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転生少女と黒狼姫 〜女神に選ばれた少女と、掟破りの狼族戦士〜  作者: 白川雫


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第19話 息を止めて

 低かった。立っていなかった。床の上に、倒れていた。


   *


 わたしは、動かなかった。シズちゃんも、動かなかった。


 灯りが揺れると、影が、うしろの壁で伸びたり縮んだりした。


   *


 長いあいだ、そうしていた。白いものは、動かなかった。


   *


 シズちゃんの左手が、柄をにぎった。にぎったまま、抜かなかった。


   *


 わたしは、そこで、はじめて息をした。1歩、前に出た。シズちゃんは、止めなかった。


   *


 近くで見ると、大きかった。シズちゃんが横になったら、それくらい。


 2つとも、おなじ大きさだった。


   *


 脚が4本。前の2本が短くて、うしろの2本が長かった。うしろの脚は、途中で逆に曲がっていた。


 背中が、まん中でくぼんでいた。首が長くて、頭は細かった。


   *


 耳が、頭より大きかった。


   *


 横のところに、骨の形がいくつも浮いていた。数えられそうだった。数えなかった。


   *


 白いのは、皮膚だった。毛が、なかった。抜けた跡も、なかった。


   *


 はじめから、生えていなかったんだと思う。


   *


 口が、閉じていなかった。歯が、並んでいた。前のほうの歯だけ、長かった。


 目は、開いていた。白かった。まん中も、白かった。


   *


 黒いところが、どこにもなかった。


   *


 わたしは、胸のところを見た。しばらく見ていた。動かなかった。


   *


 わたしは、鼻で息を吸った。なんの匂いも、しなかった。


 街の市場の魚は、遠くからでも分かったのに。


   *


 これだけ近くにいるのに、なんにも、しなかった。


   *


 上に、ほこりが積もっていた。うすかった。でも、あった。


   *


 昨日や、今日じゃなかった。


   *


 2つは、わたしの2歩ぶんだけ離れて倒れていた。


 頭の向きも、脚の曲がり方も、おなじだった。2つとも、石段のほうを向いていた。


   *


 並べたみたいだった。


   *


 そう思ってから、そう思ったことが、いやだった。


   *


「シズちゃん、……これ、だれかが、並べたの?」


   *


 シズちゃんは、答えなかった。その先の、暗いところを見ていた。


 黒い耳が、うしろへ倒れていた。尻尾は、外套の下で止まっていた。


   *


 わたしは、シズちゃんの外套のはしを、指で持った。シズちゃんは、それを外さなかった。


   *


 壁に、鉄の輪が打ちこんであった。腰の高さだった。わたしの、腰。


 大人なら、かがまないと手が届かない。


   *


 わたしには、ちょうどだった。


   *


 1つじゃなかった。わたしは、壁に沿って歩いた。1つ。また1つ。


   *


 輪と輪のあいだは、わたしの2歩。次も、2歩。その次も、2歩だった。


   *


 灯りの届かないところにも、まだあった。


   *


 わたしは、いちばん近いのを引いてみた。動かなかった。


 指を当てた。鉄はざらざらで、内側の下のところだけ、つるつるだった。


   *


 幅は、わたしの小指くらい。


   *


 ずっと、おなじところがこすれていた。


   *


 どこかで、水が垂れた。ぽつ。


   *


 それきり、鳴らなかった。


   *


 うしろを見た。白いものが、まだそこにあった。


 わたしは、指を離した。


   *


 床に、線が2本あった。石がすり減ってできた線だった。


 2本のあいだは、どこでもおなじ幅だった。


   *


 部屋の奥から、まっすぐ来ていた。


   *


 わたしは、線に指を入れてみた。指の先が、やっと隠れるくらいだった。


 これだけへこませるのに、なんべん通ればいいんだろう。


   *


 壁ぎわに、靴があった。村の大人のより、ずっと大きかった。


 革が厚くて、底に、丸い金物がいくつも打ちこんであった。


   *


 底の溝に、土が詰まっていた。乾いて、固まっていた。赤かった。


   *


 この村の道の土は、灰色だった。


   *


「……よそから、来た」


   *


 わたしは、それだけ言った。


   *


 2つあった。でも、そろえて、なかった。1つは立っていて、1つは横に倒れていた。


 紐は、結んだままだった。脱ぐときは、ゆるめるのに。


   *


