第18話 そろえられた靴
——そのとき、列の向こうの端で。
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ことり、と鳴った。なにかが、倒れた音だった。
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わたしは、そっちを見た。光は、2本しかない。鳴ったのは、その外だった。
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シズちゃんが、わたしの前に出た。
「……シズちゃん」
「……いい」
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わたしたちは、見に行かなかった。
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立ち上がったら、ひざがしびれていた。
シズちゃんは、板の間の奥でしゃがんで、床を見ていた。
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床板の1枚に、鉄の輪が埋まっていた。指が3本かかるくらいの、黒い輪だった。
輪がなければ、気がつかなかったと思う。
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その輪のまわりだけ、木の色が明るかった。ほかの床板は、黒ずんでいた。
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何度も、開けられた跡だった。
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部屋の隅の棚に、ランプがあった。油が、まだ半分あった。
シズちゃんが火打ち石を出した。かち。かち。2回目で、芯に火が移った。
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わたしは、その灯りを、壁のほうへ向けなかった。
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向けたら、列の端まで、見えてしまう。
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「ハルカ、下がっていろ」
「……うん」
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シズちゃんが、輪に指をかけて、引いた。ぎ、と鳴って、床板が持ち上がった。
軽かった。隙間から、砂がぱらぱらと落ちた。
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ひゅう、と板の下から風が来た。地面の下から来たのに、外の風より冷たかった。
わたしの前髪が、下から持ち上がった。
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匂いがした。昨日、土の下から上がってきたのと、おなじ。ずっと、濃かった。
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四角い穴があった。わたしの肩幅より、少し広いくらい。下へ、段が続いていた。
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石だった。
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この村は、ぜんぶ木でできていた。屋根も、壁も、門も。石だったのは、井戸のふちだけだった。
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なのに、この段は、石だった。
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わたしは、灯りを穴のなかへ差し入れた。段が3つ見えて、4つめから先には届かなかった。
3つとも、真ん中がへこんでいた。
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人が、踏んだへこみだった。
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石がこんなにへこむのに、何年かかるんだろう。10年でも、たぶん、たりない。
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「シズちゃん、この村、いつからあるの」
シズちゃんは、しばらく答えなかった。
「……わたしが生まれる前から、とだけ聞いた」
「うん」
「……この段は、村より古い」
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そのとき、音が来た。足の裏じゃなかった。耳に、じかに来た。
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板の間に上がってから、聞こえていなかった。穴を開けたからだった。
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間は、おなじだった。でも、ずっと近かった。
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近くなると、音の形が分かった。たたく音じゃ、なかった。
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当たる音だった。なにか重いものに、なにかが、ぶつかって止まる音。
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「シズちゃん、……下りる?」
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シズちゃんは、答えなかった。それから、高いところの窓を見た。
光の柱が、さっきより傾いて、白から赤に寄っていた。
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「……下りない。今日は、下りない」
「……なんで」
「暗くなる。灯りは、1つだ」
「うん」
「下りるなら、明るいうちだ」
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わたしは、うなずいた。うなずいてから、ほっとしている自分に気がついた。
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シズちゃんが、床板を下ろした。ことん、と鳴って、穴が閉まった。
音は、消えなかった。
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閉めても、戻らなかった。
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外へ出たら、空が赤かった。
わたしは、道の戸を見た。ぜんぶ、開いていた。
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さっきは、9と1だった。いまは、10だった。
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わたしは、靴のひもに触った。ほどけて、いなかった。
それでも、きつく結び直した。
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朝、目が覚めた。わたしは、いちばんに耳を澄ませた。
あった。足の裏にも、あった。昨日のままだった。
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シズちゃんは、もう起きていた。荷物が、道の真ん中に2つ、並べてあった。
「シズちゃん、荷物」
「……置いていく」
「なんで」
「……両手が、いる」
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わたしは、なにも言わなかった。
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シズちゃんが干し肉を出した。わたしは半分に割って、半分をシズちゃんの手に置いた。
シズちゃんは、しばらく見ていた。それから、口に入れた。
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シズちゃんは、ランプの芯を小刀で切った。切ったぶんだけ、長くもつ。
それを、2回した。1回で、よかったと思う。
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火打ち石。かち。かち。かち。3回目で、芯に火が移った。
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昨日は、2回だった。
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「わたしが、持つ。ハルカは、うしろだ」
「うん」
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シズちゃんが、先に足を入れた。1段。それから、わたしを見た。わたしも、足を入れた。
こつ。
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靴の底が、段の真ん中に、ぴったり入った。
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わたしの足でへこんだ段じゃないのに、はまった。
