第20話 まだ遠くない
わたしは、灯りを前に押しながら進んだ。ざり、ざり、とひざが石をこすった。
声は、近づくと、また止まった。止まって、また始まった。
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1人じゃなかった。
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高い声と、低い声。かぶるところが、あった。
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かぶるということは、待っていない、ということだった。
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穴が広くなって、立てるようになった。
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先に、光があった。わたしたちの灯りじゃない、だれかの灯りだった。
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わたしは、走った。シズちゃんが名前を呼んだ。止まらなかった。
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石の部屋だった。天井が低くて、隅のほうは暗かった。
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人が、いた。
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毛布にくるまって、身を寄せ合って、座っていた。小さな灯りを、1つだけ囲んで。
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みんな、こちらを見た。
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だれも、悲鳴を上げなかった。だれも、逃げなかった。
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いちばん手前の人が、口を開けて、それからその口を押さえた。
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わたしは、なにも言えなかった。
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空気が、あたたかかった。石の部屋なのに。
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人が、そこにいるからだった。
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匂いがした。汗と、布と、人の匂い。
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この村に来てから、いちども嗅いでいなかった匂いだった。
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器はからっぽで、椅子は押し込んであって、靴はそろえてあった。
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ぜんぶ、人の形をしていて、人がいなかった。
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いま、人が、いた。
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けほ、けほ。子どもが、母親のひざの上で足をばたつかせていた。
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わたしは、しゃがんだ。目の高さが、おなじになった。
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「……こんにちは」
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言ってから、こんなときに言う言葉じゃないかもしれない、と思った。
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でも、いちばん前の人が、うなずいた。
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「……こんにちは」
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その声で、部屋の空気が、少しゆるんだ。
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毛布は、足りていなかった。1枚を、3人でかぶっている。
いちばん厚いのが、いちばん動かない人にかかっていた。
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火は、なかった。
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「けむりが、出ますから」
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年寄りの女の人が、そう言った。
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壁の高いところから、水がしみていた。
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ぽつ。
*
……ぽつ。
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その下に、器が置いてあった。たまるのを、待っているんだった。
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わたしは、荷袋から干し肉を出した。ぜんぶ出した。それでも、少なかった。
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いちばん近くにいた人が、小刀で切りはじめた。しゃり。しゃり。
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切って、隣に回した。隣は、また切って、その隣に。
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端まで行って、また戻ってきた。
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わたしは、首を振った。相手も、首を振った。
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わたしは、受け取って、ひとくち食べた。それで、相手が笑った。
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子どもが、多かった。
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数えようとして、動くから、途中で分からなくなった。
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「みなさん、この村の人ですか」
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シズちゃんが聞いた。年寄りの女の人が、首を振った。
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「わたしたちは、みんな、よそから来ました」
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「よそって、どこ」
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「わたしは、東の谷の村です。あちらの人たちは、川の向こう。あの親子は、もっと北の村から」
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3つの村の人が、1つの部屋にいた。
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「この村の人は」
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「ここには、おりません」
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わたしの中でなにかが、すとん、と落ちた。
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器を4つ並べた人。椅子に板を2枚くくりつけた人。靴を、ずっと直していた人。
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この部屋には、いなかった。
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「みなさんは、どうやって、ここへ」
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年寄りの女の人は、しばらく、言葉を探していた。
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「……わたしたちは、選ばれたんです」
*
「選ばれた?」
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「順番が来ました。名前が、書かれて」
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その人は、自分のひざを見ていた。
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「うちの村では、いけにえと呼んでいました」
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わたしは、その言葉を知っていた。でも、目の前の人の口から出るとは思わなかった。
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「差し出したんですか」
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「差し出しました。村ぜんぶが、そうしないと、村ぜんぶが」
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そこで、言葉が切れた。
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「……だれに」
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わたしは、聞いた。
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年寄りの女の人は、答えなかった。答えられない、という顔でもなかった。
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その口が、少しだけ開いて、閉じた。
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「……そのことは」
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それだけだった。
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わたしは、それ以上、聞かなかった。
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「でも、みなさん、いま、ここにいます」
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年寄りの女の人が、顔を上げた。
*
目が、変わった。
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さっきまでの、ひざを見ていた目じゃなかった。
