穴を見ていた。
「戻ったんだ」
*
斜面の下を見た。
村の人たちの背中は、もう丘の向こうへ入りかけていた。
いちばん最後の小さい背中が、いちど止まって、また歩き出した。
*
わたしは、手を振らなかった。
振ったら、あの子は、また戻ってくる。
*
わたしは、自分の肩を見た。
服が裂けて、そのふちが赤く濡れていた。
*
わたしは、指で血をぬぐった。
*
その下に、切れたところは、なかった。
*
ふさがっていた。
*
いつもの、ことだった。
わたしは、それを見ても、もうなにも思わない。
シズちゃんも、思わない。
*
残ったのは、血だけだった。
服の裂け目にも、掌にも、指のあいだにもついていた。
*
傷は、ないのに。
*
わたしは、掌を返した。
昨日は、手首のところまで来ていた。ゆうべ、真ん中だけになった。
*
いまも、真ん中だけだった。
*
戻っては、いなかった。
*
シズちゃんが、わたしの肩を見ていた。
なにも聞かなかった。
外套を脱いで、そのはしを裂いて、わたしの肩に巻いた。
結び目を、いちど締めて、それからもういちど締め直した。
*
もう、ふさがっているのに。
*
「痛いか」
「……ちょっと」
「そうか」
*
それだけだった。
わたしたちは、追った。
*
白いものが潜り込んだのは、さっきの草の穴だった。わたしたちも、そこへ入った。
中は暗かった。でも、灯りはいらないとシズちゃんが言った。
匂いが、まっすぐ残っているからだった。
*
まっすぐ、というのがどういうことか、少し歩いて分かった。
シズちゃんは、いちども鼻先を下げなかった。
昨日は、何度もかがんで、土に鼻を寄せていたのに。
*
少し行ったところで、シズちゃんが立ち止まった。
人を助けに来たときには、気づかなかった。
通路が、二股になっていた。
片方は下へ、もう片方は上へ続いていた。
「こっちだ」
*
シズちゃんが、上のほうを指した。
わたしは、下のほうを見た。
あの先に、さっきまで10人が座っていた。
毛布が6枚。木の器が4つ。小さい灯りが、1つ。
*
いまは、だれもいない。
*
そう思ったら、足が、少しだけ軽くなった。
軽くなった足で、わたしは上へ向かった。
*
上の通路は、だんだん広くなった。
天井が高くなって、空気が変わった。
*
……くさい。
白いものの匂いだった。
*
それも、1つぶんじゃなかった。
*
広い場所に出た。
わたしは灯りに火を入れた。ガラスの覆いは、まだ割れたままだった。
灯りの届く先は、まだ暗かった。天井は、見えなかった。
*
声を出したら、返ってきそうな広さだった。
*
だから、出さなかった。
空気が、こもっていた。
息を吸うと、喉の奥にほこりの味が残った。
長いあいだ、なにかがここで生きていた空気だった。
*
壁に、鉄の輪が打ってあった。
腰くらいの高さのところに、おなじ間で。
村の下で見たのと、おなじ形だった。
丘の通路で見たのとも、おなじだった。
*
3度目だった。
わたしは灯りを持って、壁に沿って歩いた。
輪と輪のあいだは、わたしの2歩だった。
*
次も、2歩だった。
どの輪も、内側の下だけがこすれて光っていた。
輪の下の床だけ、石が浅くくぼんでいた。
*
でも、ここにはひとつだけ、ちがうところがあった。
いくつかの輪に、短い鎖が垂れたままだった。
*
わたしは、灯りを近づけた。
鎖は、輪とおなじ黒い色をしていた。長さは、わたしのひじから先くらい。
*
その先には、なにもなかった。
*
ちぎれた跡じゃなかった。
いちばん最後の環まで、ちゃんと丸いままだった。
*
わたしは、その鎖に手を伸ばしかけた。
*
伸ばしかけて、やめた。
やめてから、なんでやめたのか、自分でも分からなかった。
*
床に、線が2本あった。
昨日の部屋のと、おなじ幅だった。
その2本が、鉄の輪の下を通って、奥へ入っていった。
*
わたしは、指を置かなかった。
*
線から少し外れたところに、丸い模様があった。
消えかけていた。
でも、1つじゃなかった。
灯りを動かすたびに、また1つ、また1つ出てきた。
*
わたしはしゃがんで、その線を指でなぞった。
*
彫ってあるんじゃなかった。
*
描いてあった。
*
なにかで、床に、直接。
指で押したら、少しだけ、こすれて薄くなった。
わたしは、指を離した。
*
光っては、いなかった。
*
壁ぎわに、石が並べてあった。
わたしは灯りを、そちらへ向けた。
小さい石だった。川原にありそうな、丸くて白っぽい石。
*
大きさは、ばらばらだった。
いくつかはこぶしくらい、いくつかは指の先くらい。
*
でも、並べ方は、ばらばらじゃなかった。
壁からおなじだけ離して、まっすぐ、1列に。
石と石のあいだも、だいたいおなじだけ空いていた。
*
大きさの順でも、なかった。
こぶしくらいのが2つ続いて、そのあとに、指の先くらいのが1つ。