 空気が、動いていた。石段の中では、動いていなかった。


 すう、と顔の右から来ていた。風だった。


   *


 わたしは、そっちへ歩いた。壁の下に、低い穴があった。


 シズちゃんなら、かがまないと通れない。


   *


 穴の先は、上っていた。顔を近づけると、風がまっすぐ当たった。


 冷たくなかった。土の匂いと、草の匂い。


   *


 ここへ来てから、はじめて外の匂いがした。


   *


 ……上が、ある。


   *


 わたしは、耳を澄ませた。すー。とん。部屋の、奥から。


   *


 とん、のあとに、もう1つあった。うすくなって、返ってきた。


 少し、遅れて。


   *


 村の井戸で、石を落としたときとおなじ。


   *


 向こうに、広いところがある。


   *


「シズちゃん、宿の、おじさん」


「うん」


「半年、って、言ってた」


   *


 シズちゃんが、止まった。


「……うん」


   *


 シズちゃんは、ゆうべから。わたしは、昨日から。


 この音は、半年、鳴っていた。たぶん、もっと前から。


   *


 村の人がいたときも。いなくなってからも。聞く人が、いなくても。


   *


 わたしが家に近づいたら、家の人は気がつく。戸を開けて、顔を出す。


   *


 これは、そうしなかった。


   *


 こんなに近づいたのに、こっちを、見なかった。


   *


 わたしは、息を止めた。なんで止めたのかは、分からなかった。


 聞こえないように、か。よく聞くために、か。


   *


 すー。とん。すー。とん。


   *


 わたしは、吸った。音は、変わらなかった。もういちど、止めた。変わらなかった。


   *


 吸っても。止めても。おなじだった。


   *


 わたしが、どうなろうと。


   *


 わたしは、気づかれないように息を止めていた。でも、気づかれて、いなかった。


 はじめから。息を止める前から。


   *


 気づかれていないほうが、こわかった。


   *


 すー。とん。すー。とん。


   *


 わたしは、次を待った。来なかった。まだ、来なかった。


   *


 来た。


   *


 すー。とん。


   *


 1つぶん、おそかった。


   *


 ずれた。はじめて、ずれた。


   *


 ……いま、こっちを、見た。


   *


 わたしは、動いていない。音も、立てていない。息も、止めている。


   *


 なにも、していない。


   *


 ……なのに。


   *


 かり。


   *


 爪が、石を掻いた。奥の、暗いところで。


   *


 シズちゃんの耳が、真上に立った。ゆうべからずっと聞いていた人の耳が、いま、はじめてその形になった。


   *


 かり。かり。


   *


 近づいてきた。


   *


 灯りの外から、それは出てきた。


   *


 白かった。


   *


 立っていた。


   *


 3つ目だった。


   *


 倒れている2つと、おなじ形。おなじ大きさ。目のまん中まで、白かった。


 ちがったのは、頭がこっちを向いていたことだった。


   *


 シズちゃんが、刀を抜いた。


   *


「ハルカ、壁に、背中を」


   *


 わたしは、うしろへ下がろうとした。


   *


 うしろは、石段の口だった。


   *


 のぼりだった。


   *


 のぼりながら、うしろは向けない。


   *


 横は、壁だった。上は、手をのばしたら届く高さだった。


   *


 下がる場所が、なかった。


   *


 来た。


   *


 ざ、と床を掻いて、それは来た。速かった。床にほとんど体を寄せたまま、まっすぐ。


 シズちゃんが前に出て、刃を落とした。肩のところに入った。


   *


 音が、ちがった。


   *


 じゃり、と鳴った。骨の音じゃなかった。刃が、外へすべった。


   *


 血が、出なかった。


   *


 白いものは、そのままシズちゃんの横を通って、わたしのほうへ首を伸ばした。


 わたしは、殴った。


   *


 ごっ、とこぶしがあごの下に入った。手ごたえは、あった。ちゃんと、あった。


   *


 白いものが、3歩ぶん、横へずれた。


   *


 すぐ、戻ってきた。


   *


 わたしは、それを見ていた。


   *


 痛がらなかった。


   *


 鳴きもしなかった。あごを振りもしなかった。首をすくめもしなかった。


 殴られたところを、いちども気にしなかった。


   *


 わたしは、もういちど蹴った。腹だと思ったところを、思いきり。