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「レスフィーナさまが、来てくださったんです」
*
その人は、そう言って、両手を合わせた。
*
わたしは、その名前を、はじめて聞いた。
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「れす、ふぃーな」
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言ってみたら、少し、長かった。
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「エルフの、女の人です」
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毛布の向こうから、若い男の人が、体を起こした。
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「檻を開けたのは、あの人です」
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「おり」
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「わたしは、もう順番でした。次の夜が、わたしの番でした」
*
その人は、自分の手首を見た。そこに、なにかの跡があった。
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「開いたんです。夜のあいだに、かちん、と。それで、あの人が、そこに立っていました」
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ごそ、と毛布が動いて、いちばん小さい子が顔を出した。
*
「レスフィーナ」
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はっきり、言った。
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言えたのが、うれしいという顔だった。
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わたしは、その子に笑った。その子も、笑った。
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母親らしい人が、その子の頭に手を置いた。
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「迎えに、来てくれました」
*
「迎えに?」
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「はい。待っていたんじゃないんです。奥まで、来てくれたんです」
*
その人は、そこで少し、笑った。
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「わたしたちは、もう、歩けませんでしたから」
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わたしは、頭のなかでいちど、絵にした。
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助けを待っている人のところへ、だれかが、奥まで入っていく絵。
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入ってくるほうにも、帰り道が、いる。
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やせた女の人が、灯りのそばから言った。
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「あの人は、食べていません」
*
「え」
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「持ってきてくださるんです。置いて、すぐ帰られます」
*
その人は、自分の毛布のはしを、指でつまんでいた。
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「わたしたちより、あの人のほうが、やせています」
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だれも、それに口をはさまなかった。みんな、知っていることだった。
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いちばん奥に、足の悪い人がいた。片方の足を、まっすぐ前に出したまま。
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「わたしは、顔を見ていません」
*
わたしは、そっちを向いた。
*
「運ばれてくるとき、目が開かなかったので。声だけです」
*
「どんな、声ですか」
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「低くも高くもない声でした。ゆっくり、しゃべる人でした」
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その人は、そこで少しだけ、笑った。
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「顔を見ていないので、なにも言えません。でも、この足で、ここにいます」
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年寄りの男の人が、うなずいた。
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「なにも、持っていきませんでした」
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「持っていく?」
*
「お礼です。うちの村の者が、指の輪を渡そうとしたんです」
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その人は、自分の指を見た。輪は、なかった。
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「困った顔をされました。受け取ってもらえなくて、こっちが困りました」
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だれかが、小さく笑った。
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「ここのことは、わたしたちで決めています。毛布も、水も、順番も」
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「あの人が、決めるんじゃないの」
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「なにも、言われません。いちども」
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わたしは、部屋を見まわした。
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毛布が6枚か7枚。器がいくつか。灯りが1つ。水は、壁からしみるぶんだけ。
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どこにも、豊かなものが、なかった。
*
それなのに、名前を言うとき、この人たちの声の調子は変わった。
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わるく言う人が、1人も、いなかった。
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顔を見ていない人も、名前しか知らない子も、1人も。
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「外へ、出ないんですか」
*
シズちゃんが聞いた。年寄りの女の人が、首を振った。
*
「外に、白いのが、おりますので」
*
わたしは、さっきの、あれを思い出した。
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「でも、ここへは、来ません」
*
「来ないの」
*
「入ってこられないんです。そこから先へは」
*
その人は、わたしたちが入ってきたほうを、指した。
*
床は、続いていた。天井も、続いていた。狭くも、なっていなかった。
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線も、なにも、引いていなかった。
*
「なんで」
*
「わたしたちにも、分かりません」
*
その人は、そう言って、また両手を合わせた。
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「あの人が、そうしてくださいました。それだけ、分かっています」
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だから、だれも出ていかないんだった。
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ここにいたら、安全だからだった。
*
「その人は、いま、どこに」
*
シズちゃんが聞いた。
*
「わたしたちも、知りません」
*
「……そうですか」
*
「でも、来てくださいます。いつも、そうでしたから」
*
シズちゃんは、うなずいた。それから、頭を下げた。
*
「……その人に、礼を、言いたい」
*
年寄りの女の人が、目を細めた。
*
「言ってやってください。あの人は、だれにも言われていないと思います」
*
わたしは、立ち上がった。ひざに、床の土がついていた。
*
シズちゃんが、掌でそれを払った。いちど払って、もういちど、おなじところを払った。
*
もう、ついていなかった。
*
わたしは、なにも言わなかった。
*
「わたしたちは、北へ行きます」
*
シズちゃんが言った。
*
「この村の人を、探しています」
*
「……もう1人。ルナという、小さい子だ」
*
名前が、部屋の中をいちど回った。だれも、うなずかなかった。
*
「その名前の子は、ここには、おりません」
*
年寄りの女の人は、しばらく黙って、それから北のほうを指した。
*
「連れていかれた人は、みんな、そっちです」
*
「そっち」
*
「丘を越えたところに、古い石の建物があります。わたしたちも、そこから来ました」
*
その人は、部屋の隅を指した。
*
「外へ出る穴は、あちらです。細いですが、通れます」
*
わたしは、そっちへ歩いた。
*
いちばん小さい子が、ついてきた。
*
毛布を引きずって、はだしで、ぺた、ぺた。
*
わたしは、しゃがんだ。
*
「ここ、痛くない?」
*
その子は、首を振った。それから、両手をわたしの掌に当てた。
*
「あついね」
*
「うん。熱いの」
*
「レスフィーナも、あったかいよ」
*
わたしは、笑った。
*
その子は、それだけ言って、毛布のほうへ帰っていった。
*
穴の前で、シズちゃんが、わたしの手をとった。とって、すぐ離した。
*
「……熱い」
*
「うん」
*
それだけだった。シズちゃんは、なにも聞かなかった。わたしも、なにも言わなかった。
*
わたしは、掌を返した。手首のところまでは、来ていた。ひじには、来ていなかった。
*
減っては、いなかった。
*
「シズちゃん」
*
「うん」
*
「レスフィーナって、いい人だね」
*
シズちゃんは、少し考えて、それからうなずいた。
*
「……うん」
*
「会ったら、ありがとうって、言おうね」
*
「うん」
*
わたしは、うしろを見た。
*
小さい灯りが、1つ、まだそこにあった。人が、そのまわりにいた。
*
わたしは、いま聞いた名前を、もういちど頭のなかで言った。
*
レスフィーナ。
*
檻を開けた人だ、とあの人は言った。自分の手首を見ながら。
*
白いのは、ここへ入ってこない。だから、この人たちは、ここから出ていかない。
*
……出ていかなくていいのと、出ていけないのは、どこで分かれるんだろう。
*
すう、と穴の中から風が出てきていた。
*
外の匂いが、していた。