また、こぶしくらいのが1つ。
*
わたしは、その並びを端から目でたどった。
灯りをいちど持ち上げないと、端まで届かなかった。
*
いくつかの石に、なにか刻んであった。
*
字だった。
わたしには、読めない字だった。
*
でも、どれもおなじ手で、丁寧に刻んであるのは分かった。
線の深さが、どれもおなじだった。石の面の真ん中に、まっすぐ。
*
いちばん端の、いちばん小さい石にも、おなじ丁寧さで刻んであった。
*
小さい石ほど、刻むのは難しいはずだった。
それでも、そこだけ雑になっている、ということがなかった。
*
いくつかの石には、なにも刻まれていなかった。
*
わたしは、それを数えようとした。
数えかけて、やめた。
*
なにも刻まれていない石は、列の端に固まっているんじゃなかった。
*
途中に、あった。
*
字のある石と字のある石のあいだに、ぽつん、と。
*
少し先にも、ぽつん、と。
いちばん端の、いちばん新しそうなところにも、あった。
*
わたしは、そこで灯りを持つ手を止めた。
*
石の手前に、花が置いてあった。
*
白い、小さな花。
3本だった。
*
束ねては、いなかった。
1本ずつ、離して、置いてあった。
*
どの花も、茎の切り口が、こちらを向いていた。
*
置いた人が、石のほうから手を伸ばして、そっと置いた。
そういう向きだった。
*
まだ、乾ききっていなかった。
花びらのふちだけが、少し茶色くなっていた。
真ん中は、まだ白かった。
*
この地面の下に、花は咲かない。
だれかが、外から持ってきた。
*
光のあるところから、あの二股の通路を通って、ここまで。
*
枯れる前に。
*
「……これ、なに?」
*
シズちゃんは、答えなかった。
わたしは、待った。
いつもなら、なにか言う。「分からない」でも、「行こう」でも。
*
なにも、来なかった。
*
振り向いたら、シズちゃんは石のほうを見ていた。
黒い耳が、その石のほうを向いたまま、動かなかった。
尻尾も、動いていなかった。
*
わたしは、もういちど聞こうとして、やめた。
やめて、灯りを、少しだけ石から外した。
*
外したのは、わたしだった。
*
なんで外したのかは、分からなかった。
*
わたしたちは、その先へ進んだ。
広い場所の奥に、また通路があった。
そこからは、石の積み方が変わった。
もっと古くて、もっと丁寧だった。
*
石と石のあいだに、隙間がなかった。
継ぎ目に爪を立てても、先が入らなかった。
*
天井の一部が落ちて、土が入り込んでいた。
壁の彫りは半分すり減って、なんの形だったのか分からなかった。
落ちた石のかけらが、そのまま床に転がっていた。
だれも、片づけていなかった。
*
でも、床に、ほこりがなかった。
わたしは、そこで足を止めた。
*
天井が落ちている。石が転がっている。土が入り込んでいる。
*
なのに、床の、真ん中のところだけ。
*
人ひとりが通るくらいの幅だけ。
*
ほこりが、なかった。
*
その両側には、うっすらと灰色に積もっていた。
わたしは、灯りをうんと低く下げた。
真ん中の帯だけ、石の色がそのまま出ていた。
*
……だれかが、毎日、ここを歩いてる。
*
1日でも空けたら、たぶん、また積もる。
積もっていないということは、昨日も今日も、ということだった。
*
わたしは、自分の足元を見た。
わたしは、いま、その帯の上を歩いていた。
*
……耳の、ながい人。
*
ミアさんの声が、頭のなかで鳴った。
*
「シズちゃん」
*
シズちゃんは、答えなかった。
黒い耳が、前を向いたまま、動かなかった。
*
わたしは、それ以上、言わなかった。
*
通路の突き当たりに、木の扉があった。
その下から、光が漏れていた。
*
細い、まっすぐな線。
オレンジ色じゃなかった。
*
もっと白い、静かな光だった。
*
白いものの匂いは、そこで消えていた。
濃くなって、濃くなって。
扉の手前で、ふっ、となくなった。
*
わたしは、耳を澄ませた。
息の音が、していた。
浅くて、速い息だった。
丘で聞いた、あの長いのとは、ちがった。
*
すーは、長かった。とんは、短かった。
あの2つは、半年、おなじ間だった。
*
これは、そろっていなかった。
*
もうひとつ、音がした。
*
人の声だった。
*
小さくて、途切れがちで、何度もおなじことを繰り返していた。
なにを言っているのかは、分からなかった。
でも、いつもおなじところで切れて、おなじところからまた始まった。
*
光が、あった。
*
息が、あった。
*
声が、あった。
*
シズちゃんが、扉に手をかけた。
わたしは、その隣に立った。
シズちゃんの手が、木の板の上で止まっていた。
指が白くなるくらい、板を握っていた。
*
その手が、扉から離れた。
*
離れて、また、戻った。
*
黒い耳が、ぴたりと前を向いていた。
*
開けた。




