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転生少女と黒狼姫 〜女神に選ばれた少女と、掟破りの狼族戦士〜  作者: 白川雫


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20/44

第20話 まだ遠くない

 わたしは、灯りを前に押しながら進んだ。ざり、ざり、とひざが石をこすった。


 声は、近づくと、また止まった。止まって、また始まった。


   *


 1人じゃなかった。


   *


 高い声と、低い声。かぶるところが、あった。


   *


 かぶるということは、待っていない、ということだった。


   *


 穴が広くなって、立てるようになった。


   *


 先に、光があった。わたしたちの灯りじゃない、だれかの灯りだった。


   *


 わたしは、走った。シズちゃんが名前を呼んだ。止まらなかった。


   *


 石の部屋だった。天井が低くて、隅のほうは暗かった。


   *


 人が、いた。


   *


 毛布にくるまって、身を寄せ合って、座っていた。小さな灯りを、1つだけ囲んで。


   *


 みんな、こちらを見た。


   *


 だれも、悲鳴を上げなかった。だれも、逃げなかった。


   *


 いちばん手前の人が、口を開けて、それからその口を押さえた。


   *


 わたしは、なにも言えなかった。


   *


 空気が、あたたかかった。石の部屋なのに。


   *


 人が、そこにいるからだった。


   *


 匂いがした。汗と、布と、人の匂い。


   *


 この村に来てから、いちども嗅いでいなかった匂いだった。


   *


 器はからっぽで、椅子は押し込んであって、靴はそろえてあった。


   *


 ぜんぶ、人の形をしていて、人がいなかった。


   *


 いま、人が、いた。


   *


 けほ、けほ。子どもが、母親のひざの上で足をばたつかせていた。


   *


 わたしは、しゃがんだ。目の高さが、おなじになった。


   *


「……こんにちは」


   *


 言ってから、こんなときに言う言葉じゃないかもしれない、と思った。


   *


 でも、いちばん前の人が、うなずいた。


   *


「……こんにちは」


   *


 その声で、部屋の空気が、少しゆるんだ。


   *


 毛布は、足りていなかった。1枚を、3人でかぶっている。


 いちばん厚いのが、いちばん動かない人にかかっていた。


   *


 火は、なかった。


   *


「けむりが、出ますから」


   *


 年寄りの女の人が、そう言った。


   *


 壁の高いところから、水がしみていた。


   *


 ぽつ。


   *


 ……ぽつ。


   *


 その下に、器が置いてあった。たまるのを、待っているんだった。


   *


 わたしは、荷袋から干し肉を出した。ぜんぶ出した。それでも、少なかった。


   *


 いちばん近くにいた人が、小刀で切りはじめた。しゃり。しゃり。


   *


 切って、隣に回した。隣は、また切って、その隣に。


   *


 端まで行って、また戻ってきた。


   *


 わたしは、首を振った。相手も、首を振った。


   *


 わたしは、受け取って、ひとくち食べた。それで、相手が笑った。


   *


 子どもが、多かった。


   *


 数えようとして、動くから、途中で分からなくなった。


   *


「みなさん、この村の人ですか」


   *


 シズちゃんが聞いた。年寄りの女の人が、首を振った。


   *


「わたしたちは、みんな、よそから来ました」


   *


「よそって、どこ」


   *


「わたしは、東の谷の村です。あちらの人たちは、川の向こう。あの親子は、もっと北の村から」


   *


 3つの村の人が、1つの部屋にいた。


   *


「この村の人は」


   *


「ここには、おりません」


   *


 わたしの中でなにかが、すとん、と落ちた。


   *


 器を4つ並べた人。椅子に板を2枚くくりつけた人。靴を、ずっと直していた人。


   *


 この部屋には、いなかった。


   *


「みなさんは、どうやって、ここへ」


   *


 年寄りの女の人は、しばらく、言葉を探していた。


   *


「……わたしたちは、選ばれたんです」


   *


「選ばれた?」


   *


「順番が来ました。名前が、書かれて」


   *


 その人は、自分のひざを見ていた。


   *


「うちの村では、いけにえと呼んでいました」


   *


 わたしは、その言葉を知っていた。でも、目の前の人の口から出るとは思わなかった。