   *


 がつ。


   *


 石を蹴ったみたいだった。足首まで、しびれが来た。


   *


 シズちゃんが、横から刃を払った。


   *


 払いきる前に、かつ、と切っ先が壁に当たった。


   *


 シズちゃんは、刀を短く持ち替えた。柄のなかほどを、左手でつかんだ。


 振るんじゃなくて、突くための持ち方だった。


   *


 シズちゃんの刃が、下から上へ入った。白いものの耳が、片方、落ちた。


   *


 落ちた耳が、床でぺたり、と鳴った。


   *


 白いものは、音を出さなかった。


   *


 動きも、変わらなかった。


   *


 わたしは、そこがいちばん、こわかった。


   *


 痛くないなら、やめる理由がない。


   *


 白いものが、体をひねった。前の脚が、シズちゃんの腕をかすめた。


 び、と外套の袖が裂けて、その下に赤い線が出た。


   *


「シズちゃん!」


   *


「かすった」


   *


「かすってない!」


   *


 シズちゃんは、答えなかった。答えるかわりに、わたしの前へ半歩出た。


   *


 灯りは、床に置いてあった。


   *


 白いものの尻尾が、そのすぐ横を通った。かたん、と灯りが傾いた。


   *


 わたしは、飛びついて、両手でそれを抱えた。


   *


 油が、指にこぼれた。熱かった。それより、掌のほうが熱かった。


   *


 暗くなったら、終わりだった。


   *


 白いものが、向きを変えた。倒れている2つのほうへ、体を寄せた。


   *


 よけなかった。


   *


 前の脚が、動かないほうの背中を踏んだ。踏んで、そのまま、越えてきた。


   *


 わたしは、それを見ていた。


   *


 おなじ形をした、おなじ大きさのものを、床とおなじに踏んでいった。


   *


 シズちゃんが、わたしの襟をつかんだ。


   *


「走れ」


   *


「シズちゃんも」


   *


「走れ」


   *


 わたしは、灯りを抱えて、風のほうへ走った。


   *


 低い穴のところで、ひざをついた。頭を下げて、先に入った。


 肩が、両側の石にざり、と当たった。灯りを前に押し出して、体を進めた。


   *


 うしろで、シズちゃんが入る音がした。


   *


 かり。


   *


 かり。


   *


 爪の音が、すぐうしろだった。石をつかむ音まで、聞こえた。


   *


 わたしは、前だけ見て進んだ。上りだった。掌が、床の石をつかむたびに熱かった。


   *


 かり。


   *


 止まった。


   *


 わたしは、動きを止めた。シズちゃんも、止まった。


   *


 わたしは、うしろを見た。


   *


 灯りの、ぎりぎり外のところに、それはいた。


   *


 白いのが、見えた。首の、長いところだけ。


   *


 来なかった。


   *


 顔を、こっちへ入れた。それから、引いた。また、入れた。


   *


 何度も、おなじことをした。


   *


 でも、そこから先へは、来なかった。


   *


 床は、続いていた。天井も、続いていた。狭くも、なっていなかった。


   *


 なのに、来なかった。


   *


 しばらくして、首が、引いた。


   *


 かり、が、遠くなった。


   *


 わたしは、そこではじめて、自分が息をしていなかったことに気がついた。


   *


 吸った。石の匂いがした。


   *


「シズちゃん、腕」


   *


「あとだ」


   *


「あとって、いつ」


   *


 シズちゃんは、答えなかった。答えないときは、あとが来ないときだった。


   *


 わたしは、掌を返した。


   *


 昨日は、真ん中だけだった。いまは、手首のところまで来ていた。


   *


 ひじまで来たら、どうなるんだろう。


   *


 わたしは、そこでやめた。


   *


 そして、そのとき。


   *


 穴の、先のほうで。


   *


 音がした。


   *


 すーでも、なかった。とんでも、なかった。かりでも、なかった。


   *


 あの3つは、半年、おなじ間だった。


   *


 これは、間が、そろっていなかった。


   *


 止まって、また始まって、また止まった。


   *


 なにを言っているのかは、分からなかった。


   *


 でも。


   *


 人だった。

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