たぶん、だれの足でも、はまる。
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手を横にのばすと、のばしきる前に、両方の壁に届いた。
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両手を、広げられなかった。
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壁は石だった。つるつるでは、なかった。刃物で削った跡が、細かく残っていた。
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だれかが、掘ったんだ。
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わたしは立ったまま下りられた。シズちゃんは、少しかがんでいた。
石は、指がすぐ冷たくなった。
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灯りは、下を向いていた。わたしの足元と、シズちゃんの足元。それだけが、明るかった。
「シズちゃん、前、見えないよ」
「……足元を、見て」
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少し下りたところで、上を見た。
開けたままの四角い明るいところが、壁の陰で、半分になっていた。
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こつ。こつ。
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どこかで、水が垂れていた。ぽつ。……ぴちゃ。
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足音はそろっていて、水は、そろっていなかった。
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石段は、まっすぐじゃなかった。右へ、ゆるく曲がっていた。
もう少し下りたら、見えなくなった。
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曲がったから、消えたんだった。
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壁に手をついて下りていたら、指の先が、なにかに引っかかった。
止まった。そこだけ、へこんでいた。
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線だった。
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わたしは、指でなぞった。まっすぐでは、なかった。ゆるく曲がって、また戻っていた。
1本じゃなかった。何本かが、寄り合っていた。
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指を4本、あててみた。ぜんぶ、溝に入った。深かった。
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底は、丸かった。
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刃物なら、角が残る。まわりの削り跡は、ぜんぶそうだった。ここだけ、丸かった。
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彫った、というより。
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なでて、へこんだ、みたいだった。
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わたしは、線の先を追った。右へ。下へ。そこで、なくなっていた。
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終わりの形じゃ、なかった。途中だった。
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掌が、熱くなった。
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昨日の夕方も熱かった。それより、ずっと上だった。
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わたしは、手を離した。熱は、引かなかった。
もういちど、壁に手を近づけた。触る前に、分かった。
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さっき触ったところだけ、あたたかい。まわりは、冷たかった。
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袖で、そこをこすった。しゅ、しゅ。こすってから、また近づけた。
あたたかいままだった。
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こするほど、あたたかくなった。
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昨日は、小さい靴に触らなかった。あたたかくしてしまうと思ったから。
今日は、触った。もう、冷たくならない。
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わたしは、自分の掌を見た。なんにも、なかった。
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熱いだけだった。
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「シズちゃん」
「うん」
「……なんでも、ない」
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言いかけて、やめた。言ったら、シズちゃんは、この壁を触る。
シズちゃんは、聞かなかった。
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聞かれないほうが、こわかった。
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曲がりが終わって、石段の先が、まっすぐになった。
その先に、四角い口があった。まわりに、石の枠。段は、その手前で終わっていた。
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口の中は、黒かった。
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いちばん下の段に、なにか置いてあった。わたしは、しゃがんだ。
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靴だった。大人の、革の靴だった。2つ、あった。そろえて、あった。
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昨日の家のと、おなじ置き方だった。1つだけ、ちがった。
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つま先の向きだった。
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昨日のは、ぜんぶ、壁のほうを向いていた。これは、口のほうを向いていた。
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中を、向いていた。
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「ハルカ、……手を」
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わたしは、手を出した。シズちゃんが、握った。昨日より、強かった。
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わたしたちは、その向きに、入っていった。
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枠をくぐるとき、頭の上を見た。石が、1枚だった。継ぎ目が、なかった。
これだけの石を、だれかが、ここまで運んだ。
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中は、まだ段だった。3段。下りきったところで、足の裏が平らになった。
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床だった。
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天井が低かった。手をのばしたら、届きそうだった。のばさなかった。
灯りの丸の外は、ぜんぶ黒かった。
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シズちゃんが、灯りをゆっくり横へ動かした。床の上を、明るいところがすべっていった。
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止まった。
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白いものが、あった。
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2つ。