   *


「差し出したんですか」


   *


「差し出しました。村ぜんぶが、そうしないと、村ぜんぶが」


   *


 そこで、言葉が切れた。


   *


「……だれに」


   *


 わたしは、聞いた。


   *


 年寄りの女の人は、答えなかった。答えられない、という顔でもなかった。


   *


 その口が、少しだけ開いて、閉じた。


   *


「……そのことは」


   *


 それだけだった。


   *


 わたしは、それ以上、聞かなかった。


   *


「でも、みなさん、いま、ここにいます」


   *


 年寄りの女の人が、顔を上げた。


   *


 目が、変わった。


   *


 さっきまでの、ひざを見ていた目じゃなかった。


   *


「レスフィーナさまが、来てくださったんです」


   *


 その人は、そう言って、両手を合わせた。


   *


 わたしは、その名前を、はじめて聞いた。


   *


「れす、ふぃーな」


   *


 言ってみたら、少し、長かった。


   *


「エルフの、女の人です」


   *


 毛布の向こうから、若い男の人が、体を起こした。


   *


「檻を開けたのは、あの人です」


   *


「おり」


   *


「わたしは、もう順番でした。次の夜が、わたしの番でした」


   *


 その人は、自分の手首を見た。そこに、なにかの跡があった。


   *


「開いたんです。夜のあいだに、かちん、と。それで、あの人が、そこに立っていました」


   *


 ごそ、と毛布が動いて、いちばん小さい子が顔を出した。


   *


「レスフィーナ」


   *


 はっきり、言った。


   *


 言えたのが、うれしいという顔だった。


   *


 わたしは、その子に笑った。その子も、笑った。


   *


 母親らしい人が、その子の頭に手を置いた。


   *


「迎えに、来てくれました」


   *


「迎えに?」


   *


「はい。待っていたんじゃないんです。奥まで、来てくれたんです」


   *


 その人は、そこで少し、笑った。


   *


「わたしたちは、もう、歩けませんでしたから」


   *


 わたしは、頭のなかでいちど、絵にした。


   *


 助けを待っている人のところへ、だれかが、奥まで入っていく絵。


   *


 入ってくるほうにも、帰り道が、いる。


   *


 やせた女の人が、灯りのそばから言った。


   *


「あの人は、食べていません」


   *


「え」


   *


「持ってきてくださるんです。置いて、すぐ帰られます」


   *


 その人は、自分の毛布のはしを、指でつまんでいた。


   *


「わたしたちより、あの人のほうが、やせています」


   *


 だれも、それに口をはさまなかった。みんな、知っていることだった。


   *


 いちばん奥に、足の悪い人がいた。片方の足を、まっすぐ前に出したまま。


   *


「わたしは、顔を見ていません」


   *


 わたしは、そっちを向いた。


   *


「運ばれてくるとき、目が開かなかったので。声だけです」


   *


「どんな、声ですか」


   *


「低くも高くもない声でした。ゆっくり、しゃべる人でした」


   *


 その人は、そこで少しだけ、笑った。


   *


「顔を見ていないので、なにも言えません。でも、この足で、ここにいます」


   *


 年寄りの男の人が、うなずいた。


   *


「なにも、持っていきませんでした」


   *


「持っていく?」


   *


「お礼です。うちの村の者が、指の輪を渡そうとしたんです」


   *


 その人は、自分の指を見た。輪は、なかった。


   *


「困った顔をされました。受け取ってもらえなくて、こっちが困りました」


   *


 だれかが、小さく笑った。


   *


「ここのことは、わたしたちで決めています。毛布も、水も、順番も」


   *


「あの人が、決めるんじゃないの」


   *


「なにも、言われません。いちども」


   *


 わたしは、部屋を見まわした。


   *


 毛布が6枚か7枚。器がいくつか。灯りが1つ。水は、壁からしみるぶんだけ。


   *


 どこにも、豊かなものが、なかった。


   *


 それなのに、名前を言うとき、この人たちの声の調子は変わった。


   *


 わるく言う人が、1人も、いなかった。


   *


 顔を見ていない人も、名前しか知らない子も、1人も。


   *


「外へ、出ないんですか」


   *


