第5ラウンド
(第五ラウンド)
「国松、そろそろ前へ出たほうがいいんじゃないか」
四ラウンド開始の際は国松の意思に任せたが、明らかに裏目に出たと感じた福田は、戦略を変えることを提案した。前回の試合ではポイントは取られていたが、試合展開という意味では今回よりも良い試合になっていたと記憶している。これから中盤にかけて、パンチを当てていけば前回と同様、逆転というところへ辿りつけるかもしれない。そんな思いの戦略であった。
「まだアウトボクシングでいきますよ」
いつもと同じ無表情で国松は言った。
「しかし、四ラウンドは明らかに劣勢だったじゃないか」
福田は確実にこのままでは駄目だと思い、国松の思いを否定した。
「任せといてください。前のラウンドは捨てましたから、これからですよ」
そんな国松の言葉を信用できないと思いながらも、なぜか余裕のある国松の姿を見た福田は、あることに気がついた。今までの国松であれば、好戦的になるために被弾が多くあったのだが、今日はそれほどのパンチを貰ってはいなかった。それによって体力の温存をして後半にかけているのか……そう思えなくもなかった。だからと言って、本当に後半攻めきることができるのか、確証は持てなかった。
「国松の思い通りにさせてみるか。だが次のラウンドで劣勢になった場合には、その後はいつも通りのインファイトでいくぞ」
思わず源が仕切った。こんなことを言っても国松はやりたいようにしかやらないのだろう。それはある意味源だけではなく、福田もわかっていることであった。ただ戦略なくして勝つことはできない。その気持ちが大きかった。
ゴンザレスは国松とは違い、心にゆとりを持っていた。ここまでの四ラウンドを考え直すと、一ラウンドはアウトボクシングをする国松にびっくりするところもあったが、その後はしっかりと対応ができていると感じていた。三ラウンドの終わりに不用意にパンチを貰ったが、危なかったのはそれくらいである。
前回のようにインファイトでこられても対応策は考えていたが、それ以上にやりやすいという事も思えた。しかし油断はしていない。油断は精神の弱さを産み、自らを危険に曝すことになる。それは前回の国松というボクサーに嫌というほど教えてもらったことである。ある種、その奇妙な恩に応えるためにも、国松をキャンバスに葬りたいとゴンザレスは考えていた。
観客たちは、何となく試合がゴンザレスペースになっていることに不安を覚えていた。悲痛な声援が国松の耳に少しだけ入ってきた。その声が聞こえるということは、大声援というよりも、全体的に声が少なくなっている証拠であり、ある種何も出てこないような印象になってしまった。そんな状態だから、一部の声が会場へと木霊する。
「国松、いつものようにもっと攻めろよ」
日常にフラストレーションを抱え、それを解消するためだけに会場へと足を運んだ一部の人たちの声であった。一方的な試合になるにしても、逃げ回るのではなく、好戦的に攻めた上でダウンシーンを見させてくれるほうが、気持ちが良いのである。あくまでも人が倒れる場面を見にきているという感覚であった。それはもちろんどちらかのボクサーの勝利を願うものではなかった。
「カーン」
中盤に入るゴングが後楽園ホールに鳴り響いた。
国松は先ほどの客の声を気にせず、再びアップスタイルのアウトボクシングを貫いた。左ジャブを数発放っていく。前のラウンドに防御重視であったために、ダメージはほぼなくなっていた。その証拠にジャブの威力は一ラウンドに近いものへと戻っていた。
ゴンザレスも顔面へと被弾する拳の感触により、国松に力が戻っていることを理解していた。だがそれ以上に自らのパンチが空振りする場面が目立ってきていることを気にしていた。ここまでパンチが当たらない試合は、ここ数戦では思い出せない。少し苛立つような気持ちがゴンザレスの中に湧き上がるようであった。
「そのうち当たるから、落ち着いていけ」
赤コーナーの下からカーキがゴンザレスの心理状態を読んでか、声を上げた。その声を耳にして、ゴンザレスは冷静に対応しなくてはならないと思い返した。そのうち当たるようになる。焦りは禁物である。今の段階では自らが試合の主導権を握っている。そう考え小さくパンチを打つように変えると、おのずとジャブが軽くヒットするようにはなった。
お互いジャブの後の後続打を打つが当たらない。一ラウンドの様子見以上の攻防なのだが、派手はヒットがない分、中盤としての盛り上がりには欠けるように思えた。
そんなラウンドだからジャッジの採点も割れているのかもしれない。橘は同じヒット数であるならば、防御面で優れていた国松が支配したラウンドと思えなくはなかったが、あくまでもジャッジが採点するものであり、戦況は読めなかった。