 シズちゃんが聞いた。年寄りの女の人が、首を振った。


   *


「外に、白いのが、おりますので」


   *


 わたしは、さっきの、あれを思い出した。


   *


「でも、ここへは、来ません」


   *


「来ないの」


   *


「入ってこられないんです。そこから先へは」


   *


 その人は、わたしたちが入ってきたほうを、指した。


   *


 床は、続いていた。天井も、続いていた。狭くも、なっていなかった。


   *


 線も、なにも、引いていなかった。


   *


「なんで」


   *


「わたしたちにも、分かりません」


   *


 その人は、そう言って、また両手を合わせた。


   *


「あの人が、そうしてくださいました。それだけ、分かっています」


   *


 だから、だれも出ていかないんだった。


   *


 ここにいたら、安全だからだった。


   *


「その人は、いま、どこに」


   *


 シズちゃんが聞いた。


   *


「わたしたちも、知りません」


   *


「……そうですか」


   *


「でも、来てくださいます。いつも、そうでしたから」


   *


 シズちゃんは、うなずいた。それから、頭を下げた。


   *


「……その人に、礼を、言いたい」


   *


 年寄りの女の人が、目を細めた。


   *


「言ってやってください。あの人は、だれにも言われていないと思います」


   *


 わたしは、立ち上がった。ひざに、床の土がついていた。


   *


 シズちゃんが、掌でそれを払った。いちど払って、もういちど、おなじところを払った。


   *


 もう、ついていなかった。


   *


 わたしは、なにも言わなかった。


   *


「わたしたちは、北へ行きます」


   *


 シズちゃんが言った。


   *


「この村の人を、探しています」


   *


「……もう1人。ルナという、小さい子だ」


   *


 名前が、部屋の中をいちど回った。だれも、うなずかなかった。


   *


「その名前の子は、ここには、おりません」


   *


 年寄りの女の人は、しばらく黙って、それから北のほうを指した。


   *


「連れていかれた人は、みんな、そっちです」


   *


「そっち」


   *


「丘を越えたところに、古い石の建物があります。わたしたちも、そこから来ました」


   *


 その人は、部屋の隅を指した。


   *


「外へ出る穴は、あちらです。細いですが、通れます」


   *


 わたしは、そっちへ歩いた。


   *


 いちばん小さい子が、ついてきた。


   *


 毛布を引きずって、はだしで、ぺた、ぺた。


   *


 わたしは、しゃがんだ。


   *


「ここ、痛くない?」


   *


 その子は、首を振った。それから、両手をわたしの掌に当てた。


   *


「あついね」


   *


「うん。熱いの」


   *


「レスフィーナも、あったかいよ」


   *


 わたしは、笑った。


   *


 その子は、それだけ言って、毛布のほうへ帰っていった。


   *


 穴の前で、シズちゃんが、わたしの手をとった。とって、すぐ離した。


   *


「……熱い」


   *


「うん」


   *


 それだけだった。シズちゃんは、なにも聞かなかった。わたしも、なにも言わなかった。


   *


 わたしは、掌を返した。手首のところまでは、来ていた。ひじには、来ていなかった。


   *


 減っては、いなかった。


   *


「シズちゃん」


   *


「うん」


   *


「レスフィーナって、いい人だね」


   *


 シズちゃんは、少し考えて、それからうなずいた。


   *


「……うん」


   *


「会ったら、ありがとうって、言おうね」


   *


「うん」


   *


 わたしは、うしろを見た。


   *


 小さい灯りが、1つ、まだそこにあった。人が、そのまわりにいた。


   *


 わたしは、いま聞いた名前を、もういちど頭のなかで言った。


   *


 レスフィーナ。


   *


 檻を開けた人だ、とあの人は言った。自分の手首を見ながら。


   *


 白いのは、ここへ入ってこない。だから、この人たちは、ここから出ていかない。


   *


 ……出ていかなくていいのと、出ていけないのは、どこで分かれるんだろう。


   *


 すう、と穴の中から風が出てきていた。


   *


 外の匂いが、していた。

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